世界に一つの特別な箱
柚城佳歩
世界に一つの特別な箱
“この世界には妖精さんがいて、一人に一つ、特別な箱を贈ってくれる”
私が住んでいる国にはこんな言い伝えがある。
物心が付く年頃になると、ある時、いつの間にか寝ている間に枕元に箱が置かれているのだ。
箱は人によって色も形も大きさも様々。
でもこの箱は決して開けられない。
心の底から欲しいもの、必要なものを求めた時に開くと言われている。
妖精なんて伝説の生き物、ただの迷信だと言う人もいる。でも私はいると思う。
だってあの人たちが私にプレゼントなんてするはずがないもの。
「エリー!さっさと買い物に行ってきな。帰ったら掃除と洗濯もやるんだよ」
「はい、わかりました」
私には小さい頃の記憶がない。
覚えていないんじゃなくて、すっぽりと抜け落ちている感じ。
小さい時に一人でいるところを保護されて、施設で育てられた。
どこから来たのか、それまで何をしていたのかもわからない。家だけじゃなく自分の歳も、名前すらわからなかった。
呼び名もないままでは何かと不便だろうからと、保護してくれた警備隊の人が「本当の名前を思い出すまででも」と“エリー”と名付けてくれ、国への住民登録もしてくれた。
言語能力や成長具合から七歳くらいだろうという事になり、保護された日が新しい誕生日になった。
施設には時折里親希望の夫婦がやってくる。
でも記憶がなく、どこから来たのかも不明で誕生日すら偽物なんて得体の知れない子どもと暮らしたがる人はそうそういない。
そんな私を引き取ったのが、書類上は現在の家族であるあの人たちだ。
子どもながらにこれでやっと少しは落ち着けると思った。そう思ったのに。
──あんたを引き取ったのは国から補助金が出るからだよ。十八になったらそれもなくなるから、あとは勝手に生きな。
引き取られたその日にそんな事を言われ、最低限の食事と勉強はさせてもらえたけれど、他の時間はまるで使用人扱いだった。
雨風を凌げる場所はあるけれど、家とは呼べない。
まだ一人で生きていける力がないとわかるから今はここへいるだけ。それでもずっと、どこか別の、見た事のない世界へ行きたいと思い続けていた。
でもこの我慢の日々もついに終わり。
私はもうすぐ十八になる。そうしたらこの家を出て、誰も私の事を知らない街で新しい生活を始めるんだ。
そう思うと、毎日のように通った道にもどこか愛着のようなものが湧いてくる。
買い物の途中、いつも通る道にある古い洋館。
蔦だらけで塗装も剥がれてしまっているけれど、凝った装飾の施された大きな門。元は綺麗な白だったと思われる外壁。
嘗ては庭もきちんと手入れされていたんだろう。
今は木や雑草が好き放題に伸びてしまっていて、薄暗い中で見るとお化け屋敷のようだった。
そして、この洋館には一つ決定的におかしな事があった。
本来絶対にあるべきはずのドアがどこにもないのだ。窓はあるけれど、開かない上になぜか壊す事も出来ない。
大人たちは不気味がって近付かないけれど、面白がって探検ごっこと称して入口を探す好奇心旺盛な子どもがたまにいる。
けれどやっぱりどうやっても入れなくて、結局諦めて帰ってくる。だから中には誰も入った事がない。
こんな家に住めたら……と、時々想像する。
もちろんちゃんと手入れされた状態の話だ。
庭には季節ごとに好きな花を植えて、ふとした時に眺めて癒やされる。
自分の部屋を好きなもので飾り、仲の良い友達を呼んで朝まで語り明かす。
私の箱はいつになったら開くんだろう。
十年前、ある朝起きたら枕元に置かれていた小さな箱。手のひらに収まるほど小さくて、滑らかな手触りをした木箱。
初めての贈り物に嬉しくなって、すぐに開けてみようとしたけれど、どうやっても開ける事が出来なかった。
いつか開く時が来るかもしれないし、もしかしたらただの木の塊かもしれない。
それでも中に入っているものを想像するだけでいつもわくわくした。
頼まれていた買い物を済ませ戻る途中、どこからか何かが焦げる臭いがした。黒っぽい煙も上がっている。
わざわざ見に行くつもりはないけれど、歩くほどに火元に近付いている。まさか。
嫌な予感がして、途中から走り出した。
「うそ……」
十年ちょっと過ごした場所が燃えていた。
良い思い出なんてないし、思い入れのある物も特にない。
あまりにも理不尽な事を言われた時にはなくなってしまえばいいと思った事もあるけれど、本当に燃えてなくなれとまで思った事は一度もない。
消火活動は行われているけれど、燃える勢いの方がずっと強い。炎は隣の家まで呑み込んで、どんどん大きくなっていく。
あの人たちは?決して好きにはなれなくても、安否くらいは気に掛かる。
辺りを見回すと、野次馬の中に紛れて呆然と燃える家を見つめている二人を見付けた。
よかった。ちゃんと逃げられたんだ。
「あっ、お前……」
男の方が私に気付いてこちらに向かって来たかと思うと、声を潜めてこう言った。
「まずい事になった」
「え?」
「いや、腹が減ってよぉ、置いてあった煮物を食おうと火を掛けたまま忘れちまってこの有り様だ。そこでお前に頼みがあんだけどよ、俺の代わりに出頭してくれねぇか?お前ならまだ多少子ども扱いで刑も軽くなるかもしれねぇだろ。俺が今捕まっちまうと、出所する頃にはじーさんだ。その点お前はまだ若い。だから、な?協力してくれよ。ここまで育ててやったろ?」
「は……」
咄嗟に声も出なかった。
代わりに出頭しろ?私を育てた?
