亡国の夜叉

兎莵兔菟

悪の帝国

プロローグ 求めない街

 その日。私は帰還命令が下され、部下達を置いて一足先に前線から戻ることになった。


 皇都、中央駅。その入口から正面に真っ直ぐに伸びた大通り。そして更に奥へと進み続けた先にあるのが、皇国軍の本部であった。

 外は、かつて見たことがないほどの人々で賑わっている。

 車道は車が所狭しと並び、歩道はまるで祭りこのような盛況。人々の楽しそうな声が、煩わしいほど鼓膜を揺らす。

 戦場で轟音には慣れていたが、しかし、この騒々しさは全然別物のように感じる。

 ここからどうやって本部へ行こうかと悩むが……この人混みの中を歩いていく他なさそうだった。

 建物の影から一歩外へ踏み出すと、燦々と降り注ぐ日光に目が眩む。そういえば戦場では常に煙が空を覆っていたから、雲一つない青空のもとで日光を浴びること自体、久しぶりなことだった。

 目が霞んでよく見えない。

「――あ、」

 どん、と正面からなにかぶつかる。

 私は腰の拳銃に手をかけ、敵を――……ここは、本国だ。

「あ……」

 私とぶつかった、同い年くらいの少女は固まる。隣りにいた彼女の友人らしき少女は言う。

「ちょ、なにしてんの、早く謝って! この人軍人さんだよ!」

 ぶつかった少女はその言葉を聞くなり、「す、すみません、すみません」と誤り倒したのだった。

 辺りの視線が、一気に集中する。

 そんな事を気にしていると、今度は少女が泣き始める。

 それもそのはず、この国は今まだ、特別治安維持法が適用されているのだ。それは国家に反逆――簡単言えば、軍人の機嫌を損ねると、痛い目を見るということだった。

 一昔前は、問答を起こした国民が射殺されることも珍しくはなかったと聞く。

 拳銃に手をかけている私は、はたから見れば粗相を起こした国民を撃とうとしている軍人にしか見えないだろう。

 泣く少女。

『いやだ、死にたくない、助けて!』

 手を伸ばした瞬間、頭を撃ち抜かれた。

『身体がばらばらで、治療する術がありません……』

 バケツに入れられた、欠損した四肢と内蔵。

『お前達さえいなければ……』

 蔑んだ目で見られた。

「だ、まれ……」

 突然のフラッシュバック、頭痛と吐き気が込み上げる。

「ご、めんなさい、っ……」

「黙れ!」

 その瞬間。それ以上何もできず、逃げるように人混みをかき分けた。

 国民の冷たい目線。いつか、誰かが私のせいで死んだときも、あんな視線を向けられた。

「お前ら軍人のせいで、大勢死んだ」「そのくせ戦争にも勝てない腰抜けども」

 そんな言葉が投げかけられた。負の感情を胸の中に押しとどめる。

 確かに戦争には勝てなかった。だがどうにか終戦条約を締結させ、私達は多くのものを犠牲に平和を手に入れた……。

 さっきの少女達。私が擦り傷を作って、射撃の訓練をして、敵兵を殺している間に、少女達は一体何をしていたのだろうか。

「そんな生き方があったなんて、私達は知らなかった……」

 私が戦争以外何も知らなかったとき、少女達一体何をしていたのだろうか。

 私一人だけが、取り残された気分だった。




「申し訳ありません。道が混んでいたもので」

 皇国陸軍少将、鴨枝かもえだが吹かし煙草の香りが部屋を覆い尽くす。銘柄は知らないが、軍人はこの香りの煙草をよく吸っている。眼鏡を手で治すと、鴨枝は口を開いた。

「気にしなくていい。それよりも、たった二日で前線から戻ってくるのは大変だったろう、はやて。」

 窓から大通りに目をやり、しかしすぐに視線を颯の方へと戻した。

 そのレンズの奥の左目には、大きな傷が一本引かれていた。

 かつてはある戦線で無類の強さを見せ、敵味方を問わず恐れられた、死神。

 将官になってからは前線を退きはしたものの、軍最多である六師団の団長をしている、皇国始まって以来の天才。

「いえ。命令があれば動く。それが軍人ですから」

「それはいい心がけだ。だが、全てを鵜呑みにはするなよ」

「はぁ……」

 鴨枝の指揮下に入り早四年。何を考えている人なのか、未だよくわからない。

 無表情のまま煙草を灰皿に押し付け、デスクから出した資料をバサリと置いた。資料を取ると、「殲滅作戦」とだけ書かれた表紙。たった四枚しかない中身。めくってみるが、そのうち鴨枝は話し始めた。

「文字通りの残党の殲滅だ。戦争終結を知らせても命令に従わず、しかも、皇国軍に対しゲリラを仕掛けている」

 資料に目を通す。北西部、そこは激戦だった北部戦線の更に最前線だ。そこの要塞を占拠して抗戦しているのか。違反者の数は、約二から三千人。向こうが本気でやり合う気なら、死者数も馬鹿にならない。

