ハイテクハウスの罠!

雲条翔

第2話 ハイテクハウスの罠!

「徒歩5分って、400mのことなんですよ。実際に歩いて時間を測ってるんじゃなくて、時間と距離が決まってるんです」


「ってことは、1分で80mか……結構、早歩きだな」


 職業柄なのか、車を運転しながら、不動さんはそんな雑学を話してきた。


 助手席の俺は、軽く相槌を返す。


 フルネームは知らないが、快活に笑顔で語る不動さんは、女子アナを思わせる二十代半ばの女性。


 これまでの流れで見当がつくと思うが、不動さんは『不動不動産』という不動産屋の職員である。

 一行のうちに四回も不動って出てきちゃったぞ。


 三流私大のボンクラな大学生の俺は、住んでいたアパートでボヤ騒ぎがあり、新しい住居を早急に探す必要に迫られていた。

 不動さんの案内で、物件を見に行く途中なのだった。


 ちなみに、優柔不断であちこち見て回っている、俺の名前は木芽兼照きめ かねてるという。


 ハンドルを握っていた不動さんが、ちょっと渋い顔をしながら「あと5分くらいで着きますけど……ホントに行きます?」とこちらを見てくる。


「あと5分のところまで来て、引き返す選択肢はないでしょ。行きましょうよ」


「さっき少し説明しましたけど、これから紹介する部屋は、様々な工夫を凝らした新システムの試作段階で、オーナーはいろんな人に住んでもらって、モニターとして感想が欲しいそうですよ……はあ」


「だから俺も泊まる気でいるんですけど……どうしたんです? ため息なんかついて。何かイヤな理由でも?」


「オーナーというか、部屋のシステムを作った開発者……私の……知り合いなんですよ」


 ◆


 住宅地の中に突然出現した、真っ黒な家。


 ルービックキューブを全面「黒」にしたみたいな外観の建物だ。


「マンションでも、アパートでもなく、一軒家なんですね。モデルハウスっていうか」


「中身はワンルームマンションみたいなものです。これ、つけてください。この部屋では必須のウェアラブルデバイスです」


 不動さんは、玄関の前で、俺に腕時計みたいなバンドを渡してきた。


 言われるがままに、俺はそのデバイスを左手の手首につける。

 重厚感はなく、プラスチックっぽくつるんとしていて、オモチャみたいに軽い。


「そのデバイスに自己紹介してみてください」


「え、腕時計に喋るんですか? あ、えーと、木芽兼照です、ハタチです」


「きめ・かねてる、さん。音声入力の登録を確認しました。これからは、あなたがオーナーです。どうぞよろしく」


 デバイスから合成音声が聞こえてきた。


「すげえ!」


「この家は、デバイスに音声入力することで、システムが機能する仕組みになっています。他の人の声では反応しません。オーナー登録をした人の声で動くんです。玄関でも、鍵代わりになってますので、喋ってみて下さい」


「え、なんて? 開けゴマ!とか?」


「玄関を開けるキーワードは、ただいま、です。ただいまと言えば開きます」


「なるほど、家に帰ってきた感じ、というわけか」


 俺は少し照れながら、デバイスをつけた手首を口元に近づけ、「た、ただいま……」と呟く。


「声が小さく、音声の本人確認ができません。もっと大きな声で、はっきりと発音して下さい」


 デバイスに怒られてしまった。


 よし、今度はもうちょっと大きな声で。


「ただいま」


「声が小さく、音声の本人確認ができません。もっと大きな声で、はっきりと発音して下さい……」


「え、もっと?」


 俺は大きく深呼吸すると、怒鳴るような声で「ただいまっ!!」と叫んだ。


「おかえりなさい、木芽さま。近所迷惑なので、少し小さな声でお願いします」


 またデバイスに怒られてしまった。


「理不尽だ!」


「まあまあ木芽さん。ほら、玄関が開きましたよ」


 自動ドアみたいな横スライドで、黒い扉がゆっくり開く。


 中を覗き込むと、天井も壁も床も、黒一色の真っ暗な空間。窓もない。

 家具があるのかどうかも分からない。


「電気、どこです?」


 俺は指先を壁に這わせ、スイッチを探る。


「デバイスに言えばつけてくれます」


「あ、そっか。照明つけて」


 俺がデバイスに向かって言うと、


「つけてください、でしょ」


 と反抗してきた。


「……照明をつけてください」


「つけてください、お願いします、でしょ?」


「不動さぁーん! コイツむかつくー!」


「より人間らしい会話が楽しめるように、AIを搭載したデバイスらしいので。事務的で機械的な味気ない会話よりは、ツンデレを相手にしていると思えば楽しいじゃないですか」


