三十一の巻 タオ

    [三十一]



 幸太郎と日香里は、格子状に墨壺で線を描いてゆく。

 少々時間が掛かったが、ようやく今し方、2人は道切りの術紋をマンションの壁に描き終えたところじゃ。

 部分的にじゃが、何回も糸を引いて墨を打たんといかんので、疲れたじゃろうの。

 とはいえ、急場凌ぎの方法はこれしか幸太郎は知らぬからのう。

 まぁ我もじゃがな。

 さて、道切りの咒も終わりかの。


「こんなもんか」


 幸太郎が最後の咒印を筆で書き終えたところじゃ。


「これで終わりですか? 今、梵字のような紋様を幾つか書きましたけど……」


「これは梵字じゃないよ。まぁでも、とりあえずは終わりかな。応急処置だから、後は部長にお願いするよ」


 これ以上はどうする事も出来ぬからのう。


「おっと、そういや、応急処置が終わったら写真送れって部長が言ってたな。一応、送っとくか」


 幸太郎はスマホを取り出し、今描いた道切りの咒を写した。


「はい、送信と。これで終わりかな」


「三上さん……って、本当に陰陽師みたいですね。こういう結界って、ドーマンとかいうやつなんですよね?」


 日香里は妙な事を言いだした。

 幸太郎は苦笑い気味に、また首を傾げとるわ。


「ドーマン? ああ、道摩法師のやつね。まぁ格子状だから似てるけど、違うよ。アレは九字切りだし、これはまた別の術さ。とりあえず、霊の道を遮断する呪術とでも思っといて」


「そうなんですか。でも……よくわかんないけど、凄いです」


 日香里はそう言うと、興味津々の笑顔で、幸太郎の傍に来たのじゃった。


「三上さん……私、オカルトとかスパイものが大好きなんですよ。だから、もっと色々と教えてください」


 この顔を見た感じじゃと、本当に好きなんじゃろうのう。

 あのイベントでは、幸太郎をスパイと勘違いしてたくらいじゃしな。

 とはいえ、幸太郎も少し困り顔じゃの。


「また今度ね……これは、大っぴらに出来ない話だし」


 幸太郎はそこで周囲を見回した。

 マンションの周囲には、あまり人はおらぬ。

 じゃが、例え見られたとしても、使ったのが大工道具な為、呪術者と思われる事はないじゃろう。

 幸太郎もそれが故に、最近覚えた人除けの結界をせなんだに違いない。


「すいません、軽はずみな事を言っちゃいました。三上さんは道師みちのしですもんね。でも、今度教えてくださいよ。あ、そういえば、そろそろお昼ですし、どこかで食事にしませんか? さっき、美味しそうなイタリアンレストランがありましたし、そこに行きましょうよ」