巫山戯るな。今まで散々虐げてきたくせに。こんな時だけ恩人ぶるな。
そもそも自分の不注意でこんな惨事を招いておきながらちっとも反省する素振りすら無いなんて、刑務所に入って根性叩き直されてこい!
もうすぐ自由になれるというのに、こんなところで面倒に巻き込まれたくなんてない。
戻る場所がなくなったのなら逆に良い機会だ。
私はその場で方向転換すると、伸ばしてきた男の手を振り払って走り出した。
「あ、おい!どこへ行く!待て!……チッ、くそっ。おーいみんなー!犯人が逃げたぞ!あいつが放火犯だ、捕まえろ!」
そんな。火をつけたのは私じゃない。
さっきあの男が自分のせいだと言っていたじゃないか。
でもそれを周りの人は信じてくれる?
あの二人は変なところで口が上手いから、今捕まったら私が犯人に仕立て上げられてしまうかもしれない。
怖い。もし冤罪だって証明出来なかったら。何も良い事がないまま、こんなところで放火犯として捕まりたくない。
行く当てなんて当然ないまま闇雲に走った。
追い掛けてくるいくつもの足音から必死に逃げているうち、いつも通る道まで来ていたらしい。
気付けば見慣れた洋館がすぐ側にあった。
「あ、ここ……」
建物の中には入れなくとも、背の高い草木が暫くは身を隠してくれるかもしれない。
「おい!どこ行きやがった。すばしっこい奴だ。絶対に捕まえてやる。出てこい!」
少し先の路地で、男の怒鳴る声が聞こえた。
まずい、近くまで来てる。
迷いは一瞬。蔦が絡まる門に手を掛けそっと中へ入った。
実はここへは今まで何度も来た事がある。
誰も中へ入れない家なんて興味深いし、そうでなくともここへ来ると不思議と心が落ち着いた。
今は少しでも落ち着いて考える時間が欲しい。
自由な未来のために、これからの事を考えなくちゃ。
草を掻き分け洋館のすぐ側まで来た時、信じられないものが目に入った。
「これ、扉……?」
この洋館にはドアなんてどこにもない。自分でも確かめた事があるからそうだと言い切れる。
じゃあ今見えているこれは何?
