第2話 鹿沼友希の狼狽
靴の【箱】を見せた時の市川支部長の愕然とした様子に、僕は勝利を確信したのだ。確実に付け込める弱みを握ったと思ったのだ。
だが、話は思い通りに進まないどころか、予想外の方向へ進んで行った。
なんと市川支部長は、彼女を殺したことを僕に告白したのだ。
そして、彼女を部屋に放置して帰宅してしまったことを。さらに、翌朝出社して死体を始末しようとしたら、死体が消えていたことを。
彼女に大切なファイルを盗まれてしまい、「部屋を見せてくれたらファイルを返してあげる」と迫られて、部屋に入れるしかなかったのだと言う。
僕は激しく混乱した。
市川支部長も彼女を? そういえばあの朝、三分間の瞑想後に部屋から出てきた支部長は、どことなく様子がおかしかった気がする。
そして支部長は言った。
「このことを黙っていてくれたら、君にとって有益な情報を教えよう」
まさか支部長の方から取引を申し出てくる展開になるとは思わなかった。
死体が無い以上、支部長が犯したと思っていた殺人は成立し得ないし、女を部屋に引き入れたことも理由を聞けばある程度は仕方ないかな、という気もする。
僕が市川支部長を脅す材料は、もはや無くなってしまった。それどころか、有益な情報とやらを餌に、口止めされている状況だ。
「……わかりました。口外するつもりはありません」
湧き上がった昏い情熱は行き場を失い、急速に醒めていく。その穴を埋めるように、落胆が広がっていく。
「ありがとう! 見られたのが君でよかった」
椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった支部長が、デスクを回り込んでいきなり僕を抱きしめた。力強い抱擁に、落ち込みかけた心が急浮上して膨れ上がる。
「あの、ちょっと」
「あ、すまん。つい……」
支部長はパッと腕を広げ、そのままぺこりと頭を下げた。広げた両手が震えている。そりゃそうだ、支部長だって相当動揺していた筈なのだ。
「もう、大丈夫です」
「そうか……悪かった。それで、その……彼女はどんな様子だった?」
「普通でしたよ。と言っても、彼女とはエレベーターホールですれ違っただけですけど」
僕は、しれっと嘘をついた。何も僕の罪まで明かす必要はない。彼女の方から接触してくることも無いだろう。
「そうか。よかった。うん、それはよかった」
何度も頷いて、支部長は文字通り胸を撫で下ろした。
「じゃあ、今度は君の件だ。さっき言った『有益な情報』なんだけど」
「あ、はい」
「この間、不動産会社に勤めている大学時代の後輩から連絡があってね」
支部長は不動産屋の名前を挙げた。僕が部屋を借りる時に世話になったところだ。
「そうそう。だから連絡が来たわけさ。でね、うちの会社の女の子が、部屋を借りに来たそうなんだけど……君の家のごく近所を探しているらしい」
「え、それは、どういう?」
支部長に促され、僕はソファに腰を下ろした。向かい側に彼も座る。
「君、少し前に総務の女の子に付き纏われて困ってただろう?」
ああ、そんなこともあったな。ちょっと愚痴を漏らしただけなのに、覚えていてくれたんだ。
「その子だよ、君の部屋の近くで部屋を探してるの。しかも尋常じゃないくらいの数を内見しまくっているらしい。それで、もしかしてストーカーじゃないかって話になって、顧客情報を浚ってみたら……彼女と同じ会社に勤務する君を見つけたわけ。で、こっそりコッチに連絡をくれたんだ」
最近よく感じていた、謎の視線。あれは……
「ここしばらく大人しかったんで、諦めてくれたと思ってたんですが」
「私が総務課の方に釘刺したからね。会社で騒ぐとまずいと思って、家の方を狙ったのかもしれないな」
ものすごく、げんなりする。殺人未遂云々とか、どうでも良くなってしまった。またあの鬱陶しい日々が戻ってくのか……
「と言うわけで」
支部長がパンと手を叩いて、少し身を乗り出した。
「鹿沼くん。君、引っ越しなさい。引っ越し費用は会社が負担するし、家賃補助もこれまで通りだから」
「……急な話ですね」
「まあね。それで、君が引っ越した後に、彼女がまた新しい住まいの方へ着いて行こうとしたら………社員の個人情報の悪用ということで、彼女を解雇できる。実は彼女、前にもちょっと問題起こしててね」
「つまり、僕は彼女を辞めさせるための囮ですね?」
グッと言葉を詰まらせ、支部長は上目遣いで僕を見つめた。
「……そんな言い方するなよぉ」
思わず吹き出してしまう。デカい図体でしょんぼり上目遣いとか、可愛すぎる。
「まぁ正直、今の段階じゃ『通勤に便利なところを探していたらたまたま同じ地域だっただけ』とか言い訳されたら、それ以上踏み込めないからね。言い逃れできないように、個人情報を悪用してることを確実に押さえないと」
「わかりました。そういえばもうじき更新の時期ですし、いいですよ」
一転、明るい表情になった支部長は、再びパンと手を叩いて「よし」と笑顔を見せた。無口な鉄仮面だと思ってたけど、意外に表情豊かな人なんだ……
「じゃあ、早速後輩に連絡しよう。奴に担当させるけど、それでいいかな?」
「あー……いいですけど、一つ条件が」
スマホを操作しつつ、支部長は軽く頷いた。
「支部長、付き合ってください」
「えっ?」
ピタリと動きが止まる。
「部屋探し、付き合ってください。僕、部屋決めるの苦手なんです」
「う……あー……」
「いいじゃないですか。ほら、僕らって、秘密を共有した仲ですし」
「秘密を、共有……」
はああ……と大きなため息をつき、市川支部長は苦笑いした。
「そう言われちゃ断れねえな。鹿沼お前、クールな奴だと思ってたけど、案外あざといとこあるな」
「市川支部長こそ、無口な鉄仮面だと思ってたら結構気さくで驚きました」
「鉄仮面……まぁ、仕事のこと考えてる時は、な」
苦笑いを大きくする支部長に、ツンと顎を上げフフンと鼻で笑って見せる。
「ついでに引っ越しも手伝ってください。あとご飯も奢って欲しい」
「おま……なんだ急に」
テーブル越しに彼の目を覗き込み、微笑む。
「支部長、飲み屋の女を個室に入れたのって……本当にさっきの理由だけですか?」
「なっ……何を?! どういう意味か俺にはさっぱり」
「下心とか無かったですか?」
「そんなわけ」
「……ホントに? 1ミリも?」
支部長は「ぐぬぬ……」みたいな顔をした後、呆れたように笑った。
「わかったよ、しょうがねえな。まったく、こんなに厚かましい奴だったとは」
「やった♪」
……厚かましくて悪かったな。これぐらいの役得、あってもいいじゃないか。
「でもまあ、そういうの嫌いじゃないけどな」
「…えっ」
僕の狼狽に気づかず、支部長はよっこらしょ、とソファから立ち上がってデスクへ向かい、空っぽの靴箱を取り上げた。
「これ、捨てちゃっていいと思う?」
「……いいんじゃないですか? ただの箱ですし」
「だな。破いちゃおう」
バリバリと箱を引き裂いてゴミ箱に投げ込むと、支部長は人差し指を立てて唇に当て、「シー」と笑った。
「女ひとり殺しかけといて、こいつなかなかのクズだな」と思ったけれど、それは僕も同様。クズ同士お似合いじゃないか?
「シー」
僕も笑った。
終わり
KAC20243 空っぽの靴箱 霧野 @kirino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます