三十二の巻 裏の調査

    [三十二]



 翌日の朝。

 幸太郎は食材を冷蔵庫から取り出し、調理をしてダイニングテーブルへと並べていた。

 今日の献立は、パンと焼きベーコンとハムと目玉焼き、それから卵スープという汁物、それにサラダのようじゃ。

 ようわからんが、今日は米ではないようじゃの。

 というか、幸太郎はここに来てからというもの、料理番となっておるのう。

 まぁ仕方があるまい。居候みたいなもんじゃからの。


「ふぅ、とりあえず、こんなもんかな。かなり手抜きだけど。さて、沙耶香さんを呼びに行くか」


 どうやら準備が整ったようじゃ。

 幸太郎は沙耶香を呼びに行った。

 程なくして、部屋着姿の沙耶香が、リビングへとやって来たのじゃった。

 とはいえ、化粧や髪は粗方整えてあるので、着替えればすぐに出社できる姿じゃった。

 恐らく、自分の部屋で準備をしとったんじゃろう。

 そんな沙耶香は、テーブルの朝食を見て、ニコリと微笑んだ。


「あら、今日は洋食ね。昨日、一昨日が和食だったから、ちょうど良かったわ」


 幸太郎は沙耶香の椅子を引いた。


「どうぞ、沙耶香さん」


 沙耶香は椅子に腰掛ける。


「ありがとうね、三上君。いや、助かるわ。私、料理って苦手なのよね」


「へぇ、そうなんですか。まぁ俺も得意ではないですけどね」


 などと言いつつ、幸太郎は沙耶香の対面に腰を下ろした。


「では、頂こうかしら」


「どうぞ、召し上がってください。俺も、頂きます」


 そして朝食が始まった。

 ちなみにじゃが、沙耶香が手配した家具類は、数日前に搬入が終わり、この4LDKの空間も生活感が出てきたところじゃ。

 食材等の買い出しは、幸太郎が一昨日、近くのスーパーで買ってきたモノであった。

 生活費に関しては全て沙耶香持ちなので、幸太郎はある種のヒモ状態かものう。

 幸太郎は別段気にしてはおらぬが、ちょいとばかり情けない状況じゃな。

 立場上、沙耶香の方が上じゃから、仕方ない事じゃが。


「あ、そうだ、三上君。貴方に言わなきゃいけない事があるんだった」


 食べ始めたところで、何かを思い出したようじゃ。


「ン? なんですか?」


「昨日、貴方が施した道切りの術の事よ」


 ほう、それの事か。

 道切りが上手くいかなかったのかのう。

 我には問題ないように思えたがな。


「なんか不味かったですかね?」


 沙耶香はやや曇った表情であった。


「いや、不味くはないんだけど……そのなんていうか……ウチの道師みちのし達が知らない呪術なのよ。だから今後は、貴方の術はあまり使わないでほしいの。いい?」


「は? 知らない術? ええっと……俺が使っている呪術って、もしかして、あまりメジャーじゃないんですか?」


 沙耶香は申し訳なさそうに、首を縦に振った。


「言いにくいんだけど……そうなの。実は昨日、結界専門の道師に連絡して、現地に向かわせたら、ちょっと騒ぎになってね。見た事ない強力な結界で、道切りが成されてるって、夜中に報告が入ってきちゃったのよ。貴方に写真送ってもらった時、九字切りの呪法かと思ったんだけど、違うのね?」


