深層 3

 鋼はパソコンから顔を上げた。

「ゼロか。よし。三日間おつかれ」

「ガネさん、本当にもういいの」

「いい、いい。あとはこっちの仕事だ。学生ボランティアにはおっさんから図書カード渡すってよ。よかったな」

「もうちょっと範囲広げてチェックしても」

「なんだ、アッキー。なにか気になる場所があったか。それなら俺が行ってくるから」

「なんでもない、なんでもないから。じゃあもうチェックしないでいいね」

 彰人は早々に居間を出た。

 気になる場所はないが、気になっていることはあった。

 東野は彰人と下校した翌日に自主退学した。それを知ったとき、彰人は驚きつつ平静を装った。あの話が本当なら、妖怪をけしかけていたことが知られる前に退学を選択したのだろう。まわりも東野の退学を気にしていない様子だったこともある。よく考えると夜間クラスは事情がある生徒しかいないから、退学はよくあることかもしれない。自分も聞かされた話は忘れることにした。

 そして時長だ。風邪で休んでからしばらく経っている。思えば時長を勧誘してきた女の人と東野の話、どちらにも”奈落”という言葉が出ていた。通報を拒否した時長の焦り方はどこかおかしかった。東野は学校に来なくなった。もしかして時長も東野も、深世界の扉と関わっているのだろうか。

 東野の件はさぎりに話していない。大蛇退治は妖怪好きを喜ばせるだけだからだ。気をつけろと言っていた鋼さんにも話す気にならないまま今に至っている。一緒に住むようになってから、あんなに冷え切っていた家が暖かくなった。この雰囲気を壊したくないし、鋼さんにはこれ以上心配かけたくない。だけどやっぱり話したほうがいいのだろうか。

「わあっ」

 目の前に、心配顔のカルネモソミとおろおろする頭領の手が出てきた。いや違う。考え事をしながら階段を上ろうとしたところを、のぞき込まれていた。

「いじめる奴はワシが叩き潰してきてヤルから遠慮なく言エ、ホレホレ」

「ありがと、頭領。いじめられてないからってガネさんに伝えておいて。ちょっと友達が心配になって」

「友達カ。ここの子どもはみんな優しイ。いいか、よく聞ケ。お前さんは子どもで、ワシの仲間ダ。困った時はすぐ呼ぶンダゾ」

「呼んでもガネさんがいないと出られないんでしょ」

「ここに来たとき、ワシの仲間の証にお前さんの髪をモラッタ」

 そういえば、引っ越してきた夜にそんなこともした気がする。

「あれがあれば、お前さんの声がわかるンダ。自分で髪を引っぱってワシの名前を呼ベ。それでワカル。ワシの言葉を鋼が聞ク。イイカ、ワシをすぐ呼ぶンダゾ」

「わかった。ありがと、棟梁」

 鬼の手は彰人の頭をひと撫でして、主の元へ戻っていった。

 残るは神剣。すべてを見ていたからこそ視線が刺さる。

「約束したとおりレンカランクルにも話していませんが、棟梁に気づかれるくらいならそろそろ限界とみたほうが」

「言うから。ちゃんと。かならず言うって。もうちょっと待って」

 カルネモソミはなにか言いたげな視線を残して消えた。なんだよ、もう。 


 同日、夜十二時を過ぎた暗闇の峠道を一台の車が走っていく。助手席に座るスーツ姿の女が、運転席の中年男に頭を下げた。

「こんな時間にすみません、林さん。お休み中だったのに」

「いい、いい。急な話だったし、こっちはぜんぜん気にしないでいいから。咲山ちゃんが一番大変だろ。音別と本部を行ったり来たりするから。そのくせ、あっちはのんきに寝てていい気なもんだ」

 林は顎で後ろを指し、咲山も視線を追った。そこには腕を組んだ姿勢で眠っている時長がいた。への字口で眉間にしわを寄せたあからさまな態度が、さらに咲山の癪に障った。

「なんなんですか、あれ。林さんが夜遅くにわざわざ音別まで送ってくださるんですよ。感謝はもちろん、到着まで起きているものでしょう。あの歳で礼儀の基本も知らないなんて、どんな育ち方をしたらあんな人間になるんですか」

