【KAC20243】伸ばす腕、差し出される手

水城しほ

伸ばす腕、差し出される手

 待ち焦がれていた春が来た。

 生まれつき豊かな魔力を持ち、かつ難関試験を突破した者だけが入学を許される「王立アーリエ魔法使い養成所」へ首席合格を果たしたわたしは、今日から憧れの学び舎の一員となる。

 養成所の近くに借りたおうちの、自分の個室で姿見鏡を見ながら、誰の手も借りずにひとりで身支度を整えていく。華やかなドレスの代わりに黒いローブを身に着けて、普段は結い上げている金色の髪を三つ編みにする。この瞬間からわたしは「貴族」としての振る舞いを捨て、平民の学生たちとも対等な立場を保たなければならない。それが養成所の規則だからだ。その慣れない環境に不安はあれど、この国で「魔法使い」の資格を得るためには、絶対に避けて通れない道なのだ。

 頑張れ、エルーナ・ファリアッソ。姿見鏡の中の自分に向かって気合を入れた。平民出身の母を持つわたしなら、きっとうまくやっていけるはずだ。


「エル、そろそろ家を出ないと遅れてしまうよ」


 扉をノックする音と共に、同居しているアルヴァの声がする。ひとつ年上の幼馴染、王族の血を引く男の子。まるで「兄」のような存在であり、だけど恋人のようでもあり……正式に婚約をしているわけではないけれど、わたしにとっては誰よりも大好きなひとだ。アルヴァにとってのわたしは「妹」なのかもしれないけれど、他の女の子よりも大切に思ってくれていることは確かだから、今はハッキリと確かめたりなんてしたくない。

 そっと扉を開け顔を出したアルヴァは、制服姿のわたしを認めると、何故かちょっぴり照れながら「良く似合うよ」と言ってくれた。


 入学式を終えると、初日だというのにいきなり「実力テスト」と称して、新入生担当のエメリア先生からいくつかの課題が出された。とはいえ、まだ魔法使いの資格を持たないわたしたちは、呪文の詠唱を伴う魔力の行使は法律で禁止されている。授業が始まり「見習い魔法使い」となれば、学内限定で魔法詠唱の許可が下りる形だ。

 なので今日の課題は、そんなわたしたちにもできるようなものだけだった。火・水・風・土の四大元素に光と闇を加えた、六科目分の簡単な課題。たとえば火魔法の込められた装置を使って炎を起こすとか、光魔法式のランプを自分の魔力だけで点灯させるとか、本当に基礎中の基礎といえるものばかり。それでも周囲を見てみれば、うまく魔力を制御できない新入生も少なくはなかった。放出する魔力が少なくて煙しか出ないとか、逆に多すぎてランプを割ってしまうとか、不慣れな人には意外と難しいものらしい。

 わたしは両親が魔法使いなので、自分の狙い通りに魔力を放出する技術だけは、幼い頃からしっかりと教わってきた。その結果、新入生の中でいちばん早く全ての課題を終え、みんなの前でお手本を見せることになった。

 お手本も当たり前のようにこなしたわたしへ、エメリア先生は称賛の言葉をくださり、同時にひとつの箱を手渡してきた。手触りの良い皮生地が表面に張られ、まるで指輪が入っているようなその箱は、魔力による封印がされているのだと、触れた瞬間に理解した。


「これは入試で首席かつ、今日のテストが一位の学生にだけ挑戦してもらう、非常に特別な課題です。明日の始業までにこの箱を開けて、箱と中身の両方をわたしのところへ持って来て下さい。他者に助言を求めることは構いませんが、箱への魔力干渉はさせないように」

「わかりました」


 即座に返事はしたものの、眺めてみればみるほどに、かなりしっかりした封印が施されていることがわかる。魔力による封印の解き方なんて、わたしには見当がつかなかった。


 家へ帰るとアルヴァはとっくに帰宅していて、入学祝いだよと笑いながら、豪華な料理を作ってくれていた。仮にも王族の一員である彼に、食事の支度なんかさせてしまっている。他所の人がこんな光景を見たら、衝撃でひっくり返ってしまうのではないだろうか――そんなことを考えていると、何かあったのかい、と不思議そうに尋ねられた。


