第3話 空の巻(思念のを現実化)

本物を観て・読んで・聞いて、大学日本拳法(在来種純粋日本人)にどっぷりとひたることはできる。しかし、それらをあなた自身の内なる在来種純粋日本人性に呼応させ、「スタンド」として発現できるかどうか。(「ジョジョの奇妙な冒険・ダイヤモンドは砕けない」)


 僥倖というべきか、人生終焉のまぎわとなって、私は2023年第68回全日本学生拳法選手権大会ではじめて、私以外に「狂」を見ることができました。

  それはハレー彗星(周期は76.02年)に巡り会えた、といえるほど、私にとっては貴重な体験・収穫でした。まさに「冥土のみやげ」に神様がくださったのでしょう。

  しかし、この、何万人に一人ともいうべきこの狂を「奇貨」と受け入れることができるか、というのもまた、難しいところです。ほとんどの人は、たんなる奇妙・際物と受け止めるでしょう。ビデオで「岡崎VS谷戦」を観て感動できても、それと同じ迫力が自分の目の前で展開されると、人は引いてしまうものなのです。

  私の父や叔父のような、戦前の蛮カラ・疾風怒濤の時代に血まみれで生き、その上で平和な日本で公務員をやっていたような人間には、面白い人間だ、と好評価されるでしょう。  しかし、今の時代、外来種偽日本人によって作られた虚妄の時代に生きる、警察官をはじめとする虚構の安心安全に生きる人たちの目には、とても受け入れられる人間として映ることはないのではないか。

  総合商社のような、(知性+)体育会系的・蛮カラ気風が資本の世界であっても、もはや、彼女のような真実を発揮できる人間というのは受け入れがたいでしょう。

  もちろん、かの人は、会社ではリベラルな人間としての仮面をかぶって生活しているのでしょうから、問題はないのでしょう。

  いまやこの日本は中国と違い、人間としての本性を発揮することが非常に難しい世相になっています。本性で生きることのできない「人間擬き」ばかりになっている。

  中国という国は、政治批判には厳しい目を向けられるかもしれませんが、人間がその本性を発揮するには非常に寛大な社会です。現在の日本と違い、「本物の人間」が政治・警察・教師・医師等をやっているから。

  日本の、特に警察官や医師といった、肩書きでメシを食う・嘘を言っても許される人間の虚妄度・汚染度は群を抜いていますが、そういう人たちには「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。」ということしかないのです。



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