「そういえば、あれ。来た時から礼儀なんてなかったもんな」

「ええ。あれが来た時、玄関をめちゃくちゃにして大騒ぎしたんですよね。そのくせに奈落の前に来たら泣いて騒いで、土下座ですよ土下座。あきれて言葉も出ないってこと、初めて体験しました」

「だはははは」

「でも、まさか幹の方(かた)があれを姫様のそばに置くとは。幹の方の言葉は常に正しいです。だけど、あんな猿を置いておく理由がわかりません。入信もしていないし。だからこそあれの担当に立候補したんですけど」

「若い若い、咲山ちゃんは若い。心配しすぎだと思うぜ。幹の方もよくよく考えて決断したんだろう。カジツにはわからない未来を見通していらっしゃるんだ、あれをまだ入信させないのも考えてのことなんだよ」

「ああ、それは確かに、そのとおりかもしれません。幹の方はご自分よりもカジツを第一に考えてくださる方ですから」

 時長は寝たふりをしながら、怒鳴りつけたい衝動を必死に抑えていた。そもそも咲山にも礼儀なんか無いだろう。今回も下校中に絡んできたと思ったら、逃げた先の裏道で車に押し込めた奴だぞ。こっちは人質がいるからおとなしくしているだけだ。あのまま本部の監禁部屋に放り込まれたときも前回のように抵抗しなかったし、それからしばらくして咲山が来たときも、こっちは黙ってただろうが。

「姫様からお話がある」

 咲山の背後から東野が現れた。レースとリボンをあしらったお嬢様らしい姿だが、教室で見せていた愛想はない。汚いものを見る目で一瞥したあと、体育教師のように高圧的にこう言った。

「世界樹の姫である私からゴミのあなたに命令するわ。音別からここまで、あるものを出荷しなさい。やり方は咲山さんが教える。ゴミでもできるくらい簡単よ。無事に出荷が終わったら、ゴミとゴミの女を解放してあげる。ただし、失敗したらふたりともおしまい。いいわね」

 もちろん即答した。こいつらから人質の有花(あるか)と一緒に解放されるなら親だって殺すさ。


 高校入学後から授業をさぼって遊んでいた時長鏡とまじめで成績優秀な土屋有花のふたりは、校内の正反対カップルとして有名だった。周囲から避けられていた時長に物怖じせずに話しかけ、時長が与えられた当番もきっちり守らせる有花は、軽口の喧嘩は数あれど仲のいいコンビでもあった。有花の親は交際を反対していたが、有花には成績を落とさないこと、時長には娘を玄関まで送り届けることを条件に許すようになった。

 ところが高二の春休み中、有花が姿を消した。女の幽霊に呪われたと怯えて泣く彼女を、時長が笑って元気づけたばかりだった。

 時長は心当たりをしらみつぶしに探したが、誰ひとり彼女の姿を見ていなかった。有花の親からは門前払いされ、自分の親は酒とパチンコばかりで連絡先も知らない。先生や警察はうるさくて信用できない。

 自分ひとりで捜せない現実に絶望した頃、切手が貼られていない一通の手紙が届いた。有花の筆跡で、時長鏡様とていねいに書かれている。中身は蓮の花とツタが描かれた便せんが一枚。これも彼女の筆跡で、らしくない固い言葉が上から下までびっしりと書かれていた。


 時長鏡くん、お元気ですか。土屋有花です。わたしは深世界の扉の本部で、充実した毎日を過ごしています。ぜひ時長くんにも深世界の扉のすばらしいお話を聞いてほしくて、このお手紙を書いています。


 他人充てに書いたような文面に動揺しつつも裏返した。そこにも全面になにか固いもので書いたような跡があり、時長は立ち上がった。

「だよな」

 有花は小さく折り畳んだ手紙を毎日くれた。表は今日もカラオケ行こうねと書き、裏に堅いもので文字を書いてくるのだ。これを塗りつぶすと文字が浮き上がり、ミラ大スキと出てくる。面倒くさいと文句を言う時長に、有花は笑った。だって、これなら誰かに手紙を見られてもわからないでしょ。私たちだけにわかる秘密だよ。ね。

 慣れた手つきで塗りつぶすと、やはり別の言葉が浮き上がってきた。それを読みながら、時長は怒りに震えた。

 有花は助けを求めていた。


 ミラ タスケテ シンセカイノトビラニ ラチサレタ ハイラナイトカエレナイッテ。 ミラ ケーサツ ヨンデキテ。オネガイ ゴメンネ ミラニ アイタイ カエリタイ アイシテル ミラ アルカ ヨリ