恐る恐る指先で触れてみる。
目の錯覚じゃない。確かにそこにある。
でも、今までこんなもの見た事なんてないのに。
どうして突然……。
怖さ半分、好奇心半分。ドアノブにも触れてみたが、残念ながら鍵が掛かっているようだった。
「だよね。そこまで上手い話はないよね」
流石に疲れが押し寄せて、その場に座り込んだ時、ポケットから何かが転がり出た。
それはあの木箱だった。
何も持っていない私が唯一持っている大切なもの。
絶対に失くしたくなくて、お守りのようにいつもどこへ行くにもこれだけは持ち歩いていた。
その木箱が開けてとばかりに内側から光を放っている。
今ならこの箱を開けられる。
確信的にそう思った。
逸る気持ちを抑えつつ慎重に開けてみると、中には一本の鍵が入っていた。
まさか。
扉の鍵穴と持っている鍵を見比べてみる。
あり得ないと思いつつも、期待してしまう。
この扉の向こうへ行けたら何もかも変えられる、そんな期待。
手に取って鍵穴に挿し込んでみると、途中で閊える事なく奥までぴったりと嵌った。
そのまま回すと、カチャリと軽快な音が鳴る。
「開いた……!」
こんなにわくわくしたのは初めてかもしれない。
疲れていた事も忘れてその場で飛び上がった時、聞き慣れた嫌な声が後ろでした。
「エリー!やっと見付けたぞ。全く手こずらせやがって。さっさと戻ってこい」
門のところにあの男がいた。もう諦めてくれればいいものを、こんな時ばかりしつこい男だ。
「嫌!私はもう戻らない。やってもいない事で捕まりたくなんかない」
「ぐだぐだうるせぇな。いいだろ別に。恩返しだよ恩返し。ってかその後ろのはなんだ。まさか扉か?ここにそんなもんあったか。ちょうどいい、一文無しになったばかりだ。中を物色して金目のもんでももらって行くかぁ」
やばい。こんな奴を絶対に中に入れてはいけない。
私はドアノブを掴むと思い切り引いた。その瞬間。
「ルルゥ!」
扉の内側から誰かの声がして、後ろから走ってくる男が追い付くよりも早く体が中へ引き込まれた。
「はぁっ、はぁっ……」
すぐに後ろを確かめる。ドアはしっかりと閉じたままで、男の声も聞こえない。
やっと諦めてくれた?
外を見ようとして近付いた窓に映った光景に思わず振り返った。
そこはまるで違う世界だった。
煌びやかな照明にたくさんの人で賑わうホール。
様々な料理の食欲をそそる香りがあちこちから漂っている。
「ここは……?」
私は確かにあの古びた洋館に入ったはず。
外から見た時は人どころか灯りの一つすらなかったのに、この光景は何だろう。
着飾った人たちの中に、絵本に描かれるような羽の生えた小さな人までいる。私は今、夢でも見ているんだろうか。
「ルルゥ」
さっき聞こえたのと同じ声がして、振り向くとそこには優しそうな男女が私を見ていた。
「えっと、私は」
「“エリー”。向こうではそう呼ばれていたよね。いきなりこんな事を言っても混乱させてしまうかもしれないけれど、私たちは君の両親だ」
「え……」
「君の本当の名前は“ルルゥ”。すぐには信じられないかもしれないけれど、ここは妖精たちの世界なんだ。私たちもそう。そして君も。この館は向こうの世界と繋がる門の一つだよ。でも決して向こう側からは開けられない。鍵がなければね」
今から約十年前、私が保護されたあの日。
妖精族の大人たちは人間の子どもたちへ特別な贈り物をするために人間界へ行った。
私を含む子どもたちは託児所へ預けられていたけれど、好奇心が旺盛だった私は誰にも見付かる事なく大人たちについて行ってしまったらしい。
妖精界へ戻り、私がいなくなった事に気付いた両親はすぐに探しに行った。
でもその時にはもう保護された後だったという。
「まだ生まれて間もない妖精は、人間の世界へ行くと存在も記憶も曖昧なものになってしまうんだ。そこで誰かに新しく名前を付けられるとそれまでの記憶を完全に忘れてしまう。それと同時に妖精という曖昧な存在も、人間としてその世界に定着してしまうんだ。チェンジリングって聞いた事はあるかな?妖精と人間の子どもを取り替える事は出来るけれど、人間の子どもだけを勝手にこちらへ連れてくる事は出来ない。だから私たちは二つの世界を繋ぐ鍵を入れた箱を贈って、いつかルルゥの方から戻って来るのを待つしかなかった。今まで辛い時も何も助けてあげられなくて本当にすまない」
話を聞いているうち、水に垂らした絵の具がその色をゆっくりと広げていくように、今までどう頑張っても思い出せなかった昔の記憶が少しずつ蘇ってきた。
そうだ。私はこの人たちを知っている。
もうずいぶん遠い過去になってしまったけれど、愛おしげに何度も私を呼んでくれたのを覚えている。
「あ、私……」
「おかえり、ルルゥ」
両側から優しい温もりに包まれる。
帰ってきた。そんな思いがじわじわと込み上げてくる。自分の家と呼べる場所を、ここでなら見付けられる気がした。
世界に一つの特別な箱の中には、私の願った自由な未来が入っていた。
いつか私も大人になったら、誰かに特別な箱を贈りに行こう。
世界に一つの特別な箱 柚城佳歩 @kahon
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