妄走

七雨ゆう葉

愛の襷

 走る。走る。

 駆ける。駆ける。


 彼のその、滴る汗が。

 空から降り注ぐ陽光よりも、眩しく見えて。

 煌々と照らされた海面よりも、輝いていて。

 私の芯を、瑞々みずみずしく貫く。


 吸って。吸って。

 吐いて。吐いて。


 均整の取れた、その激しいリズムに。

 私はじっと耳を澄ませ、身を委ねた。


 私の待つ場所まで、あと数メートル。

 険しくも凛々しい表情で駆けていく彼。

 沿道に群がる群衆を押しのけ、私は前へと乗り出した。


 風に揺れるたすき

 二人を遮るのはもう、一台の中継車だけ。



 瞬間、彼と眼が合った。



 近づく距離。紡がれる赤い糸。

 すると均整の取れていた彼のリズムが大きく乱れる。


 もしかしたら、驚かせてしまったのかも。

 繋がれた糸がほつれないように。たゆまないように。

 私は彼に合わせるように、歩道を駆け出した。


 追いかける。

 追いかける。


 さり気なく横目を流し、彼が再び私を見た。

 嬉しい。

 こんな時にでも、私のことを気にかけてくれるなんて。


 私は大丈夫。

 だから、頑張って。


 彼の速度がさらに速くなった気がした。



「バサッ!」


 そして、次の走者へと託されたたすき

 彼は停止し、駆け寄るチームメイトからタオルを掛けられた。


 ごめんね。

 本当は私がするべき役目なのに。

 そばに居てあげられなくて。



 でも良かった。

 彼は箱根区間賞をとり、さらに歴代最速記録をたたき出していた。


 私のエール、ちゃんと届いたみたい。

 彼は何かに逃げるように、休憩所のテントへと消えていった。


 もう、そんなに照れなくていいのに。

 私は小指に繋がれた赤い糸をじっと眺め、微笑む。


 だが同時にふと、うっすらと滲んだ赤いこうに目が留まった。



 そうだ。

 解体したアレ。

 にまだ、ほったらかし。



 彼の夢と私との関係を邪魔する、一番の取り巻き。


 だって。

「あたしが彼女だ」って。

「だからもう近づかないで」って。

 しつこく言い張るもんだから。


 でも、もう大丈夫。

 真紅にまみれた小指を空に掲げ、私は笑みを零した。


 おめでとう。

 今年は二人で。

 愛のたすきを繋ごう。



 なんて、ね。

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妄走 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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