 時長は取るもの取らず、深世界の扉の朝日川支部に飛び込んだ。新興宗教は全部気の弱い集団だと遊び仲間のみんなは言ってるし、自分ひとりで解決できると時長は考えていたのだ。これがそもそも間違いだったと気づいたときは、すべてが遅すぎた。

 入信希望だと言うと信者は満面の笑みで本部に連れていった。時長は本部の入口をくぐるなり、受付横の鉢植えを壁に叩きつけて割ってみせ、土屋有花を出せと大声で怒鳴りつけた。あとは彼女を連れて逃げるだけ。

 しかし予想に反して、時長は大勢の信者によってあっさり組み敷かれてしまった。ほどなく奥から気だるそうに出てきたおばさんが、こう言った。

「坊やにも困ったものですね。その人は大事な修行中です。どうしてもと言うのなら、奈落の底にある赤い石を取ってきなさい。それで会うことを許しましょう」

 時長は服と所持品を取られて更衣室に放り込まれた。白装束がぽつんとあるだけで、あとは入口しかない。どこか逃げられそうな場所を探していると、ドアの向こうから見張りの声が聞こえてきた。

「こんなやつが奈落に行けるなんて、正直うらやましいです。一年しかいない僕はあそこに近づくなって言われてるから。奈落って洞窟なんですよね。見てみたいな」

「洞窟だけど神聖な場所だしな。そもそも危険なんだよ。奈落の前を歩いていた鹿が奈落に食われたトコを、たまたま山菜を取りにいったカジツが見たんだってさ。だから奈落に行けるのは幹の方の許可が下りた人だけになったんだ。幹の方の護符がないと命に関わるから、近づかないほうがいい」

「そうなんだ。鹿の話ははじめて聞いた」

「鹿だけじゃないよ。ゴミとか悪いやつとかいじめたやつも、奈落はこの世の汚ないものを全部きれいに食べてくれるんだ。すばらしいだろ。そうやって奈落は世界を清浄にしてくれる」

 時長は耳を疑った。つまり奈落に入ると石を取るどころか食われて死ぬのだ。このまま殺されるのかと思うと、全身が震えだした。死にたくない、死にたくない、死ぬもんか。震えながらも助かる策を絞り出してみたが、なぜかマンガの一場面しか浮かばない。いくら頭が悪い自分でも無理だと思ったが、ここで生き残るにはそれしかないのか。

 腹をくくって更衣室を出ると、見張りに両腕を取られた。震えは止まらず体は力が入らなくなり、強制的に歩かされた。後ろからはぞろぞろ人が付いてくる。薄暗い林道を進んでいくと、おおきな石碑が現れた。そこにひとりの女が立っていた。あとでこの女は咲山だと知った。

「この先、参道の突き当たりが奈落です。これからそこに案内し」

「嫌だっ」

 時長は大声で叫び、嫌だと泣きわめいた。両腕の拘束が弛んだので、そのまま女の足にすがりついた。それを払われたら土下座をし、土まみれの顔でごめんなさい許してくださいと叫んでみせた。

 マンガで見た、処刑される男が処刑人に命乞いをする場面。男は頭を踏まれながら死にたくないよ助けてママと泣き叫び鼻水を垂らし、とうとう処刑人も裁判官も呆れ果てて男を残飯の山に捨てた。男はそこから抜け出して街を脱出する。

 果たして深世界の扉の信者たちはというと、時長を散々嘲って「とりあえずここにいろ」と監禁部屋に放りこんだ。時長はマンガに心から感謝した。

 次の日。咲山から「言うことを聞けば土屋有花に会わせてもいい」と言われて了承した。命令は姫と二人で音別高校に転入すること。なぜ自分がそこに行くのかわからなかったが、有花に会えるならと従った。しかし会わせてもらえないまましばらくたった頃、下校中に拉致監禁され、また音別に連れていかれている。