「ああ、新入生はテストだったんだよね。ちょっと疲れちゃったかな」

「ううん、テストは簡単だったんだけど……」

「じゃあ、もしかして『飛び級の箱』を渡されたのかな?」

「!」


 アルヴァの言う『飛び級の箱』って、きっと、わたしが渡されたあの箱のことだ。アルヴァはあれが何なのかを知っている……もしかしたら、開け方も知っているのかもしれない。わたしは食事中だというのに席を立ち、ローブのポケットから箱を取り出して、アルヴァの前にそっと置いた。


「明日の朝までに、この箱を開けてくるように言われたの」

「さすがだね、エル。これは『飛び級の箱』って言って、期限までに開封出来たら、一年次の課題を飛ばすことができるものだよ」

「え、それって」

「ああ、文字通り『飛び級』できるってこと。僕と同じ二年生へ編入されることになる」


 だから、とアルヴァは端正な顔をほころばせた。


「絶対朝までに開けようね。そうすれば、いつだって僕と一緒にいられるからね」


 その口調には圧が込められていて、完全にスパルタモードなのだとわかる。箱が開くまで寝かせて貰えないことが確定だ。アルヴァは入学試験の前にも数か月間にわたりこのモードが発動して、わたしはヘロヘロになりながら魔法学の基礎を頭に叩き込んだんだ……そのおかげで入試も首席だったんだけど、あんなにも厳しいアルヴァはそれまで見たことがなかったので、最初は怖くてたまらなかった。今はもう慣れたから怖さはないけど、愛情ゆえのことだと分かっていたって、辛いものはどうしたって辛い。むしろいつもが底抜けに優しい分、余計に辛い。


「ごめんなさい、アルヴァ。わたし、飛び級なんかできなくてもいいの」

「どうして? 僕と同じクラスで学びたくはない?」

「それは……アルヴァが一緒なら嬉しいし、すごく心強いとも思うわ。だけど」

「じゃあ頑張ろう。挑戦する前から諦めるのは、よくないことだよ」


 わたしの正直な弱音に対して、真正面から正論が返ってくる。ああ、もう、逃げ出す言い訳も思いつかない……うああ、とレディらしからぬ声で呻く私を見て、アルヴァはなぜか嬉しそうだった。


「じゃあ、僕が知っていることを教えるよ。魔力による封印が施されているこの箱は、毎回違う方法で開封することになっている。とはいえ、何年も開封されていないから、もしかしたら去年のままかもしれないな……もしそうだとすれば、解法のヒントくらいはあげられると思うんだけど」


 アルヴァは苦笑いを浮かべて、手の中の箱をじっと眺めた。つまり去年のままならば、失敗した手法だけはわかるということなのだろう。だけどそれには今夜中に、去年の首席の方に話を聞かなければいけない。もう随分と夜が更けてきたというのに、そんなことが可能なのだろうか。


「去年の方に、失敗した手法を聞くことができるのかしら?」

「失敗というか、途中で開けることを辞めたんだよ。僕は飛び級なんてしたくなかったからね」

「僕は、って……去年の首席、アルヴァなの!?」


 目の前のお兄様は平然とした顔で、そうだよ、と衝撃の回答をした。さっきはこちらがぐうの音も出ない正論を返してきたのに、自分も飛び級なんかしたくなかったんじゃないか――心の奥がちょっとだけザワザワして、わたしは大げさに頬を膨らませてみせた。


「なあに、自分だって諦めちゃったんじゃないの!」

「僕は諦めたんじゃないよ。飛び級したくなくて、開けることを止めたの」

「わたしだって、飛び級なんかしなくていいもん」

、じゃない。僕は絶対にんだよ」


 アルヴァは不機嫌そうな表情を浮かべて立ち上がると、強くわたしの手を握り、引っ張るように歩き出した。こんなアルヴァは珍しくって、どうしていいのかわからなくなる。

 連れていかれた先は、アルヴァの個室だった。入るなり強く抱き締められて、本当にわかってないんだから、と耳元で囁かれた。


「僕が飛び級なんかしたら、エルは追いついて来れないだろう……僕は、待ってたんだ。エルなら絶対に、この箱を渡されるに決まってるから……だから頑張ってよ、エル。いつもふたりで一緒にいたいんだ……!」