「わかりましたよ! 照明をっ! つけてくださいませぇー! お願いしまぁす!」


「木芽さま。近所迷惑なので、少し小さな声でお願いします」


 またまたデバイスに怒られてしまった。


「やっぱり理不尽だよ!」


「ほら木芽さん、照明がつきましたよ」


 さっきまでは「窓もない真っ暗な空間」だったのが、途端に「壁一面が発光している部屋」に一変した。


 そこは、十畳ほどのワンルーム。


 驚きなのは、家具が一切ないこと。


 そして、天井、壁、床にいたるまで、「白く発光している、40インチのディスプレイ」が壁材代わりに隙間無く敷き詰められている、という光景だった。


「圧巻だな……周囲がすべて画面、それが全部照明代わりか……。床にも使われていますけど、踏んで大丈夫なんですか? 割れませんか?」


「硬化ガラスを使用していますし、強度は実験済みです。その場でジャンプしたって、ヒビひとつ入りませんよ」


 俺は玄関先で靴を脱いで上がろうとしたが、不動さんは靴を脱ぐ気配がない。


「入らないんですか?」


「……ええ。説明なら、玄関からでも出来ますから」


「やっぱりディスプレイを踏むと割れるんでしょ」


「割れませんって! でも……」


 俺が靴を脱いで第一歩を踏み出すと、デバイスから音声が聞こえた。


「オーナー・木芽兼照さま。体重は66キロ。三次元スキャンによると身長は178センチ。筋肉量は平均以下。もう少し運動しましょう。肌も荒れています。魚や緑黄色野菜を多めの食生活を心がけ、十分な睡眠時間を確保してください」


「なんすかこれ」


「コンピュータが自動的に、オーナーの健康管理をしてくれるシステムなんです。床を踏んだ時の体重を測定すると同時に、室内を監視する立体スキャン装置で身体を検査してくれるんですが……」