 雷鳴が鳴り響き、大粒の雨が車体を濡らしはじめた。

「姫様はこれからずっと本部にいるんだよな、咲山ちゃん」

「ええ。二度と本部から出ないそうです。もう学校にも行かないと」

「それがいい。幹の方も安心だ。教祖といってもやっぱり姫様の母親だ、女の子は母親と一緒にいるのが一番いいからな」

「そうです。そして姫様はいずれ幹の方を引き継ぎ、私たちを導いてくださいます」

「そうだそうだ。その頃には真のカジツもついて、この世の安泰がくる」

「楽しみですねっ」

 時長は不快な話に耳を塞ぎたかった。真のカジツなんているわけない。


 奈落行きを免れた夜。監禁部屋でひとり、死刑を待つ心境で横になっていると、隣から壁を叩かれた。まるで声をかけるような叩き方だった。返事をすると、今度は話しかけられた。

「だいじょうぶかい。怪我はしてないかい」

「してない」

「声からして若い人だね。学生さんかな。ここではなにを喋っても大丈夫。誰にも聞かれないから」

「あんた誰だよ」

「おじさんかい。おじさんは被害者の会の副会長だよ。元はここの信者だったんだけど、いろいろあって辞めたんだ。捕まっちゃって、もう一度入信しなさいってここに入れられたんだ。ここの本部を見たかい。わりときちんとした玄関だっただろ。あそこは昔、会社が宿泊研修する建物だったんだ。ここはその寮。部屋だけはたくさんあるから、悪いことをしたらここに監禁して反省させる部屋として使われている。せまくて汚くて個室だし、窓の下は崖だから逃げられない。古いからトイレの音も筒抜けだし。だから自分以外の人がどこにいるかわかるけどね。今ここに入れられているのは僕と君だけ」

「あっそ」

「朝晩におにぎりとみそ汁が出るから、それまで誰も来ないんだ。時間はあるし、よければ君になにがあったか、おじさんに教えてくれないか。力になれるかもしれない」

 時長は有花がいなくなってから今までのことをすべて話した。壁の向こうから「それは大変だったね。君ひとりでよくがんばったよ。生きててよかった」と言われたとき、はじめて泣きそうになった。

 そのあと副会長は深世界の扉について教えてくれた。

 深世界の扉は三人の魔女が仕切っている。教祖は”世界樹の幹”といって、顔も体もまるくて着飾った中年の女だ。やせ細った不機嫌顔の女”世界樹の枝”は扉の経営から信者まで管理している。幹の養女で、広報担当の美少女”世界樹の姫”はファンクラブまであるらしい。信者は神実(かじつ)と呼ばれる。

「深世界の扉には十年くらい前に、ぼくと親友のふたりで入信したんだ。あの頃はまともな宗教だった。畑や牛の世話をしながら妖怪も大事にする教えでね。あらゆる命を守る生活を実践していた。幹の方たちもやさしくて親切で、ふたりとも聖母のようだった。子どもを残して失踪した神実がいたんだけど、幹の方がその子を引き取って、お姫様と呼んで育てたんだ。それくらいすばらしい人たちだったんだ。本当だよ。だけど、ここに移転してからおかしくなっていった」

 信者から山奥の宿泊施設を継いだ幹の方と枝の方は、裏山に洞窟を見つける。それから次第に変化していった。それまでの質素な衣服は捨て、派手な服を着飾って装飾品も増えていった。やさしかった言葉や態度は乱暴になり、時には信者を棒で殴った。おとなしかった姫も高慢な態度をとるようになり、信者の高価な所有物を一方的に取り上げることもした。

 教祖らに媚びへつらう信者が増える一方、落胆して辞めていく信者も多かった。副会長の親友は、退魔協会に嫌がらせを推奨する教祖を諫めに行ったが、それきり行方不明となった。翌日、枝の方が教義前に「彼は奈落で真の神実になる修行をしに行きました」と発表。修行を讃える信者の声のなか、副会長はひとり愕然とする。

「証拠はないけど、親友は魔女の気に障ったせいで、奈落に落とされて殺されたんだ。被害者の会の会員には殺害現場を目撃した神実もいてね、魔女の機嫌を損ねた神実が、眠っているところを奈落に放り込まれたところを見ている。ぼくは親友がいなくなってすぐに扉を辞めたけど、残っていたら親友のように殺されていたと思う」