 日香里はそう言って、来た道を指さした。

 なんというか、あのイベントでも思うたが、グイグイと来る女子じゃのう。

 ほほほほ、やはり、幸太郎が苦手なタイプじゃな。


「そ、そう……なら、そこにするかな」


「じゃあ、決まりですね」――


 その後、幸太郎と日香里は来た道を戻り、イタリアンレストランとやらに入っていった。

 緑と白と赤の四角い看板が一際目を引くのう。

 中はそこそこ混雑していたが、まだ空きテーブルはあった。

 幸太郎と日香里は、店員にそれらの1つへと案内される。

 そして、椅子に掛け、料理を注文したのじゃ。

 そこで日香里が、幸太郎に微笑んだ。


「ここって美味しそうなパスタが一杯ありますね。楽しみです」


「ああ、そうだね。俺もどんなボロネーゼが来るのか、楽しみだよ」


 幸太郎はそう言って周囲を見回した。

 洋風な装いをした店内は至って普通じゃった。静かなもんじゃ。

 幸太郎はそこで目を閉じ、暫し感傷に浸ったのである。

 無理もないのう。

 今まで、厄落としをした時くらいしか、まともに外食をできた試しがないからの。

 陰の気が溜まっておる時は、隣のテーブルの客が、『手が滑った』とか言って、ナイフやフォークに箸が飛んできた事もあったくらいじゃ。

 挙げ句の果てには、出来たての熱い料理が、幸太郎の頭上に降り注ぐ事もあったからのう。

 辛かったじゃろうて。

 貴堂沙耶香、様様じゃな。


「どうしたんですか、三上さん。目を閉じて、妙にしんみりとしてますけど……」


「いや、普通って素晴らしいって、感動してたんだよ……」


「なんですか、それ。変なの」


 日香里はそう言って微笑んだ。

 空洞で幸太郎がした不幸話を信用しておらぬのじゃろう。


「それはそうと、三上さん……その節は本当にありがとうございました」


 日香里は畏まった仕草で、幸太郎に頭を下げた。


「いや、お礼はいいよ。あんな悲しい結末だったしね。それはそうと……日香里ちゃんは大丈夫? 俺も、ちょっとやり過ぎたかなって思ってたんだよ」


 確かに、反魂の術はやり過ぎたかもの。

 あの場にいた者達は皆、恐れおののいておったしな。


「それはもう大丈夫です。悲しかったですけど……どうにもならないですから。小早川に……天罰が下るのを願うばかりです」


 日香里は表情を落とし、下唇を噛んだ。

 本当は悔しいんじゃろうの。


「小早川か……とんでもない悪党だったな。そう言えばアイツ、支配人も殺して埋めてたらしいね。おまけに2人目からは、全部偽名でホテルに泊まってたそうだ。タチの悪いシリアルキラーだよ。まぁでも……たぶん、死刑だろうけどね」


「私……アイツが今も、のうのうと生きてるのが許せないんです。でも……後はもう、司法の判断に委ねるしかないんですよね。なんなんでしょうね……もっと、酷い目に遭えばいいのに! って思ってしまう自分がいるんです。こんな事を考えるのも嫌なのに……」


 日香里は辛い表情で、握り拳を作っていた。

 まぁそれが普通の反応じゃろうの。

 人はそこまで利他的には生きられぬわ。


「それは大丈夫だよ。アイツ、早速、酷い目に遭ってるから」


「え? 本当ですか?」


「これは聞いた話だけど……アイツが拘置所から護送される時、突然、強い風が吹いて、どっかの看板が飛んできたらしいんだ。そして、その看板が、アイツの首の辺りに直撃したそうなんだよね。で、それが原因で脊髄損傷して、一生寝たきりになるかもだってさ。バチが当たったんだよ。まさに、死んだ方がマシな状況だな」


 濃縮した陰の気をかなり受け取ったからのう。

 なかなか悲惨な目に遭うてるようじゃ。

 そう言えば、幸太郎は以前、悪い陰の気というのは、悪い縁起そのモノなのかもしれないと、言うてたの。

 よって、それが溜まれば、強い悪縁も引き寄せられる事になると。

 だから……悪い時ほど、悪い事が重なるんじゃないか? と言うておったわ。

 実際にそうなっておるから、妙に説得力のある言葉じゃった。

 まぁとはいうものの、その後、幸太郎は、『だからお前は、疫病神そのモノなんだよ!』と、捨て台詞を吐いておったがの。


「え! 本当ですか、その話!?」


 日香里は口元を押さえ、驚いていた。


「春日井さんから聞いた話だから、本当だと思うよ。まさに天罰だね。自分で死ぬ事すらできなくなったからな。今後……アイツは嫌というほど地獄を味わうんだろうね。まぁ当然の報いか……」


 小早川には哀れな最後が待ってそうじゃな。

 あれだけの不幸の気を魂が取り込んだら、後はもう悲惨な末路しかない。

 幸太郎以上の不幸が来るからの。

 しかも、なぜかそれで死なぬのじゃ。

 ある意味、地獄の日々が続くのじゃよ。

 怖いのう。


「それを聞いて、姉も報われた気がしました」


「小早川はこれから沢山罰を受けるよ、それこそ、自分の過ちを後悔するくらいにね。だから、日香里ちゃんも元気だして生きてゆこうか。お姉さんも、そう望んでいると思うから」