 どうやら、沙耶香も勘違いしてたようじゃな。

 今の世は、臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前の九字切りの咒が幅利かせとるようじゃ。

 九字切りの咒も方術じゃが、なんか気に入らぬな。


「アレは違いますよ。疫病神式の道切りの術紋なんで」


「私も迂闊だったわ。まぁ要は、目立つからって事ね。貴方……というか、ヒミコ様の術はちょっと特殊なのよ。だから、使わないでほしいの」


 気に入らぬが……郷に入ったら郷に従うしかないかものう。


「そうですか。では、貴堂家に仕える道師みちのしの呪術を習得するしかないって事ですね?」


「ええ、それでお願い。恐らく、宗厳翁もそう言うと思うから」


 致し方あるまい。


「わかりました。では、沙耶香さん、道師の呪術を教えてもらえますか? 流石にすぐには使えませんので」


「良いわよ、今晩ね。その代わりと言ったらなんだけど……」


 すると沙耶香は、恥ずかしそうに幸太郎を見ていたのじゃ。

 次の言葉が出てこぬところを見ると、言いにくい事なのかものう。

 幸太郎も首を傾げておるわ。


「その代わり……の続きが気になるんですけど」


 沙耶香は若干頬を染めつつ、言いにくそうに話を切り出した。


「ねぇ、三上君……昨晩したやつなんだけど……後でしてほしいの……いい?」


 ほう、沙耶香はアレが気に入ったようじゃな。

 グッスリ寝れたんじゃろう。

 それとも……別の理由かの。ほほほほ。


「昨晩? って……タオを操るやつですか?」


 沙耶香は恥ずかしそうに頷いた。


「うん……ダメ?」


 幸太郎は少し渋い表情であった。

 他人の道を操るのは面倒だからじゃろう。

 

「まぁ良いですけど……まだ疲れが抜けないですかね? 昨晩は開陽かいよう揺光ようこう玉衡ぎょくこうの道に気を通したので、結構、疲れは取れたと思うんですけど」


「う、うん……まだちょっと、残ってるかな」


 沙耶香はぎこちなく返事をした。

 ほうほう、これはもしや……。


「わかりましたよ。では後で、少ししましょうか」


 幸太郎はやや微妙な表情じゃが、沙耶香はそれを聞き、嬉しそうに微笑んでおった。

 なるほどのう、ちょっと心境に変化があったようじゃな。


「じゃあ、お願いね」――


 朝食の後、2人はリビングに行き、昨晩のような体勢になった。

 沙耶香は幸太郎に包まれるように後ろから抱かれ、嬉しそうにしておるわ。

 しかも、幸太郎にもたれるように身体を預けているのう。安心しきっとる感じじゃ。

 昨晩、妙な安心感があると言うてたが、沙耶香はもしかすると、幸太郎にこうして欲しかったのかもしれぬ。

 こういう男女のふれあいを、沙耶香は昨晩、初めて経験したのじゃろう。

 つまり……沙耶香は処女なんじゃろうな。

 ほほほほ、初々しいわい。


「三上君……ごめんね、こんなお願いをして……あん……」


 幸太郎にタオを操って貰いながら、沙耶香は恥ずかしそうに、そう言った。

 沙耶香の後ろから身体を密着させる幸太郎は、意に返した素振りもなく、それに答えた。


「別に謝らなくていいですよ。それに、沙耶香さんみたいな可愛い女性に、こんな事をさせてもらえるとは思いもしなかったので、実は俺も、そんなに嫌じゃなかったりしますから」


「え……」


 沙耶香は少し驚いた表情で、後ろを振り返った。

 そして幸太郎と目が合った。

 その瞬間、幸太郎は罰の悪そうな顔になったのじゃった。

 ついつい本音が出たようじゃな。

 ほほほほ、ウケる。


「すいません……何言ってんだ、俺。まぁ今のは無視してください。別に、変な下心とかはないんで」


 沙耶香は恍惚とした目で、幸太郎を見上げていた。


「三上君……この前も言ってたけど……私って……可愛い? そんな事言われたの……小学校以来だから」


 幸太郎は自然体でコクリと頷いた。


「はい、凄く可愛いですよ。外見もですけど……なんというか、厳しさの中にある優しさのギャップと言いますか、そういうのが見え隠れするんで、俺的にはそう思えるんですよ。変ですか?」


