それがゴミとなる前に~残り1箱分の生と死

枠井空き地

空き箱がゴミへと化す前に


 夜、燦然と輝くLEDの看板たちには決して照らせぬ路地裏……

「……チッ、ここにも付いてやがった」

 男は胸ポケットに入っていた煙草の箱に舌打ちをくれた。どうやらが胸ポケットの中にまで浸透し、箱にまで到達してしまったらしい。男は箱を通りの方から差し込む明かりに照らす。そこには赤と黒の中間に近い色の染みができていた。

「クッソ……まぁ中身は問題ないだろーが……」

 ハッキリ言って、男は苛立っていた。卸し立てのジャケットを汚されたこと、そしてその原因を作ったやたらと抵抗したにも。かつて第二級要対処指定亜人デミリストに載っていた――もっとも、明日からはもう載っていないコイツ、通称は……何だったか……とにかく人狼ウェアウルフだったらしいコイツに一瞥をくれた彼は血のにじんだ箱から煙草を取り出した。


「これであと二本か、まったく……」

 もう残りも少なくなった相棒に火をつけ煙をくゆらせる。ちょうどその時彼の携帯の着信音が鳴り始めた。面倒くせえ、どうせかかってくる内容はわかっている。十中八九オペレーターが仕事の結果について聞いてくるだけだ。わかっているゆえに、それが更に面倒くささを加速させる。しょうがなく彼は電話にこたえる。


「ああ、よ、ツラも確認した、写真通りの顎髭だったよ……さっさとボディの回収班をよこしてくれ、場所は、そうだな……三番地の路地、それもちょうど飲み屋が詰まった雑居ビルと、個室ビデオ屋が隣り合ってるのが隙間から見える、さっさとよこしてくれ」

 そう言い放つと彼はさっさと電話を切った。向こうが折り返してこようが知ったことではない。当然、再度電話が鳴り響く。もちろん男は着信拒否を迷わず押した。しかし、また鳴り響く。いつものことなら一回拒否したら呆れてそれで終わりだった。


――ひょっとして。

 一つ心当たりのあった彼は画面を見る。やはり先ほどのオペレーターではない、それは彼と同様にを行う同僚からのものだった。

「『ラングトン』らしきヤツをめっけたぜ、大通りの3ブロック目を南下してる」

「よし、分かった、すぐ行く……そっちは手を出すなよ」

「ああ、わかってる!こっちも死にたきゃねえかんな」


 ラングトン、それは彼のお気に入りの標的、第一級要対処指定亜人だった。おそらく吸血鬼とみられているそいつの名の由来はソレが残したに由来する。死体のみが残された凄惨な現場には必ず漂っていた匂い、それが彼自身も愛用する煙草の銘柄『ラングトン』に似ていた。その匂いの親近感と現場から分かる美しいまでのから、彼はその標的に執着するようになっていた。

 

 吸っていた煙草を消し、路地裏から出て標的との合流が予想される地点まで歩く。彼の黒いジャケットははたから見ればその血を隠していたので、人込みでも堂々と闊歩できる。その間手持無沙汰だった彼は、いつしか残り二本しかないラングトンの箱をいじりだしていた。

 男は何故かその箱に少しばかりのシンパシーを感じていた。血みどろになりながらも中の煙草を守るという役割を守り続けるソイツに男は自分を重ねていたのだ。

 彼自身も結局は標的を狩る、という役割のみで当局に雇われているだけの身、いずれ役目を全うできなくなる、つまりはさっきのあいつのようになる日が来れば、ただの物言わぬ蛋白質の塊と化す運命だ。たった二回煙草を吸っただけでゴミとなるコイツの運命と、どっちが早いか。

 

 そう考えているうちに目標地点まで着いた。着いてしまったともいえるが、男はそこで辺りを見回す。深夜だが大通りゆえ、人は多いがその中に標的を見つける。さっきメールでもらった通り、目深にかぶった帽子、漆黒のジャンパー、そして背丈はおおよそ一六〇センチ、間違いない。

 男はターゲットの後ろにつく。位置はピッタリ十メートル背後、ハッキリ言ってそれはバレバレの尾行だった。だが、それでいい。相手はこちらに気付いたのか、歩く速度を少し変化させる。男はそれに食いついて行く。やがて人気のない通りに行き着いたラングトンは、これ見よがしにゆっくりと路地裏に消えていった。よし、ここまでは予想通り。

 彼の今までの調査――本当に微かな足跡や破片を拾い上げるそれはそれは綿密な調査から、ラングトンのやり口はシミュレーションできていた。こうやって尾行してきている相手を上手く誘導し路地裏で、やる。つまり、これについて行けば相手の手駒にされるだけだ。だが、路地裏という舞台は彼にとっても都合がよかった。ゆえにその手に完全に乗ることを選んだ。そのため、彼はラングトンが彼の予想通りに彼を罠にかけることを望んでいたのだ。