「いちいちめんどいっすね。世話焼きの母親じゃないんだから」


「木芽さま。健康の一番の敵は、ストレスです。ストレスを低減させるリラックス効果のある音楽を流します」


 どこからともなく、室内にはクラシック音楽が流れ始める。

 見えないけど、壁や天井にはスピーカーまであるらしい。立体音響なのか、やたらと音質が良かった。


「ここまでいちいち気を遣われるのが、逆に一番のストレスなんですけど……」


「しっ、木芽さん。デバイスに聞かれちゃいますよ」


「あ、でも、不動さんが部屋に入りたがらない理由、分かりました」


「……べ、べつにっ! いいんですけどねっ! 体重知られたって! 最近はダイエットうまくいってますし! 前より減ってますもん!」


 急に真っ赤な顔をして、反論をしてくる不動さん。かわいい。


「いいですよ、ムキにならなくたって。不動さんは、そこにいてください」


「ムキになってませんけどっ!」


 なってるじゃん。


「私が部屋に入りたくない理由は、体重のことだけじゃなくて!」


「はいはい。言い訳はいいですから。話題変えましょ。ね。この部屋、窓も家具もないですけど、それもこの、デバイス様で操作するんでしょ? 教えてくださいよ」


「……デバイスに、窓を開けて、と呼びかけてください」


 俺は左手首に口を近づけた。


「窓を開けてください!」


 さすがに学習したので、声も大きめに、そして敬語。


 すると、壁の一部のディスプレイがウィーンガシャンと音を立てて稼動し、観音開きのように左右に展開すると、南側の壁のほとんどが、窓になった。


 窓の外には、芝生が広がり、庭石があり、木々には小鳥がとまって、さえずり……。


「あれ、こんな広い庭、外から見た時にあったっけ?」


「窓の外の光景。これもモニターに映し出された映像のひとつです。騙されましたね」


 ふふっと笑う不動さん。


 壁を構成しているのは、黒い縁が極限まで減らされ、見える部分は角の先まですべて映像を表示する業務用ディスプレイだった。

 あー、こういうの、アーティストのライブで見たことある。いくつものテレビをつなげて、大きなテレビ画面になってる、みたいなイメージだ。


 だから、「稼動して左右に開く」映像を見せられて、それがあたかも本物であるかのように錯覚してしまったわけだ。


 手で触ってみると分かる。ただの画面であり、それは窓ガラスではなかった。

 それにしても、音響効果はリアルだな。

 本当に、間近で鳥がさえずっているみたいだ。


「今は、プロジェクションマッピングでも鮮明な映像が流れたりしますし。高精度ディスプレイと、立体音響装置で、見事に錯覚してしまうんです。外の映像だけじゃなくて、テレビもすごいんですよ。デバイスさんに話しかけてください」


 いつの間にか「デバイスさん」って、「さん」付けで呼んでますよ、不動さん。


「もしもし! テレビが見たいんですがお願いします!」


 すると、さっきの「芝生が広がり、庭石がある」窓の光景が、一瞬にしてテレビ映像に切り替わった。


 壁一面がテレビの大画面である。百インチ以上あるのか? まるで映画館のスクリーンのような迫力だ!


 たまたま、この時は、平日昼間の情報バラエティを放送していた。

 スーツ姿の司会の男が、スタジオで立ってコメントしていたが、その「テレビの中の人物」の全身像が、俺よりも一回り大きいくらいなのである。


「これで映画とか見たいっすね……」


 俺が感嘆の吐息を漏らしていると、不動さんは「ふふっ、もっとすごいのをお見せしますよ。ビジョン・システム、プログラムナンバー、ワン・ツー・ワンってデバイスさんに言ってもらえますか?」と子供のような笑顔で言う。


 俺がその通りに言うと……。


 壁一面がテレビ画面、どころではない。


 天井の画面には雲一つ無い青空に太陽が輝き、床の画面……足下は白い砂浜。四方向の壁……周囲は岩場と、そして青い水平線。

 海鳥が飛び、鳴く声と、波の音が響く。


 まるで海に来ているようだった。潮の香りはさすがに無いが、それでもおそるべき再現技術。


「部屋全体のディスプレイが連携して、ひとつの世界を作り出せるのです。すごいでしょ? プログラムによっては、海の中とか、世界遺跡や観光名所もあったりして、部屋から一歩も出ずに旅行気分が楽しめるんです。デバイスさんのチュートリアルで、詳しいプログラムを教わってください。どれも楽しいものばかりですよ」


「面白そうだな……ところで、普段はどうすればいいんです? ソファもテーブルも、ベッドもない」


「またデバイスさんに」


「デバイスさん! ソファでくつろぎたいんですけど!」


 俺も自然な流れで「デバイスさん」と呼んでいた。「さん」をつけることに抵抗がなくなっている。


 床の一部が開き、部屋の中央にテーブル、それに沿うようにソファベッドが出現した。


「なんでもありだな……」


 俺は、ソファベッドに腰を下ろす。ふかふかだ。


「普段、人がいない時は、家具は床下に収納されます。収納時には、紫外線照射によるダニや雑菌の殺菌、消臭剤噴霧でニオイ消し、定期的なカバー交換のサービスもオートでやってくれるので、ベッドや枕は常に清潔な状態が保たれます」


