不同さんのお悩み解決駆け込み寺不動産

月岡夜宵

本編

 かつては日本妖怪も異国の怪物も人と付かず離れずの距離にいた。

 世界が開けていく中で隠れ住める闇は少しずつなくなり、やがて怪異たちは表舞台へと姿を現すようになっていった。

 人と怪異とが共存している現代社会にて、浅見商店街のとある路地、そのテナントはビルの一階にあった。【浮草不動産】の看板を掲げて。



 近所の相手に挨拶しながら出勤する男がいた。彼の名は不同さん。浮草不動産の従業員である。

「おはようございます」と不動産が声をかけたのは井戸端会議で朝から盛り上がっている老若男女。

「おはようさん」、「おはよーございまーす」、と元気な挨拶が返る。

 一人の老人がちょいちょいと不同さんを手招きすると飴の入った袋を渡す。

「孫に貰ったんだがわしゃ入れ歯にくっつくんでなあ。貰ってくれないか」

 受け取った飴は宝石のようなカットをされている。一度は店からも消えたがその後ファンの熱い要望で復刻版としてリニューアルした品だった。一つ手に取るとさっそく口の中で転がす。

 不同さんの目が心なし輝く。

「不同さんだけずるーい!! あたしにもちょーだい」と横から飴をかっさらう手。

 近所に住まう女子大学生だった。

 口に飴を入れよとした彼女だがなにかを思い出したのかそれをポケットへとしまうと急に愚痴りだした。

「あー! 私の癒やしよ、シエラちゃんカムバーック」

 コロコロと飴をなめながら反応する不同さんが視線で訴えかける。

「もう原稿が進まなくて進まなくて……どうしよ。不同さん、うちにイイ人紹介してよー!!」

 ふむ、と腕を組む不同さん。思案していた様子だが首を横に振る。その様子にため息をついて落ち込む女子大生。

 ちなみにシエラちゃんとは先日まで彼女の隣室に住んでいた看護師だった。女子大生とは仲が良く彼女のレスに嘆いているのだった。

「もう手が付かない……ふふ、落したら先生怒るかなー、あはは……」

 雲行きとおなじようにどんよりしたまま去って行く女子大生だった。ほかの面々もおのおのの用事で去って行き井戸端会議はそのままお開きとなった。



 浮草不動産横のほこら|で不同さんは日課のお祈りをする。

(本日もお客様を笑顔にできますように)

 ぱんぱんと手を打ってから不同さんは気づいた。雨が降り出した。肩を濡らす雨、それから薄手の格好で身を縮めて震える――女性に。

 彼女は青い顔をして祠の裏手で座り込んでいた。とっさに声をかける不同さん。返事もたどたどしい。

「あ、はい……まだ平気です……うう、あの、もしかしてそこの会社の方、ですか」

「ええ」

「よかったあ。やっと営業時間になったんだ……」

 訳ありっぽい彼女。

「ぐす、ぐす……あったかいお家…………」

「あったかいお家? あの、それはどういう意味ですか?」

「……聞いてくれますか」

 冷え切っているであろう体と同じくらい冷たい目が不同さんをみつめる。

 不同さんは彼女を窓口に案内した。



「内見とよく似た言葉で内覧という言葉もありますね。ですがどちらも同じ意味です。細かく区別して使う地域や人もいますが、基本的に『実際の部屋を見て確認する』ということなので共通です」

「よかった。どっちかで間違ってるとかはないんだ」

 胸元に手を当てると女はほっと息を吐き出す。

 すぐに表情は一変した。

 慌てたように彼女は焦燥感のある声音で話す。

「もしかして予約とか必要でしたか!?」

「できれば予約が欲しかったところではありますが……今場合は急を要しますので。こちらの準備のため時間があれば、という程度ですで。ただ即日入居というと少々問題が」

「やっぱりだめですか?」

「ええと……それはあなた様次第です」

「え?」

「『どんなお部屋を希望しているか』、これに即答できますか?」

「えっとそれは…………、ごめんなさい、無理です」

 彼女は素直に頭を下げた。

「ですよね。すみません、べつに無理難題を押しつけたいわけではなく、確認しておきたかったので。では、まずは希望を探すとこからですね」

 チェックシートに記入する不同をみながらしきりに萎縮していた。



 時は少し遡る。

 濡れていた彼女を室内に通し、暖かいお茶をだした不同さん。営業前から待機していた理由を尋ねると、同棲していた彼氏に家を追い出されてこのままではホームレスになってしまうと語る。もともと別の彼氏に乞われて実家を出たので帰る体裁もないと。しかし職も金もなくだれかを頼るには心許ない。そんなおり人づてに聞いたこの不動産しかないと思い明け方から待っていた、と。