 狩人は、いつしか標的を信頼しだしていた。


 彼はその路地裏に入り込む。入口から少し入ると曲がり角があった、そこを曲がるとまた更に狭い小道、人ひとりが通れるくらいの幅、しかしもっと注目すべきことは五メートルほど先に立ちふさがるラングトンだ。

「……名前は名乗らんぜ、どうせどっちかが死ぬからな」

そううそぶくと、男は懐から脇差を取り出す。やっぱり人型相手、そして狭い空間ではこれがピカイチだ。男が構えるや否や相手は一気に突っ込んできた。それに応じ彼はすぐに突きを繰り出す。

 左右に行動が制限されるこの状況でこの突きをよける選択肢は二つ、上か、下か。奴は下を選ぶ、男は確信していた。この状況の時奴は跳躍するのではなく、あえて地面すれすれまで潜り込んでそこからアッパーカットのように顔めがけて振り上げる。それが調査からうち出した予想だったが、それは見事に的中した。

 ラングトンは地を這うような前傾姿勢からこちらに潜り込んできた。それを予期していた男はすぐに刀から左手を放し、両腕を広げ、一気に状態を反らす。直後、恐ろしく尖った爪が目の前をかすめる。男にはそこについた肉片と血まで見る余裕があった。その余裕のまま右手に握っていた脇差を標的に向け……られない。ラングトンの蹴りが右手に命中したのだ。その人間離れしたパワーから脇差は手から吹き飛ばされ、男の体も少しそれにつられて回る――ここまで、彼の描いたプラン通りであった。

 回転の勢いが付いたそのままに彼は左手を標的の胸の前に押し当て、強く握りしめた。瞬間、手首の部分が強く輝き、腕時計のようにはめられていたリングから多数の聖別された銀の弾丸が飛び出す。簡易的な対吸血鬼用のショットガン、これこそが彼の切り札だった。

「グウッ……」

大量に飛び出た弾丸は吸血鬼の肉体を確かに穿ち、大穴を開けたように見えたがしかし、

――僅かに浅い!

 

 男のプランではその一撃である程度の鎮圧が見込まれていた。しかし、手負いの標的は最後の力を振り絞り、男の腹部にその拳を叩き込んだ。

「ガ、アァッ!」

己の肉がぶち破られるのが感じられた。男はその疲れた勢いも利用し、後ろに下がる。すぐに反撃の構えをとろうとしたが、その必要性はなさそうだった――浅いとはいえ確実な傷を負わせていたようだった。傷ついた標的はこちらに追撃しようとはせず、壁に背をつけ座り込んでいた。さっきまで被っていた帽子が落ち、その顔をさらけ出していた――なんだ、女か、そうは思ったもの、それ以上のことはどうでも良かった。今はもっと重要なことがある。


「クソッ……タレ…………こりゃあ、きついか?」

腹部に手を当てる。放出されたアドレナリンであまりいたくはない。しかし手で触ったその感覚で、おそらくの状態を掴む。ふと、相手はどうかとそちらに視線を当てる。どうやら彼女も同じことをしていたのか、傷に手を当てながらこちらと目があう。お互い何も言うことはなった。彼女は何か言いたそうにしていたが、男の傷に目を向けるとその口を閉じた。何を考えているかは少しだが分かる。俺も今その気分だからだ。


 ふと彼女が視線を下に落とす、見れば彼女の傍らの血だまりにはラングトンの空き箱が落ちていた。それはおそらく彼女の服から落ちたものだったのだろう。

 そうか……あの匂いは本当にラングトンだったか、じゃあ、おんなじ物を吸っていたんだな。あまりに違うお互いの、たった一つの共通点であったが、彼にはそれだけでよかった。男は彼女の隣に座りこみ、血にまみれ震える手で、残った最後のうち一本を差し出した。


「ほら……最後の一服だ……」

「…………何で、そんなことを……?」

「……わかんねぇ……わかんねぇけど…………やるよ」

 絶え絶えの息で男は応える。そして最後の一本を加え、火をつける。男はその火を今度は彼女が加えたそれにも分ける。辺りはラングトンの少しミントの混じった匂いに包まれる。


 二人の足元には空き箱が二つ、役目を果たし、ゴミと化したそれはしかし、今ここを照らす確かな明かりを与えてくれた大切な相棒たちだった。

 

 街の明かりすら届かぬ夜の路地裏を、二つの微かな光だけが照らし続けていた。

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それがゴミとなる前に~残り1箱分の生と死 枠井空き地 @wakdon

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