 しかし、まだ部屋全体には海辺の映像が流れたまま。

 浜辺に、ベッドとテーブルを出しているみたいで、シュールだった。


「水回りは?」


「またデバイスさんに」


「このウェアラブルデバイスがあれば何でもできるけど、裏を返せば、なかったら何もできないってことだよな……。デバイスさーん! トイレやシャワーはどうすんの!?」


 壁の一部の画面が動き、横にスライドすると、その向こうには通常の住居で見られるようなトイレ・バスのユニットがあった。

 隣にはドラム式の洗濯機まで完備だ。


「キッチンはどこですか? あ、不動さん言わなくていいです、またデバイスさんに聞きます。デバイスさん! キッチンはどこですか!」


 別の壁の一部が開いて、システムキッチンが姿を現す……と予想していたが、何も起こらなかった。


「デバイスさーん! 聞こえてますかー!」


「木芽さん。キッチンは無いんですよ」


「なーんだ、先に言ってくださいよ、キッチンは無いんですか……えっ? 無いの!?」


「デバイスさんに、フード・プログラム、ファイブ・ゼロ・ファイブって言ってもらえますか」


 不動さんに言われたとおりに言うと、ソファベッドの脇のテーブルが、一旦床下に収納された。

 ぶーん、ごごご、と何かの駆動音がしていると思ったら、数十秒後には再びテーブルが出てきた。

 テーブルの上には、湯気の出ているマグカップ。コーヒーの香りがする。


「え、まさか……」


「そうなんですよ。キッチンが無いのは、必要ないからです。大抵の料理は、デバイスさんを通じて注文すると、地下で機械が作って、テーブルに乗せて出してくれるシステムです。ほとんどが冷凍食品だったり、インスタントだったりしますけれど、味は美味しいですよ」


 俺はテーブルのマグカップを手に取り、口をつけてみる。


 うん、間違いなくコーヒー。


「これも、ちょっとした飲み物やスナックから、ちゃんとした料理までパターンがありますので、あとでデバイスさんを通じて聞いてみてください。この部屋の画面すべてにメニューがずらーっと並んで紹介されるんで、きっと迷っちゃいますよ。そのレパートリーは豊富で」


 不動さんが胸を張って得意げにしていた。


「なんだかSFの世界ですねえ。これが、タダでいいんですか」


「ええ。今回はタダです」


「不動不動産」では、他店との差別化を計り、物件を見るだけではなく、実際に一晩「お試し」で泊まってから、決めることができるという、独自の親切なサービスを実施している。


 残念ながら、無料サービスではない。


 一泊の料金は、ネットカフェのナイトパックと同等の金額。


 それでも、ビジネスホテルと比較したら、破格の値段だろう。


 俺みたいに、すぐにでも決めたい人間としては、家具や寝具も元々備え付けと聞いて、これまでは「お試し」サービスに飛びついていたのだが、今回は「新システムの試作モニター」なので、感想レポートさえ提出してくれれば「タダ」だという。


 こんなハイテクの塊に泊まれるなんて、本来なら有料イベントだろう。


「これだけすごい部屋に泊まれるのはいいんですけど……さっき不動さんが言ってたことがちょっと気になって」


「何か言いましたっけ?」


 まだ玄関先から動かない不動さん。


「私が部屋に入りたくない理由は、体重のことだけじゃなくて!と言ってたじゃないですか。もうひとつ、何かあるってことですか」


「えー、あー、あっれー? そんなこと言いましたっけー?」


 冷や汗を浮かべながら、斜め上に視線を走らせ、作り笑いを浮かべる不動さん。これは完全にクロですぜ。


「言ってくれないなら、不動さんを引っ張って、玄関から先に入ってもらいますよ。当然、床に乗れば、体重が……」


「うう、卑劣な……」


 俺だってこんな卑怯者みたいなことしたくないんだ! 


 でも「ううう……」と困った顔の不動さんも可愛いんだ!