 泣く泣く語った彼女の身の上話。不同さんは困惑しつつハンカチを渡す。

「ちーん……ぐずっ、というわけです」

「……」

 不同さんはハンカチをみて微妙な顔をした。

 嗚咽まじりの会話後、ふたたびちーんとハンカチで鼻をかむ彼女。突き返されたハンカチを複雑な表情で回収し、目立たないようそっと飴の入っていた袋につめた。だした飴はポケットへいれ、残りの入りきらない分をどうぞと差し出す。

「うわああああん、もうおしまいだよおおおお!」

 ついに机に突っ伏して泣く出す始末。たまたま重役出勤してきた社長が見て目を丸くする。



「夕焼茜、座敷わらしの怪異です」と彼女が名乗る。

「じぶんは不同正和と申します」と不同さんが名刺を渡す。

「ごめんなさい、取り乱して。でも不動産のことなんて全く知らないんです」と語る彼女。

「あたたかいお家、それが希望ですか?」

「えーと、たぶん?」

「具体的には?」

 彼女は黙り込んでしまう。

 

 そこで、先ほどのように不同は知識を総動員してワンポイント講座として間取り等の見方の解説をしていたのだった。


 だがそのかいもむなしく茜の反応は薄い。

「やっぱり私には無理なのかな……」

 彼女はふさぎこんでしまった。



 窓から音がする。窓ガラス越しに顔の整った派手なスーツの男がいた。

「信夫……」と驚いた顔をする茜。

「え」

「あ、ごめんなさい、彼です、私の……元彼」

 追い出した彼氏が追いかけてきたらしい。



 一反木綿の元彼、反町は座敷わらしである茜の特性を利用することしか考えていなかった。そのため、不同さんが反論するとすぐにぼろが出た。

「悪いかよ、こいつがいれば金はたんまり手に入るんだ。おら、さっさと戻るぞ」

 昨夜も酒を飲んだすえ口論になり茜を追い出したというのにその口ぶりはあまりなものだった。茜の手を乱暴に引きずる男。

「いやよ、私は独り立ちしたいの!! もうだれかに任せて生きるなんてイヤ!」

 それは茜の心からの叫びだった。


「離れてください」

「ああ?」

「お客様が困っています」

 鋭い眼光で反町を威嚇する不同さん。

 茜の手をとりかえして彼女に宣言する。

「他の誰があなたを袖にしてもじぶんがいます!!」

「おまえだってこいつを利用するに決まっ……」

「じぶんはそんなことしません」

(この人……)

「帰ってください。お客様に迷惑がかかります。これ以上騒ぐなら通報しますよ」

 スーツの上着を脱いで見事な僧帽筋を見せつける不同さんに茜は感動しきりだ。

「ふんぬ!」

「いててててっ。覚えてろよ!」



 彼女の望みは叶えたくて元彼は追い払ったが、茜の浮世離れしている様子に不安が拭えない。

(どうしたら)

 頭を抱える不同さん。

 ポケットの袋が存在を主張する。

 飴の袋を破いて考えると――ひらめいた。

「そうだ!! あそこなら、茜様の条件に合致するかもしれません」

「え、あるんですか」

「参りましょう。目的の物件までは徒歩で移動します、平気ですか?」

 茜は自分のスニーカーを見て問題ないと首を縦に振った。



「こちらが茜様の希望をもとにみつけた物件、花丸荘です」

 不同が目の前の洋館を手で示す。

 茜はつられて視線をあげた。

 言葉を失う茜が見たのは生け垣の向こう側にそびえ立つ建物だった。西洋の、それも由緒正しき古城のような建築物。

「すでに四世帯がここに住んでいます。残り一部屋が空いており、そこを茜様にご案内いたします」

「つまりアパートですか?」

「ええとシェアハウスとは居住形態の一種です……まあ難しい話はさて置き、一つの住居に複数人が共同で暮らす賃貸物件を指します。一般的にはキッチンやリビング、バスルームなどは共同。それらとは別に個室を私的に利用します。こちらの花丸荘はもとはホテルとして使われていましたが廃館となりました。今のオーナーが中を含めて改築し『女性限定の住処』として使われています」

 ある意味腰を抜かした茜だが頑強そうな門を不同と共にくぐる。案内する彼は平然としている。公園と見間違うような造りの庭が広がる。季節のバラが咲き誇りふたりをもてなす。