「うふふ……なんでもないわ。そうなんだ」


 沙耶香は視線を前に戻し、嬉しそうに微笑んでいた。

 おう……これはもしや、今の世で言う、ラブコメとかいうやつかの。

 というか、幸太郎はこういう時、思った事を素直に口にするのう。

 普通は照れて、天邪鬼な返しをする者が多いのじゃがな。

 不幸続きで、感覚が普通の者と違うのじゃろう。


「あ、そうだ、三上君。もう1つ、言っておく事があるの」


「もう1つですか……で、次は何ですか?」


「今日はもしかすると、少し面倒そうな仕事があるかも知れないわ。私も立場上、断るに断れなくて……ごめんね」


 沙耶香はそう言って幸太郎に振り返り、申し話なさそうに見上げた。

 その仕草で色々と察したのか、幸太郎はそこで諦めたように目を閉じた。


「という事は……また道師みちのしの案件ですか?」


「うん……でも、嫌だったら断ってもいいのよ」


 沙耶香は無理強いをせぬようじゃが、色々と都合の悪い事もあるんじゃろうの。


「その様子だと……断れば、沙耶香さんの立場的に、あまりよろしくなさそうですね。まぁとりあえず、受けますよ。で、どんな案件なんです?」


「報告では化け物が突如現れたと聞いたんだけど……よくわからないのよ。しかも、襲われて重傷者が出たの。それも……私の部下の道師がね」


 ふむ、呪術者に手傷を負わす化け物か。

 手強そうじゃの。


「化け物ねぇ……それはまた大変そうな案件です。でもそういう事態だと、俺も身を護る為に、疫病神から習った術を使わざるを得ないかもしれませんが……良いですか?」


「その判断は、三上君に任せるわ。出来れば使わずに何とかしてほしいけど……」


 なかなか難しい事を言いよるの。

 とはいえ、諸々の事情を知った幸太郎なら、なんとかするじゃろ。


「とりあえず……その時は、痕跡を残さないようにはしてみます」


「ごめんね、三上君」――


    *


 幸太郎と沙耶香は会社へ出社すると、朝礼があり、その後、別行動となった。

 沙耶香は、土地開発事業部の統括部長という管理職なので、当然じゃな。

 じゃが、今日の沙耶香は少し様子が変じゃった。

 やや不安気に、幸太郎を見ていたからである。

 今朝言っておった仕事とやらが、あまりよくない案件なのかものう。

 ほほほほ、ならば、今日も楽しめそうじゃな。

 久しぶりに、幸太郎と妖魔が相見あいまみえる姿を期待するとしようぞ。

 さて、そんな事はさておき、幸太郎は今、土地調査部の社員に案内され、とある部屋へとやって来たところじゃった。

 ちなみにそこは、幾つもの棚に、沢山の書物が綺麗に並ぶ部屋であった。

 入口に調査資料室と書いてあったので、そういう所なんじゃろう。


「さて、三上君、ここが目的の調査資料室だ。来る途中、一通り、社内の説明をざっとしたけど、どう? 少しは憶えられたかい?」


 幸太郎を案内したスーツ姿の男前な青年が、そう訊いてきた。

 名は斉木勇士というそうじゃ。

 年は30歳前後といったところかのう。

 幸太郎くらいの上背で、サラッとした長めの髪をしており、肩に付きそうな襟足が特徴の男であった。

 全体的な容姿は、スタイルの良い、イケメンサラリーマンといった感じかの。

 こりゃ、女子にモテそうじゃな。

 実際、ここに来る途中、擦れ違った女子共は、斉木という男に色目を向けて挨拶をしてきたからのう。

 ちなみにじゃが、この男が幸太郎の所属する土地開発事業部の主任らしい。

 まぁ早い話が、幸太郎の直属の上司というやつじゃ。

 じゃが、気配が普通の者と違うのう。

 という事は、この男もそうかもしれぬな。


「はい。といっても、少しだけですが。とりあえず、これから色々と経験して憶えていきます」


「だよね。今日で2日目だしな。ちなみに、昨日なんだけど……貴堂部長の指示で、開発部の北条君と、調査に向かったんだって?」


「ええ、そうなんですよ。出社して、いきなり、クレームの調査に向かうとは思いませんでした。まぁでもお陰で、少し勉強にはなりました」


 斉木はそこで渋い表情になった。

 

「あそこ……首吊りがあったそうだね。まぁそれ以外にも、騒音やらセキュリティーの面でクレームも来てるそうだし、色々と面倒臭い事になってるらしいし。開発部の新人である北条君も、研修明けにいきなり面倒な案件に出くわして、困ってたそうだ。で、どうなの? 上手く行ったのかい?」


 幸太郎はとりあえず、首を縦に振った。


「たぶん、上手くいったんじゃないですかね。後は、部長が何とかしてくれると思います」


 すると斉木はニコリと微笑み、幸太郎に小さく囁いたのであった。


「という事は、道師みちのしとして仕事してきたって事かな、三上君」


 幸太郎は少し驚いた表情をしていた。

 まぁそうなるじゃろう。

 突然、この言葉を言われたらの。


「え? 知ってるんですか?」


「ああ、知ってるよ。君が道師って事もね。検定結果を見たよ。凄いね、君。あ、そうそう。言っておくが、俺も道師だから、普通にしてくれて構わないよ」


 ほう、そういう事か。

 どおりで、普通の者と気配が違うはずじゃ。


「そうだったんですか。貴堂部長からは、社内でその言葉をみだりに口にしないようにと、念を押されてたので黙っていたのです」


「それはそうだよ。道師は秘密集団でもあるからね。おまけに、土地調査部にいる道師は数人しかいないし。ちなみに、俺は君と同じ道師だから、そこは安心してくれ。さて……では、始めるとしようか」