「あっ! 私、別のところに用事があったのを、たった今思い出しましたぁー! 行かないと! すみませんね! 何かあったらデバイスさんに聞いたら教えてくれますから! くれぐれも丁重に! ヘンなこと聞いて怒らせないでくださいね! それじゃ!」


 しゅたっ、と駆けていく不動さん。明らかに、逃亡だ。


 玄関のドアが閉まり、俺はひとり、部屋に残された。


 俺はソファベッドに寝転がり、天井を眺める。


「ねえデバイスさん」


「なんでしょうか、木芽さま」


 装着している手首に向かって話しかけると、人工音声が返ってきた。


「不動さんの隠し事って、なんだと思う?」


「質問が漠然としており、回答できません」


「AIって頭いいんでしょ。推理してよ」


「小学生みたいな感想はやめていただきたい」


「じゃあ……方向性を変えて。この部屋を開発した人、不動さんの知り合いって言ってたけど、何ていう人?」


「大手家電メーカー・ビッグウェーブ社の商品開発研究室・常呂川美月ところがわ みづきさんです」


「美月さんってことは、女性なんだ」


 不動さんの元カレという路線は、消えたか。


「ハウスメーカーのエターナルホーム社との合同研究でこのプロジェクトは完成しました。常呂川美月と、不動産会社の不動不動産職員・不動こころは、同じ大学に通っていました」


 なにげにこのタイミングで、不動さんのフルネーム「不動こころ」って知ってしまった。下の名前、こころって言うのか。


「不動さん、会いたいなあ……」


 俺がぽそっと本音を漏らすと、


「ココロさんを立ち上げますか?」


 人工音声がよく分からないことを言った。


「なに? ココロさん?」


「常呂川美月が生活サポート用にプログラムしたAIアシスタントです」


「AI……アシスタント? なにそれ?」


「プログラム起動を中止しますか?」


「しません。なんか面白そう。ココロさんってやつを立ち上げてみて」


「了解しました」


 ソファベッドに横になっている俺の脇に、急に人が出現した。


 メイド服を着た若い女性だった。


 どこから来たんだ? 


 ……いや、違う。


 俺が違和感を感じ、手を伸ばすと、そのメイドさんの黒いスカートを、空気を掴むみたいにするりとすり抜けた。


「こんにちは、木芽さま」


 メイドさんは微笑み、俺に会釈した。


「もしかして、立体映像?」


「その通りです。常呂川美月は、生活のサポート用に、開発者権限でAI搭載のメイドタイプのアシスタント・キャラクターを隠しプログラムとして仕込んでいました」


「ちょ、ちょっとデバイスさんは黙ってて」


 俺は、メイドさんをまじまじと見つめる。


「本物の人間みたいだ……あ」


 不動さんが、部屋に入りたくない理由。メイドさんの立体映像が出る隠しプログラム。開発者と知り合い。


 俺の目の前のメイドさんは、観察してようやく気づけるレベルではあったが、不動さんに似ていた。


 下手な似顔絵師のイラストから、元ネタの芸能人の顔がぼんやりと浮かぶような。そんな遠距離ではあったけれど。


「多分、不動さんをモデルにして、この3DCGを作ったんだな……えーと、ココロ、さん?」


「はい。ココロといいます。なんでも聞いてくださいね」


 3DCGのメイドさんは、にっこりと微笑んで、会釈する。


「おお、会話ができる……デバイスさんより、俺はこっちが好きだな。見た目がいい」


「ルッキズム至上主義は現代社会で非難の的ですよ」


 と、デバイスさん。ごめんなさい。

 でも話し相手に選ぶなら、腕時計もどきよりは美人メイドさん一択だろう!


 俺が漏らした「不動さんに会いたい」という言葉が、きっと起動のキーワードだったのだ。

 開発者が親しい友人を驚かせようと、お遊びで入れた隠し要素。そんなところか。


 だが、不動さんは「隠し要素」の存在を知らされ、何かのきっかけでプログラムが起動して「自分がモデルとなったメイド姿のアシスタントが、にっこりと微笑む様子」を見るのが恥ずかしくてたまらなかった。

 それが、不動さんが嫌がっていた理由。そう推理すると、辻褄が合う。


「ココロさん。明日の天気を教えて」


「現在地の明日の天気は、くもり・のち・あめ。傘を持って出かけた方がいいでしょう」


「ココロさん。なにか面白いジョークを言って」


「ふとんがふっとびません」


 やるじゃないか。


 アレクサみたいに、会話の内容からネット検索などもできるようだ。


 とーこーろーでー。


 男の子ひとりの部屋。そして、メイドさん。


 と、なると! ちょっとアレなことも考えちゃうよなあ!


