空への誘い
月見 夕
空想の世界への片道切符
3/8
KAC期間中だ。今日は3つ目のお題が出る日。
お題が出たら何か書こうと思ってスマホを開くと、鳥山明氏が急逝した事を伝える速報の見出しが画面の真ん中に表示された。
あまりの衝撃に、何か書こうと思っていた創作脳はどっかにいってしまった。それくらいの一大事だった。
鳥山明氏は人間だ。人間はいつか死ぬ。だから遠からずそうなることは自明だったはずなのに。
いま私は閑散とした漫画喫茶でぼうっとしていることしかできない。涙も出ない。
その衝撃に打ちのめされたままのそのままの気持ちを綴るだけだから、これは小説じゃない。だからあなたは読まなくていい。これは私が落ち着くための宛所であり現実を受け入れるための儀式だ。
鳥山明氏の作品で一番に出てくるのは「ドラゴンボール」だろうか。人によっては「アラレちゃん」だったり、もしかしたら「ドラゴンクエストシリーズ」だったりするかもしれない。
私にとって「ドラゴンボール」は特別な漫画だ。凄く特別で、あれが無かったら空想をすることもなかったかもしれないし、今みたいに小説を書くことはなかったかもしれない。
私の母は厳しい人で、バラエティー番組はおろか漫画もゲームも許さない人だった。夜9時には明かりが消される家だったし、絵本と教育番組だけが私の娯楽だった。
対して父はとても自由な人だった。妻に何と言われようと毎週ジャンプとヤンジャンを買って読み自室に積み上げる人だった。だった、と書いているが両者存命である。
漫画という娯楽を知らない小学1年生の私に、父はこっそりとコミックスを1冊手渡した。それこそ母に見つからないように渡す様は薬の売人のようだった。
それが私とドラゴンボールとの出会いだった。
父が子供の頃、タイムカプセルにと実家の納屋のみかん箱に仕舞っていたものだった。1巻しかなかったのは、お小遣いで買い揃えられなかったからだそうだ。経年劣化で黄ばんだそれは、時を超えて幼い父から私の手に渡ったのだった。
コマを読む順番を父に教わりながら初めて読む漫画は、たいへんな衝撃だった。紙なのに、絵なのに悟空がいきいきと飛び跳ねて見えた。悟空はブルマと出会い、七つ揃うと願いが叶うドラゴンボールを求めて山へ空へ海へ旅をしていく。
漫画に慣れていないせいで凄まじい時間をかけて読んだのだが、それでも私は何度も繰り返し繰り返しページを捲った。これほど心躍る冒険譚は今まで知らなかった。
熱中する娘に、父はすぐに続刊を与えた。母は呆れていたけれど、そんな視線も気にならないほどに空想の世界は豊かで、夢に溢れていて、強い憧れを抱かせた。
あれがなかったらきっと、私は漫画を知らないままだっただろうし、冒険譚を自分で空想して綴ろうなどと思わなかっただろう。幼い父が箱に仕舞っていたのは、私にとっては夢の世界への片道切符だったのだ。
駄目だ、そろそろ画面が見えなくなってきた。
心がやっと追い付いて涙が出てきたみたいだ。
鳥山先生、どうか人々の空想の世界で、自らが生み出したキャラクターたちと逢えていますように。
ご冥福を切に祈って、筆を置く。
空への誘い 月見 夕 @tsukimi0518
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます