愛のビームを君に

惟風

遅刻の理由は普通に寝坊

「話変わるんだけど、かめはめ波出せるようになったんだ」

「さすがダーリン、話題の逸らし方がエキセントリックで素敵よ」


 でも、ちょっと今はタイミングが悪すぎるわね。たとえ本当に今かめはめ波を出してみせたとしても、貴方が私のバースデーデートに大遅刻しちゃったことはチャラにならないの。

 別にプレゼントが欲しかったわけじゃないし、ディナーもケーキも無くて良かった。大切な日に、大切な人と過ごしたかっただけ。なのにもう日付が変わってしまう。たった一言「おめでとう」を言ってほしかっただけなのに。

 こらえようとしても涙が勝手に溢れてきて、アイメイクが崩れてしまう。四月の夜はまだまだ寒くて、ドレスアップした服装は足元から冷気が忍び寄ってきて、虚しい気持ちに拍車がかかった。

「ごめんねハニー。でも、どうしても君に見せたいんだ」

 大好きな人に拭ってもらえない涙は、流れる側から頬を冷やす。

 そんな私の前で、彼は両足を前後に大きく広げて腰を低く落とした。両手首を合わせて腰に添える。


「か」


 嘘でしょホントにやるつもりなのこの人。しかも、私に直撃する位置なんだけど。


「め」


 凛々しい瞳は真っ直ぐに私を捉えて、その表情は真剣そのもの。

 何をしでかすかわからない彼の突飛さが魅力的で好きだったけど、今後の付き合いは見直した方が良いかもしれない。ううん、かもしれないじゃなくて今決断しよう。コイツとは別れよう。


「は」


 考えている間にも、独特の“溜め”を再現しながら、彼は繰り出そうとしている。額には脂汗まで浮かんでる。集中しているんだわ。気を凝縮させて、エネルギー波を撃とうとしている。恋人である私に向かって。逃げたい。でも冷え切った身体はガチガチに固くなっていて、足が思うように動かない。もう良いや殺すか。バックの角をね。こめかみ辺りにグンッて。


「め」


 終電の近い駅前は週末だからかまだまだ人通りが多くて、私達のただならぬ様子にどんどんギャラリーが集まってきていた。中には「構えが甘いから出ないだろ」「いや、ひょっとしたらひょっとするぞ……」とヒソヒソする声も聞こえてくる。うるせえお前等も後で殺す。

 私はバッグを振りかぶった。


「「はあっ!」」


 私がバッグを叩き込むよりも、彼が両掌を前に出す方が一呼吸早かった。さすが亀仙流の使い手と言ったところか。この呼吸の差が、明暗を分けた。


「これ……は……?」


 私は中途半端にバッグを振り上げたまま、固まってしまった。

 目の前に差し出された彼の掌の上には、ターコイズブルーに彩られた小さな箱が蓋を開けていた。それは、ジュエリーに疎い私でも知っている有名なブランドのリングケースだった。台座の中央に、確かな輝きを放つ指輪が収まっている。


「待たせてごめん。僕と、結婚してください」


 彼は、いつの間にか片膝立ちになっていた。

 嘘、と思ったし、言葉にもしてしまった。付き合って三年、お互いいい歳だしそろそろ……なんて思ってたけどなかなか言い出せなくて、でもプレッシャーをかけるのも嫌で、彼の方から言ってほしい、できればロマンチックなサプライズで……なんて夢にまで見た光景だったけど、まさか現実になるとは思わなかった。

「……喜んで」

 先程とは違う種類の涙が流れた。今度は、彼の長い指が優しく拭き取ってくれた。左手の薬指に、指輪はしっくりと馴染んだ。

 改めてリングケースを手に取る。彼の体温でほんの少し温かくなっていた。私の両手でも包み込めるくらいに小さな箱、でも大きな喜びを秘めていた箱をしっかりと抱き締める。


「ヒューー!」

「兄ちゃんやるじゃねえか!」

「今夜は夜の魔貫光殺砲かあ〜?」

 野次馬達から祝福の歓声と拍手が次々と上がった。とりあえず最後に発言した奴は殺す。

 幸せな瞬間であることに違いはなかったけれど、振り上げた拳を降ろせずにいたことに座りの悪さを感じていた私は、オーディエンス達を殴るべく後ろを振り返った。と同時に、悲鳴が上がった。


「ギャー!」

「逃げろ!」


 それは私に対しての恐怖から出たものじゃなかった。集まっていた人々が、散り散りに逃げていく。

 視線を感じて見上げると、巨大なサメが浮かんでいた。頭に薄手のベールを被り、尾鰭にシルバーのリングを嵌め、ブーケを咥えて私達を見下ろしている。その目には確かな殺意が籠もっていた。


 マリッジ・シャークだ!

 それは婚活が実らない者達の怨念が作り出した、婚約カップルを襲うサメだ!


 もうダメだ。

 涙の種類はまたしても変わった、幸せの絶頂から絶望へ。今日は私の誕生日なのに、なんて日なんだろう。

 私は全てを諦めてまぶたを降ろした。


「はああああああっ!」


 目を閉じていてもわかるほどの眩い光が、私の横を通り過ぎていった。ドサリ、と何か大きなものが地面に落ちた気配があった。

 目を開けると、マリッジシャークが横たわっていた。腹に大きな穴が空いていて、どくどくと血が流れている。


「言っただろ。出せるようになった、って」


 私の後ろで、未来の夫が両手を構えて立っていた。




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