「俺もそう思うね」

 嫌な気分がマシになるよう、水を飲んだ。ぬるくてまずい。

「気持ち悪い。まともなやつはいないのかよ」

「いないだろうね。ここは魔女を盲信している神実しかいないから。誰かが奈落で殺されたとする。それを魔女は「あの人は奈落の底へ修行に行きました、いつか真の神実となって戻ってくる」と言う。誰もそれを疑わないで、その人が戻ってくる日を待ってるんだ。ずっと。その人が奈落で殺されていることを知ってるのは、魔女の三人と一部の人だけ。ひどい話だよ。ひどすぎる。証拠がないから警察も動けない。目撃者は協会に行くって言ったきり、どこに行ったかわからないし。もしかしたら僕がここに来る前に奈落に落とされたかもって思ってる」

「おっさん。奈落って落ちたらマジで死ぬのか。どうせ洞窟みたいな穴なら抜け道とかあるだろ」

「いや、無理、無理。あそこは妖怪のやちまなこだから、落ちたら即死と思ったほうがいい」

「やちまって、なんだそれ」

「今の人は知らないか。やちまなこ。底なし沼のことだよ」

 副会長は有花のいる場所はわからないと言った。男女問わず監禁部屋に入れるが、収容されている自分以外の生活音は聞こえなかったらしい。

 時長が先に部屋から出されたので、副会長とはそれきりになった。


 時長はため息をついて、服の上から胸元のペンダントを握った。ちいさな硬さを感じながら決意を新たにする。有花の、ちいさなハート型のペンダントだった。

 車に乗せられる前、咲山は有花を連れてきた。古い室内着を着せられていたが、生きている姿に胸が熱くなった。有花は泣きながら時長の胸に飛び込んできた。全身で抱きしめると、とてもあたたかった。怖かっただろと言うと、幽霊のほうが怖いから平気と答えたので、つい笑ってしまった。

「ずっといるのが幽霊じゃなくて、ミラだったらいいのに。ミラと離れたくない」

「俺もアルカと一緒にいたい」

「一分経ったわ。離れなさい」

 咲山の冷たい言葉に、ふたりは後ろ髪引かれるように身を離す。

「ミラ。あのペンダント、持ってる」

「ある。ずっと首にかけてる」

「私のと交換して。ミラの物があればがんばれる」

「わかった。俺もアルカの物があればやれる」

 それはつきあった記念日に贈り合った、イニシャルを刻んだ銀のハートのペンダントだった。ふたりはそれぞれ外して互いの首にかける。ありがとう、と有花ははじめて笑顔を見せた。

 そしてまた離れ離れだ。こいつらにいいように使われて嫌になる。

 夜中2時過ぎに、車が音別の小売り店の裏に停車した。居候先に戻ってきたのだ。時長が車から降りると、裏口から店主も出てきた。親より年を取った影の薄い男で、表情もなく、名前も知らない。言葉も交わさず、店主が出した食事に時長が「どうも」と言うと頭を下げるだけだ。今も時長が家に入る前に会釈すると、ひとつうなずくだけだった。

 咲山は車から降ろしたキャリーケースを店主に押しつけた。

「姫様のご命令です。あれ。また明日から高校に通わせるように。以前と同じ対応でいいとのことです。出荷に必要なものはここに揃っています。出荷できるようになったら、すぐに教えなさい。私が取りに伺うまで、けっして落ち度のないように」

 出荷という言葉に時長はどきりとした。出荷しろと言われたが、なにを出荷するのか教えられていない。カネか薬か、それとも別のなにかだろうか。でも何であろうと出荷をすることに変わりないが。

 去りかけた咲山を、店主が呼び止めた。

「ああああの、真の、真の神実はまだ、ですか」

「また、それですか。まだです。幹の方はおっしゃいましたよね。娘さんが修行を終えて戻るまで数年はかかると。まったく、はやく理解したらどうですか。そうやってしつこく聞くから、あなたはここに異動されたんですよ。しばらくここでおとなしく待つことですね。これも修行の一貫です。わかりましたね。話は終わりです。失礼します」

 時長は客間の戸を閉めた。店主が真の神実を待っている信者だとは知らなかった。おい、真の神実なんていないぞ、みんな奈落で死んでるぞって言ってやろうか。信じないだろうけど。

 そんなことより明日だ。また音別高校に通うが、今回はあの姫がいないからせいせいする。出荷というものが終われば解放されて、有花と自由になる。

 待ってろ、有花。必ず助けてやるからな。

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キープアウト!! 奈落編 羽風草 @17zou

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