「はい、三上さん」


 日香里は少しスッキリした表情になっておった。


「それはそうと、三上さん……CNTしてますか?」


 幸太郎曰く、このCNTとはスマホのSNSアプリというやつだそうじゃ。

 最近流行っとるみたいじゃの。

 我は何のことかわからぬがな。

 そういえば、以前、貴堂沙耶香ともこれで連絡を交換しておったのう。


「ああ、してるよ。CNT交換する?」


 日香里はニコニコと微笑んだ。


「やったぁ、お願いします。この間のイベントで交換しようと思ってたんですけど、色々とあってできなかったんですよね。よかったです」


 こんなやりとりをしつつ、昼食の時間は過ぎてゆくのじゃった。


    *


 幸太郎が初出社したその日の夜の話じゃ。

 食事を終えた幸太郎と沙耶香は、リビングにて霊的技能の訓練を行うところであった。

 といっても、教えるのは沙耶香ではなく、幸太郎じゃがの。

 2人は今、リビングの中央に腰を下ろし、対面で禅を組んだところじゃ。


「禅を組んで心を落ち着けたわよ。さて、じゃあ、教えてくれる? 貴方がしている霊力を高める修行とやらを」


「その前に……1つ訊いてもいいですか?」


「何?」


「沙耶香さんは霊力を高める時、正丹田から練り上げると、この前言いましたよね?」


「ええ、言ったわよ。それがどうかした? というか、今の呪術界の基本よ」


 沙耶香は正丹田から気を練るのを基本と言うたが、我等の術の理と微妙に違うのう。

 徐福を系譜とする方術の全ては、タオの流れを知ることからじゃが、まぁ所変われば、というやつじゃろうな。


「それも間違ってはいないんですけど……俺が疫病神から習ったのは、身体にある7つの大きなタオを通り、陰の気を練るというモノでした」


「タオ? もしかして、古代中国の神仙思想に出てくるタオの事?」


 ほう、知っておるようじゃな。

 ならば、話は早いか。


「たぶん、その解釈で良いと思いますよ。疫病神から習った呪術や方術は、秦の方士・徐福が起源らしいのでね。当時の神仙方士とは、後の道教へと続く系譜ですし、そういう意味では、神仙思想は大いにあったと思います。とはいえ、道教は老子の考えるタオの思想が根底にあるとは思いますんで、今言ったタオとは、また微妙に違うのかもしれませんが」


 徐福の名前を聞いた瞬間、貴堂沙耶香の眉がピクッと動いた。

 これは何かありそうじゃな。


「へぇ、秦の方士・徐福か……その名前を今、聞けるとは思わなかったわ」


「だそうですよ。俺も疫病神から聞いただけなので、本当の事はわかりません。ですが、この疫病神が徐福の流れを汲んでいるのなら、もしかすると、日本各地にある徐福伝説も、あながち、的外れではないのかもしれませんね」


 ふむ、徐福の伝説か。

 我も生前、どういう経緯で徐福の方術や呪術を受け継いだのかわからぬが、その記憶だけは残っておった。

 おまけに、その徐福の事で、何か重要な事があった気がするんじゃがのう。

 ううん、思い出せんわ。

 なんじゃったか……。

 