「現地に駐留している軍は?」

「第一一師団の三大隊が天洲川前進基地で待機している」

 一大隊約五五〇名、つまり合わせて一六五〇、そして私達五十一名。

 向こうは要塞に立てこもっているのに更にその人数差、正気とは思えない。

「こちらの戦力が全然足りません。増援を要請します」

「だが、今現在動かせる人員はこれで限界だと、上が言っている」

「そんな訳はないでしょう。私が二日前まで居た南方の地雷の撤去にあたっている人員、その全てをこちらに派遣するべきです」

 現地にいる三大隊と私達、それに合わせれば九〇〇〇はくだらない。

 それだけ居ても、いくらかの犠牲は免れないだろう。だが、そうでなければ作戦の成功さえも危うい。

「南方がだめならそれ以外でもいい。寄越こせる人員はいるでしょう?」

 それなのに、鴨枝は首を振った。

「我が国は、戦争に負けてこそ居ないものの、勝利していないのだ。一五年、その途方もない地獄の果に引き分け。その事実を、国民は到底受け入れていない」

 駅での出来事が頭をよぎり、目に力が入る。

「おっしゃっている意味がよくわかりません、何が言いたいのでしょうか?」

「…大規模に軍は動かせん。幸い、天洲川には街自体がない。だから戦闘しても問題はないが、移動がどうしても目撃されてしまう」

 心臓に、チクリと痛みを感じる。

「地雷撤去の遅れなどは現地の人間にとっては死活問題だ。任務も中途半端に、大軍を動かしたら感づく国民も出てくる」

「それじゃあ、私達だけが、また犠牲者なんですか?」

 手の中の資料がぐしゃりと握られる。鴨枝は静かに激昂した少女を見て鴨枝は目を見開き……ゆっくりと細めた。そして、ああ、ダメなんだと、悟る。

「私は、私たちは……」

 血と火薬の匂いがする死体の山を、ずっと登ってきた。幼い頃からそれが当たり前の世界で生きて、いや、生き抜いてきた。その途中で何人の知り合いが死んだかも分からない。

「こんな生き方、望んだ訳じゃなかったのに」

 消えそうな声で呟く。

 颯は床に資料を叩きつけ、背を向けて扉の方へと向かった。

「まて、颯」

 ドアノブを捻る。

「私は最初に言ったろう。命令の全てを鵜呑みにするなと」

 鴨枝は立ち上がり、机の上に置いてある別の資料を差し出した。

「必ず援軍を送る。お前達だけを、犠牲にしたりしない」

「…………わかりました」

 颯は資料を受け取り、部屋を後にした。




 颯が出ていった三十分後。ドアを叩く音がした。

「失礼します。お呼びでしょうか?」

 六波羅京ろくはらけい、皇国陸軍大佐。彼は鴨枝直属の部下だ。

「……六波羅、お前の大隊は天洲川に向かえ」

「天洲川、ですか? あそこは十一師団の管轄ですよね?」

「それを読め」

 鴨枝は先程颯が投げ捨ててぐしゃぐしゃになった資料を指さした。

 六波羅はそれを拾い上げて人通り目を通す。段々と顔を顰める六波羅に、鴨枝は言う。

「……五年前の、フロッツ・ベルのことを覚えているだろう?」

 フロッツ・ベル。その単語を聞いた瞬間、六波羅は鴨枝を睨んだ。

 難攻不落を謳われ、当時最も新しく最も巨大だった、隣国ヴァルトキア連邦の最終防衛網、その要塞都市の名、『フロッツ・ベル』。

「忘れませんよ、あれは。忘れられません……」

 光景が、今でも頭にこびりついて離れない。

「……陸軍上層部の一部は、戦争しか知らない世代、戦争世代を極端に恐れている。戦争が集結して、いよいよその強大な力の向け先を見失った。自分たちが鞘に収められる剣ではないことを、分かっているんだ」

 表紙に書かれた、作戦名。

「まさか、この作戦で殲滅されるのは……」

 全てに気づいた六波羅は走って部屋を出ていった。

 鴨枝の脳裏に焼き付いたあの時の記憶。

『おじさん、助けて』

 そこにはまだ十歳の子供が軍服を着て、泥と血まみれで銃を担ぎ、死んだ友人を抱えていた。

『胸を撃たれて、動かないの』

 吐きそうだった。自分たちのことを正義だと疑わずに信じていたことが。子供が殺し、殺される、醜すぎる現実。その全てが気持ち悪かった。

『あの子供達を化け物にしたのはこの国の大人だ! 誰かかあの作戦に反対していれば……』

 誰かが言った。

 人の悪意と自分の憎しみしか知らない、悲しい子どもたち。

 戦争以外見たことのない、戦争しか知らない世代の、戦争しかしてこなかった子どもたち。

 人間のエゴが生み出した子どもたち。

『こんな生き方、望んだ訳じゃないのに……』

 だめだ。あの子たちは、これからは明るい世界で生きていくべきなんだ。

 散々人殺しの兵器として扱われたあの子たちが、生き延びた。その理由はきっと、未来のためにある。

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亡国の夜叉 兎莵兔菟 @usagi-rabbit

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