「造形作家が各オブジェのデザインを担当したそうです。どの彫刻も見事ですよね」

「花……うそ、これ本物?」

 茜は思わず匂いを嗅いでいた。ほんのり漂う甘い香りに仰天とする」

「庭師が管理しているのでこちらはまた別の管轄ですが、すごいですよね」

「ここ、庭師なんているんですか!?」

 熟年の技だとかと不同は顔見知りなのかよく知ったふうな口ぶりで語る不同に不動産屋とはつながりが広いのかと思う。

 たまご型のトピアリーをみながら進んでいく。



 玄関では不同が持参していたスリッパが茜に渡されていた。ユニセックスなスリッパを履くとなぜか早速二階に案内されて茜は首を傾げる。

 ついた先はバルコニー。

「まるで舞踏会でもできそうだと思いませんか?」

「それにしてはこぢんまりとしてますね」とくすくすと笑う茜。

 立て膝をついて目線をあげる不同。その手は茜の手をとり導くようになぞる。

「じぶんと踊っていただけますか」

「!?」

 不安な茜を楽しませる一種のサプライズだと気づく。

「一人暮らしは不安でしょう。けれどあなたを応援する人がいます。じぶんもそのひとりです」

 踊るようにみせて、次の部屋へ。

「このままエスコートいたします」



「こちらカーネーション芸術大学の学生で姉沢小春様といいます」

「よろ~。うちは漫画家志望なんだよね! よく絵の具落したり、キャンバス放置してたり、スケッチを部屋中に散らかすから掃除が大変で」

「大変、というかまったくしてませんよね」

「あ、あははー、たしかにアッシーちゃんたちに任せてたカモ」

 目が泳いでいる小春に手厳しくつっこんだ不同さん。

「ところでどうですか」

「問題ないわよ。あたしは賛成」

「じぶんも賛成です」

 茜をおいてけぼりに二人で話が進んでいく。

「試すようなまねをして申し訳ありません。じつは小春様はさとり|の妖怪でいらっしゃいまして相手の心の機微が読めます。ですので茜様の感情を読み取らせていただきました」

(入居者の確認? 身辺調査みたいなものかな?)

「不快にさせたことへのお詫びは後日、」

「いえいえ結構ですよ!?」

「あたしからも謝らせて。茜ちゃんってばいい子なんだもん、こっちに落ち度はあるし。馬が合うかはわりと大事だけどやっぱりこの方法はやられた方は気分よくないもんね」

 反省、と口にする小春。



「茜様がこちらに入居していただく場合、家政婦として洋館内で採用予定です」

 仕事の用意まであると不同は話すがあまりに都合が良いので茜は耳を疑った。

「うちらは結構ずぼらだかんねぇ」とけらけらと笑う小春。

 不同さんがその様子を見て補足する。

「希望のお部屋ですが、元の持ち主は小春様のアシスタントも担当していました。じつは先日入籍し新居へと移ったばかりで……」

「そのせいで個室内はめちゃめちゃよー、うえーん」

「というわけで他の方々は小春様の異能と私の見立てで問題なければ案内して構わないことになっています」

「癖強な子たちばっかだけどきっと茜ちゃんなら大丈夫! 先輩もサポートするし!!」

「ぜひ、お願いしたいです!」

 頭を下げて挨拶する生真面目な茜の様子に小春は目を見開く。

「これだわ! 求めていた癒やし! これでこそ原稿もはかどる……よーし、おねーさんやるぞー」

 メラメラと燃えたぎった小春が隣室に引き返すとなにやら鉛筆が動く音や紙をめくる音がしていた。

「まだペン入れではない? たしか締め切りが差し迫っていたような……、こほん。失礼しました」



「お部屋の説明は以上になります。なにかご質問や気になる点はありますか」

「不同さん、私、あなたのことがどうしても気になります」

「え……」

 不同が目を白黒させて困惑している。

 茜はうつむいたまま手を握っていた。

 つづけて、分かりません、と言葉を漏らす茜。

 顔をあげると、その表情かお|は。

「なんで、……なんでこんなによくしてくれるんですか!? 私なんて偉くも怪異としては強くだってない。まともなお金すら持ってないんですよ。正直あなたがここまでもてなす理由ないと思うんです。それなのにどうして……」

 ずぶ濡れで祠の裏で待っていた時のように茜は目元を水彩画のようににじませていた。はらはらと流れる透明なインク|がスカートの膝元を濡らす。

(ほんとうに分からない。こんな私なのに優しくしてくれて)

 理由が分からないせいで茜は怖いと思っていた。この気持ちを素直に吐露することはためらわれたがそれでも口に出していた。なぜなら、親切な彼に「あなたもどうせ他の男と同じで私を騙しているんでしょう」と言うに等しかったから。