 斉木はそう言って、資料室の扉の鍵を閉める。

 そして、中央の長机の椅子を引き、腰を下ろした。


「三上君もそこに掛けてくれるかい? 今日、ここに君を連れてきたのは、他でもない。我々、土地調査部の仕事を説明する為だよ。勿論……裏の方の仕事だがね」


 斉木はそう言って、対面の席を指さした。

 幸太郎はそれに従い、椅子に腰掛ける。


「裏ですか……なんかヤバそうな感じですね」


「まぁそれはね。で、ここからが本題だが……君は化け物や悪霊との戦闘経験はあるのかな?」


「ええ、まぁ多少は……」


「なら、話は早い」


 すると、斉木はそこでタブレットパソコンを操作し、幸太郎の前に置いたのじゃ。


「三上君、そこにある動画を再生してくれ。ちなみにそれは、防犯カメラの映像だよ」


「はい、では」


 幸太郎は言われた通り、動画を再生した。

 その直後、タブレットパソコンに画像が映し出される。

 それは、やや斜め上から見下ろす形の動画であった。

 本当に今の世は便利じゃのう。

 さて、それはさておき、映っておるのは、術者と思わしき神主姿の男が、呪符のようなモノを手にして、構えておるところじゃった。

 近くに木々や鳥居があるのを見ると、場所はどこかの神社の境内のようじゃな。

 また、夕日を思わせる黄金色の光が射し込んでおるので、時間帯は恐らく、そのくらいじゃろう。

 男は相手を窺うように、呪符を構え続けている。

 と、次の瞬間、警戒する男の真横から、黒い獣が飛び掛かってきたのじゃ。

 男は不意を突かれたのか、成す術なく黒い獣に吹き飛ばされ、木に激突していた。

 黒い獣はどことなく、猿のような四つん這いの動きじゃったが、画像が薄暗いのと動きが早いのとで、よくわからなかった。

 じゃが、禍々しい存在なのは、画面を通しても伝わるくらいじゃった。

 黒い獣は追い打ちをかけるかの如く、男へと更に飛び掛かろうとしていた。

 じゃが、男も負けてはおらなんだ。

 男はそこで呪符に力を籠め、黒い獣へと解き放ったからじゃ。

 呪符は青い光を放ち、黒い獣へと迫る。が、しかし、黒い獣に到達はせなんだ。

 なぜなら、そこで黒い獣は足を止めたからじゃ。

 恐らく、嫌な気配を察知したんじゃろう。

 程なくして、黒い獣は翻り、颯爽とこの場から立ち去ったのじゃった。

 男はそこで、事切れたかのようにバタリと地に伏せた。

 すると、動画はそこで終わっていたのである。

 幸太郎は顔を上げた。


「斉木さん、これは?」


「見ての通りだよ。その神主みたいな男は、土地調査部の調査員でね。俺の同僚だ。勿論、彼も道師みちのしだよ。しかも……なぜか、自分の家の敷地内で襲われている。ちなみに、これは昨日の夕刻の映像だ」


「昨日の夕刻……それはまた急ですね」


 確かに急じゃな。

 しかも、自分の家で襲われておるとはの。


「調査員がやられたとあっては、流石に放っておく事は出来ないんでね。そこでお願いしたいんだが……今、別の調査員2人に、この案件をお願いしているんだよ。だが、少し不安なんでね。君も同行してもらいたいんだ。本当は俺が行きたいところなんだが、別件の調査があるのでね。新人の君にこんなお願いをするのは気が引けるんだが……頼めるだろうか? 検定結果を見る限り、君は相当な術者のようだからね」


 幸太郎は渋々を装いながら頷いた。


「わかりました。私で良ければ、同行しましょう。貴堂部長からも、前もって話は聞いてますので」


「そうか、なら話は早い。では今から、今回の調査員2人の所へ案内しよう。付いてきてくれ」


 斉木はそう言って立ち上がった。

 幸太郎も席を立つ。

 そして2人は、この部屋を後にしたのである。

 さてさて、今度は何が始まるのかのう。

 楽しみじゃわ。

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陰の行者がゆく、不幸な呪術の旅 書仙凡人 @teng45

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