 背中に回された腕に、更に力が込められて、アルヴァの魔力がわたしを包み込もうとする。自分の魔力とわたしの魔力を繋げたがっているのだ。これは魔法使い同士の愛情表現で、心の底から愛し合っている同士じゃないと、絶対にしてはいけない行為だ。

 つまり、わたしはアルヴァにとって「妹」なんかじゃない。これまでにアルヴァが伝えてくれた、数えきれない「大好き」も「愛してる」も、妹分へのそれではなかったのだ。アルヴァはちゃんとわたしのことを、ひとりの女性として見てくれていた――そのことがただ嬉しくて、わたしはアルヴァを受け入れた。

 わたしを慈しむように、アルヴァの魔力がゆっくりと繋がってくる。それは心地よくて、あたたかくて、とろけるような心地になった。魔力の感触にはそれぞれの人柄が出ると言われている。この穏やかで優しい魔力は、間違いなくアルヴァのものだ……わたしをどれだけ大切に思っているのかも、その触れ方で自然とわかる。こんなにも幸せな気持ちを、わたしもあげられているのかな……?

 想いを全て伝えたくて、アルヴァに向けて腕を伸ばした。お互いの魔力を受け入れて、受け入れられて、精神の一番深いところで繋がっていく。魔法使いにしかできない愛の形が、わたしたちの絆を強くしてくれている気がした。


 その後、アルヴァのおかげで、無事に箱を開けることが出来た。

 去年のアルヴァは、諦める前に「封印を破壊するわけではない」という結論を出していた。そして「飛び級の試験であるからには、一年生の単元が全て詰まった要素であるはずだ」と予想していた。

 一年生で行う実習のほとんどは、自分専用の魔法具を制作していくことだ。たとえば最初は「羽ペン」なのだけれど、これは、自分の性質と相性の良い羽に魔力を注いでしまえばいい。もちろん単元が進めば、もっと難しい素材や道具を扱うようになっていくけれど、基本的な手順は同じ。要するに、この箱を「自分のもの」にしてしまえばいい。

 両手でそっと包み込むように箱を持ち、少しずつ内部へ向けて魔力を注いでいく。どうかわたしを受け入れて……そう、祈るような気持ちで。決して強引に屈服させようとしてはいけない。対象がただの道具であろうと、魔力を操る際に敬意を欠いてしまえば、周囲にいる精霊の反感を買いかねない。そうなれば魔力はうまく解放できなくなる。

 最初はわたしの魔力を弾いていた箱も、小一時間ほど祈りを捧げ続けたあたりから、次第に受け入れてくれつつあった。そのまま祈り続けていると、ずるりと内部へ引き込まれるような感触があり、おねがい、と心の奥で強く願う。その瞬間に箱はまばゆい光を放ち、そのまま自然と蓋が開く。

 箱の中には、純白の生地に包まれた、銀細工の指輪が納められていた。


 朝一番でエメリア先生のところへ行き、箱と指輪を提出する。先生は目を丸くして、本当に開けてしまったのね、と感嘆の声をあげた。


「この箱が開くのは十年ぶりなのよ。学校中が大騒ぎになるわね」

「あまり目立ちたくないです……」

「あら、残念だけどそれは無理よ。学内どころか、王国の魔法学関係者がみんな注目すると思うから、覚悟を決めて頑張りなさいね」


 担当できなくなるのは残念だけどと言いながら、先生は銀の指輪を渡してくれた。


「この指輪は飛び級生の証だから、これを持って二年生担当のハース先生のところに行ってね」

「わかりました」

「それと、これ!」


 先生はニコニコ笑いながら、一年生用のテキストを差し出してきた。


「二年生の授業が始まる五日後までに、これに書かれている魔法具を全て作成すること!」

「五日後ですか!?」

「そうよ! 魔法具がないと困るから、必ず間に合わせて頂戴ね!」


 先生の高らかな宣言に頭を抱えつつ教官室を出て、きっとまたアルヴァがスパルタモードになるんだろうなあ……などと考える。だけど今はもう、それを辛いとは思わない。わたしがひとりではないことの証だ。これからもずっと、アルヴァは厳しさと愛情をもって、わたしの手を引き続けてくれるのだから――いつも優しく手を差し出してくれる彼の、穏やかな微笑みを思いつつ、わたしも笑顔で歩き出した。


(了)

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