 窓の外からは庭園の植木が見える。美しかった庭の様子も、今の茜の目を虜にはしない。彼女の視界を占めるのは目の前の男だ。心の中はもやもやと膨らむ暗雲が渦巻く。

 不同は肩を震わして泣く茜の様子から、たとえ覚の妖怪でなくとも、彼女の心に気づいた。

 口元をゆるめ不同は語る。なにひとつ迷いなく。その目を茜に合わせて。

「あなたがたいせつなお客様だからです」

 その言葉に手袋ごしに伝わるぬくもりにについに茜は涙を決壊させた。

「ごめんなさ……」

「大丈夫です。まだ勤務時間内です。それに残業だってやぶさかではありません。いくらでも茜様にお付き合いします」

「あ、っがとう、ござ、ッ、ます」

 不同はそっとうなずいた。



 茜と不同は部屋のテーブルに皿を置いて向かい合っていた。

 共有スペースのキッチンと材料を少々拝借してお菓子を手作りした茜。それは、ポケットマネーすらまともに持たない茜なりのほんのお礼である。

「いただきます」

 剣が刻印された珍しい手袋を丁寧に脱ぐ不同、その手がクッキーに伸びた。咀嚼する音が響き、ほんのり和らぐ頬。不同は居心地悪そうにはにかむ。

「じつは甘いものには目がなくて……」

(不同さんが照れてる……!!)

 茜の胸は高鳴った。

 勢いのまま不同がハンカチを取ろうとした手を両手で握り、茜は抑えが効かず、精一杯――

「本当に、不同さんがいなかったらホームレス妖怪になってました、だからその……わたしっ、ここでがんばってみようと、ええと、不同さん! だから私を見ててください、ね、……うぇえ!?」 

 感謝を、伝えた。若干下心もにじんでしまったがそご愛敬。

 ところが、そこで不同に異変が生じた。

 不同は脂汗をかきながらぐっと何かに耐えるようにみえた。応援してますと言い切るやいなや、最後に椅子から崩れ落ちてしまう。

 おおげさに震えたと思ったらぴくりとも動いていないではないか。

「え……これ……まさか死?」

 じつはこの部屋は事故物件で、入居者を決めた不動産屋を呪い殺してしまうだとか。そういった類いのいわくつきの部屋だと言われても彼女は納得しただろう。

 まさか再びホームレスに戻ってしまうのかと違う意味でも茜は震えていたが。



「邪魔するぞ」

 うろんな目で天井を仰ぐ茜のもとに闖入者ちんにゅうしゃ|。慣れた様子で不同のもとに近寄ると首元に手を当てている。

「え、誰!? ……あ、社長さん?」

「おう。よく覚えてたな」

 片手をあげるのは浮草不動産のどう考えても偽名っぽい社長、根無寝太郎だった。

「あの、不同さんが突然」と茜が状況説明しようと近づく。

「あーどれどれ……ん、心配ない。オチてるだけだ」

 首を傾げた茜に社長は説明した。

「発作だよ」

「発作? なにかの病気ですか!?」

「いいや、鳥肌が止まらなくなり不快さから一時的に気絶するだけだ」

「へ?」

 たしかに不同はブルブルしてばたんきゅーしていたが、と様子を思い出す。

 しかしなぜ?

 茜には皆目見当がつかない。

「こいつは怪異のもつ異能の力にすこぶる弱いんだ。周囲のそういった力に当てられたせいか、反動で免疫やらが向上し人間のわりにタフに育ったみたいでな、筋肉質なのも、兄ちゃんを追い払ったあの怪力もその影響だ。つまり、めっちゃデリケート。怪異に敏感で触るとたちまち鳥肌もんで気絶するってわけさ」

「でも最初に握手もしてたような……?」

「そりゃ手袋ごしだからな。あれにはお不動さまのご加護がついてる」

(そういえばクッキー食べるので外してたっけ?)

 納得はしたが理解にまで至っていない茜はさらに尋ねる。

「そんな体質聞いたこともないんですが……」

「そりゃ珍しいからな。俺も聞いた時は白飯を吹いちまったもんだ」

(それって不同さんの顔面にご飯粒が?)

 ずれたポイントに反応してしまったが、不同さんが無事だと知り茜は胸をなで下ろした。

 開けたままだった窓から夜風が入り込む。ひとまず今日のところは野宿にはならなくて済むのだろうか。

「こいつぁ若いのに頼んで運んでおく。部屋の前に出すからちょっくら手伝ってくれるか?」

 というわけでなし崩し的に契約は未了のままだが茜はこの部屋に住めることが決まった。





 後日。木製のベンチで茜は下敷きの上の書類にはんこを押した。用紙を受け取った不同はケースごとビジネスバッグにしまう。

「これで契約は完了です。正式にあのお部屋はあなたのものです」

 濃いピンク色に染まっていく寒桜を眺めながらふたりはさきほど自動販売機で買った緑茶の飲む。喉を通り抜ける水分と舌の上に残ったまろやかな苦み。暖かくなってきた庭の変化を眺めながらふたりは雑談を再開した。

 トピアリーのたまごはひよこへと孵化し、菜の花の他にすみれも増えた。そんな春を、語って。

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