牛乳箱の思い出

川線・山線

第1話 「牛乳箱」の思い出

「ねぇ。今日M乳業さんの営業の人が、『牛乳取りませんか』って来たの。いくつか試供品をもらったんだけど、今でも「牛乳配達」してるんだって!」


仕事から帰ったばかりの私に、妻は少し興奮して話しかけてくれた。


「へぇ~っ。今でも自転車で配達しているのかなぁ?」

「こんな高台に自転車で来れるわけないじゃない。車に決まってるでしょ」

「あぁ、それもそうだな。自転車と比べても、牛乳をたくさん積めるしね」

「牛乳にもいろいろ種類があって、牛乳以外のものも取り扱っているそうよ」


と、妻は営業の方にもらったパンフレットを見せてくれた。いろいろな商品を扱っているようだ。


パンフレットを見ていたら、昔のことが思い出されてきた。


1970年代後半、私が小学生になる前後のことか。私の家の周りではどこの家にも、玄関先に木箱が掛かっていた。牛乳瓶を入れる箱である。我が家は確かM乳業さんだったから青い箱だった記憶がある。それぞれの会社によって箱の色は異なっていて、カラフルだった。我が家が「普通の家庭」だったのかどうか、それはわからないが、少なくとも我が家には毎朝、「新聞」と「牛乳」が届いていた。


牛乳は1Lのガラス瓶に入った大きなもので、毎日1本届けられていたように思う。幼稚園のころは、身体が弱く、食も細かった私を気遣って、毎日ヨーグルトをつけてくれていたように覚えている。ヨーグルト、と言っても、最近のヨーグルトのように「ドロッ」とした感じではなく、プリンのような硬さで、スプーンですくっても型崩れしなかったように記憶している。今振り返ると、両親に大切にされていたのだと思う。


牛乳瓶の蓋は厚紙でできていた。プラスチックの柄の先に、円形の柔らかいプラスチックと、金属製の針がついていて、ふたに針を刺しててこの原理で力を加えると、柔らかいプラスチックと針に挟まれて、厚紙の蓋が取れるようになっていた。そのような蓋開けの器具もあったが、実際は、厚紙の縁を爪で少し剥がし、そこを爪の先で掴んでふたを開けることがほとんどだったように記憶している。


学校の給食も「瓶」の牛乳の学校もあれば、今はなき「テトラパック」での牛乳の学校もあった。私の通学していた小学校は「テトラパック」だった。


今では紙パックの牛乳も「直方体」の容器になっているが、この形の容器、形を作るのに折り畳んだりなんだりと手間がかかる(もちろん機械がしてくれるのだが)。テトラパックは容器のもととなる筒状の紙を、牛乳を適切な量入れた状態で、90度のねじれの位置で2か所止めれば完成となる。


小学校の給食の時間で、まず最初に習うのは、「牛乳パックの畳み方」だったと記憶している。もう「テトラパック」の飲料は販売されていないので、今となっては何の役にも立たず、実践することさえできないが、飲み終わった牛乳は、テトラパックを折り畳んで回収、となっていたように記憶している。


小さいころには毎日使っていた「牛乳箱」だが、使わなくなったのはいつからだろうか?その辺りの記憶があいまいだが、確か小学校の高学年ころから、母が「生協」に加入して、「生協」の集団購入をするようになったように記憶している。


今では、各地域の生協(生活協同組合)も、個別宅への配達をするようになったようだが、私が小学校高学年くらいだから、もう40年ほど前か。そのころは、「個別宅への配送」は行なっておらず、何人かの加入者で「班」を作り、その「班」が決めた場所に週に2回、生協さんがトラックで配達に来ていた記憶がある。私もその荷下ろしを手伝った(手伝わされた?)記憶がたくさん残っている。


「生協」で、たまごや牛乳も買うようになったような気がするので、そのころに、「牛乳箱」を使うことはなくなったのかもしれない。ただ、牛乳箱はずいぶん長い間放置されていたような気がする。


「ねぇ、牛乳配達、どうする?」

「う~ん、今は牛乳箱もすごいね。しっかりと断熱効果が高いように設計されてるようだね」

「そうみたいね。配達は週に3回程度くらいだそうよ」

「まぁ、でも、今のところ、我が家は牛乳の使用量が不安定だから、適宜スーパーで買ってくるのが良さそうかなぁ。今回は見送ろうよ」

「そう…。まぁ、それもそうね。来週空き瓶を取りに来る、っておっしゃってたから、『主人がそう言った』という事でお断りするね」

「あいよ。りょうかいです」


という事で、残念ながら再度牛乳箱のお世話になることはなくなった。とはいえ、思い出せば、色々と思い出すものだ。自分がまだまだ子供で、親父もまだ仕事に行っていて、親父もおふくろも若かったうんと子供のころ。懐かしいといえば懐かしい。昭和50年前後の思い出である。



余談

「箱」のお題が出て、「牛乳箱」の他にも、「骨壺を入れた箱」とか、「棺桶」、「核シェルター」「箱もの行政」「マトリョーシカ」「びっくり箱」などいろいろ考えたのですが、どれもピンときませんでした。。「牛乳箱」のノスタルジーに引かれ、調べてみたら、今でも牛乳配達が続いていることにびっくりしました。ただ、よく考えると、今の家に引っ越ししてきた当初に、牛乳配達の営業の方が来られていたことを思い出しました。なので、その辺りを思い出して書いた次第です。

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牛乳箱の思い出 川線・山線 @Toh-yan

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