「三上君は……色々と勉強してるのね」


 沙耶香は感心したように、幸太郎を見ておった。


「それはそうですよ。不幸改善活動の一環なのでね。ま、それは今は置いておきましょうか。で、その7つのタオですが……ええっと、どう説明するといいかな……」


 幸太郎は悩んでおるの。

 仕方ない、背中を押してやるとするか。

 その後の展開も楽しそうじゃし。ほほほほ。


「幸太郎よ、そんなの簡単じゃ。何を迷うておる。沙耶香の後ろへ回って、タオを操ればよいだけじゃろうが」


「ええ、アレをするのか?」


 幸太郎は意図を察したのか、少し怪訝な表情をしておった。


「そうじゃ。お主が沙耶香のタオを操る方法が、一番わかりやすいぞよ」


「でも、沙耶香さん……たぶん嫌がると思うぞ。身体に触れる事になるし」


 すると沙耶香は少しムスッとしていた。

 我等が勝手に話を進めているのが、気に入らぬのかもの。


「ちょっと、私を除け者にしないでよね。それに、身体に触れるくらい、別にいいわよ。やましい事じゃないんでしょ?」


「ええ、まぁ、それはそうなんですけど……」


 幸太郎は尚も渋っておるな。

 これは面白そうじゃ。


「何の事か知らないけど、早くしてよ、三上君。2人だけで話されても、わからないんだから」


「じゃあ、しますけど……後で怒らないでくださいよ」


「怒らないから、さ、早く」


 幸太郎はしょうがないとばかりに、沙耶香の後ろへと回り、腰を下ろした。

 そして、沙耶香の背後から、両手を回して抱き締めたのじゃ。

 今の世の言い方じゃと、後ろからハグしてる感じかの。

 よく恋人達がやってるやつじゃな。


「え? み、三上君……どういう事」


 流石の沙耶香も、コレには少し恥ずかしそうにしておったわ。

 ここまで大胆に抱き着かれるとは思わなんだのじゃろう。

 ウケる。


「すいません、セクハラみたいな真似して。この体勢で沙耶香さんのタオを操るんですけど、いいですか?」


「う、うん……始めていいわよ。というか……三上君て、それなりに身体が大きいから、妙な安心感あるのね」


 少し頬を染めつつ、沙耶香は頷いていた。

 満更でもない感じじゃのう、沙耶香の奴。ほほほほ。


「安心? まぁよくわかりませんが、じゃあ行きますよ。では、まず1つ目……正丹田の位置にある開陽のタオから」


 幸太郎は沙耶香の臍の辺りに手をやり、タオを刺激した。

 そして、徐々に自身の気を送り込んだのじゃ。

 するとその直後じゃった。


「あ、ああ……やん……み、三上君……何コレ……ちょっと気持ちいい……あん」


 沙耶香は喘ぐような声を上げた。

 幸太郎は今の喘ぎを聞き、もどかしい表情になっていたのは言うまでもない。

 かなり困っとるのう。

 勃起しとるんじゃないじゃろうか。ほほほほ。


「あの、沙耶香さん……変な声を出さないでくれますか。集中できないんで」


「そんな事言われたって……あん……ああ……え、遠慮せずに、続ければいいわよ。やん……なんか、すごい身体が軽くなった感じがする……肩こりも消えたような……」


「そりゃそうじゃろうな。このやり方は本来、疲労回復の方法でもあるからのう」


 するとそれを聞くや否や、沙耶香は嬉しそうに微笑んだのじゃった。


「本当ですか、ヒミコ様。じゃあ、これからずっと、三上君にやってもらおうかな」


「なんスか、それ。まるで俺が、健康器具のような感じじゃないですか」


 幸太郎は面白くなさそうじゃな。

 面倒くさいんじゃろう。

 他人のタオを操るのは、意外と骨が折れるからの。

 これは良い。

 幸太郎の修行にもなりそうじゃわ。


「別に良いじゃない。それに私の修行にもなるんでしょ?」


「まぁ……そうですけど」


「じゃあ、続けて。もっと強くしていいわよ」


「はい、では」


 言われるがまま、幸太郎は少し気を強くした。


「あ、あん……ちょ、凄い、あん……」


 などという、他の者が聞けば誤解されそうなやり取りをしつつ、2人は暫し、食後の修行を続けたのじゃ。

 ほほほほ、これはこれで面白いわい。

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