赤い靴


 或いは、




 ある日、小人はひとり森に木を切りに出かけました。普段は仲間と一緒ですが、今日に限ってひとりです。珍しいことであり、若干の不安が付きまといます。

 というのも、最近ちょっとした噂話が出回っているのです。得体の知れない何かがこの森に出没すると。

 得体の知れなさ、不気味さをもって語られる存在に対峙する自信は小人にはありません。獣とも違う。小人の背丈は人の腰ほどで、仲間たちと比べてもさほど劣りはしませんが、肉体の頑強さがそういったものに役立つかは正直疑問があります。手斧を持つ手にも妙な力が入るというものです。

 目的地に近づいてきた頃、視界の隅に何かがちらつきました。場違いな何かが、気がつけば木々を挟んだ向こうにいます。

 小人は近くの木の影に身を潜めて気配を殺し、顔を背けながらちらりと横目でその正体を探りました。



 呪われた赤い靴によって踊り続ける女がいる。そういう噂話でした。

 女は赤い靴の魅力に捕われ、昼も夜も赤い靴のことばかり考え、赤い靴で頭の中をいっぱいにしていました。そうして他のことをなおざりにして不敬と不義理を働き続け、神の怒りを買ったのだそうです。

 最終的に処刑人の男が首切り斧で両脚ごと断ち切ることで引き剥がしました。その後の彼女の行方は知れません。ただ、脚の方はこの森近辺に留まり、時折目撃されている、そんな話がまことしやかに囁かれているのです。

 だからこそ小人は驚きました。てっきり脚だけの存在が踊り狂っていると思っていたので。

 ……女の人が踊っています。足には聞いた通りの赤い靴。遠目にも分かる赤が、視界の限られた薄暗い森の中にあって不気味にその存在を主張しています。木々が生い茂り、狭く足場も良くないだろう中を軽やかに動く様子に小人の視界と思考はかき乱されます。これはもう人ではない何かだと半ば確信しました。

「あなた、この森の小人なの」

 女が話しかけてきました。

 話せるのか。小人は声を必死に抑えました。仮初めにも人の形を取るからには言葉も交わせるのです。理解に努めようにも別のことが頭をよぎります。やはり、ここまでの道を、ついてきていたのではないか。捕捉されていた。

 女は更に距離を詰めてきました。木々に遮られることもなく、気がつけば小人のすぐそばにいます。逃げるべきだったかもしれません。ですが完全にタイミングを逃しました。人と比べるとどうしても足が遅くなることもあります。ましてやこれほど軽やかな脚を持つのであれば。

「ねえ、この靴どうかしら?」

 女はそんな風に問いかけてきました。

 小人はやはり直視せず、記憶を手繰りながら答えました。

「……エナメルの赤い靴だと聞いてます」

「どうって聞いてるのにつまらない返しをするのね」

 それはまあそうかも知れません。あまり縁のないものですし、何より実物をきちんと見ることができていません。

「エナメルではないわね」

 小人が何か気のきいた返しをしようと考えてしまった間に、女は言いました。

「真っ赤に焼けた鉄の靴よ」

 瞬間、小人の狭い視界から赤い靴が消えました。

 肉を焼く熱とそれすら消し飛ばす重い衝撃、それが小人の最期の感覚でした。

 体重と熱とそれ以外の力を乗せた焼けた鉄が小人の側頭部に叩き込まれました。




 女――かつて某国のお妃様だった女は、己の蹴り殺した小人を無慈悲に見下ろしました。そして己の足元を。

 真っ赤に焼けた靴はなおも熱を失うことなくお妃様の足を焼き続けています。

 ですがそれにも慣れました。鉄の靴を克服したお妃様はダンスも軽やかにこなしますし、ダンス以外のことだってできます。

 小人の推測を確かめるまでもなく、すでに人間でない何かになっているのでしょう。ですがお妃様にとっては些細なことです。優先すべきものは別にあります。

 手始めに白雪姫の子飼いの小人を一人始末しました。残り六人、それから忌々しい王子とその城の連中。そして、白雪姫。

 お妃様は天を見上げました。

 雪がちらつき始めています。白い雪でもお妃様の胸に点(とも)った復讐の炎を冷ましきるには足りません。熱を受け続けた脚は黒檀より黒く、熱を失わない赤い靴は血のように赤い。禍々しく歪んだ力がそこにあります。

 そうしてお妃様は次の獲物を求めて森の中に消えました。

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