第4話 在来種純粋日本人としての本性を発揮する

在来種純粋日本人らしい振る舞いというのは、あると言えるしないとも言えるのですが、大学日本拳法的なる言動というのはある。

  だが、実際にこれを自分で行なうというのは、難しい。人間、どうしてもいま自分が存在する地位や・役職・肩書きといったものに囚われて、自分の本性というものを発揮することができないからです。

本性だの悟りだのを商売道具にしている禅坊主自体が、浮利を追うために内なる真理を逐い出す、ということを毎日実践しているのが世の常というもの。

私の場合、天佑か神助か恥知らずの性分からか、大学卒業以来、天命に従って生きることができた。まるで、「チェリーニ自伝」岩波文庫 ベン・ベヌート・チェリーニの如く。

商社時代は、「○ちがい」を称号と受け止めて、狂気のように仕事に驀進したおかげで、会社からは大きく評価されました。

1980年代のあの5年間というのは、日本の半導体開発が頂点に達していた時期で、日本も世界も私の会社も業界も、イケイケどんどんという戦国時代さながら、弱肉強食の世界というバックグラウンド(時代背景)が幸いし、私のような狂人が強靭と賛美される時代風潮だったのです。

石原慎太郎東京都知事が「三国人問題」を公然と口にし、戸塚ヨットスクールのスパルタ教育が賛美され、どこの企業でも、新入社員になると、スパルタ式・体育会的研修でしごかれた時代でした。

いまの日本、政治屋も警察屋もマスコミも、街のどの職業や学生、大人も子供も、狂がつくくらい真剣勝負の心で生きている人間を見ることがない。だから、せっかくそういう一心不乱になって何かやろうという人間がいても、同調圧力だの忖度だのといって、バカの仲間にされてしまう。

やがて、時代が変われば、かの「黄金の80年代」が再来することがあるかもしれません。子供や孫のある方たちは、それに期待して、自分に嘘をつきながらで、しかし、たまには大学日本拳法的なる真剣勝負の心に接して、隠れキリシタンのように生きていくのが良いのかもしれません。

私のような「LED使い切るまでない寿命」人間は、このまま狂でいくのが、幸せというものなのです。

続く


2024年3月8日

V.1.1

平栗雅人

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