 不動さんを立体スキャンして、3DCGのこのメイドさんを作ったと仮定した場合、もしかすると、もしかするとだ……スリーサイズとか、ご本人と一緒だったりして?


 身長もほぼ同じだし、まさか、見えないところまで再現されているのでは……ごくり。


 俺はメイドさんの「ココロさん」の全身を上から下まで眺める。


 不意を突いて、床に寝転がる俺。

 ごろごろと転がり、偶然にも、メイドさんの足下で仰向けにィーッ!

 ああ偶然ってこわいなー!


 メイドさんの足首まであるロングスカートがひらりと揺れ、その中には!

 きっと天国が!


 バン!


 板を殴るような音がしたかと思うと、一斉にディスプレイ照明が消え、部屋は真っ暗になった。


「え、なに? なにが起きた!? 停電? 雷でも落ちたのか!? デバイスさん? デバイスさん返事して!? 照明つけて! 間違えた、つけてください!」


 デバイスさんの反応は、無い。


 手探りで玄関を探し、開けようとするが、ドアは動かない。


「そっか、開ける時も音声入力なのか? 開け! いや、帰ってきた時が、ただいま、だったから……。行ってきます! 何も起こらない! デバイスさーん! ちくしょう、停電になった場合はどうすりゃいいんだよ!」


 真っ暗な部屋の中で、シャワーの音がする。


「おい、まさか、お風呂のシステムが壊れて、勝手に水が噴き出してる、とか……」


 シャワーの水流が床を叩く音は、段々強くなる。そして、ちょろちょろと、床を伝う音まで!


「カンベンしてくれよ、水分は精密機械の天敵だろうがよ! 確実に壊れる! なんとか手動でシャワーを止めないと……」


 だが、シャワー・トイレの扉さえ、デバイスの音声入力じゃないと開かないのだ。俺が力を込めても、びくともしない。


 その間にも、シャワーの音と、床を伝う音は、鳴り止まない。


 俺は自分の服のポケットからスマホを取り出すと、不動さんの連絡先に電話して、助けを呼んだ。


 ◆  ◆  ◆


 駆けつけた不動さんが、非常用の緊急解除キーで玄関を開け、外から光が差し込んできた時、俺は涙目になっていた。


「真っ暗だし、デバイスさんは答えてくれないし……水は止まらないし、みんな壊れちゃったみたいです……」


「そんな簡単に壊れる設計ではないはずですが……開発者に確認します」


 不動さんがスマホでどこかに連絡している。


 冷静になった俺が、スマホの照明でシャワー室の方を見ると、まだ水音はするが、床まで漏れていなかった。


「私だけど……この状況で……うん……そうなの……はっ? なに? そんな機能……確かに、冗談で言ったけど……」


 親しい友人と話しているかのような、フランクな口調の不動さん。

 さっき、開発者に確認すると言っていたが、電話の相手は大学時代の友人・常呂川美月なのかもしれない。


「わかった……やってみる」


 電話を切った不動さんは、「解除コード、エー・シックス・ゼロ・ファイブ・ワン。オールリセット」と呟いた。


 突然、部屋の照明が戻り、明るさが戻る。


「うわっ、ついた! よかった、故障したかと思って焦った! 今の電話の相手、開発者って言ってましたけど」


「ええ、開発者が私の元カノ……あ! いえ! もと……か……もとかわさん!」


 不動さん、急に顔を真っ赤にしたと思ったら、わたわたと慌てて、何か思い出したかのように「モトカワさん!」と大きな声を出したので、びっくりしてしまった。


「モトカワさんって言うんですか? これを作ったのが?」


「そうなんですよ!」


「さっき調べたら、モトカワさんじゃなくて、常呂川美月って人でしたけど」


「知ってたんですか、美月のこと」


「デバイスさんと話しているうちに、たまたま。で、モトカワさんって?」


「モトカワさんの話は置いておくとして!」


 自分で言い出したくせに。


「木芽さん……とんでもないことをやってくれましたね。メイドのココロさん、起動したんでしょう!? 見たんですね、アレを!」


 ちょ、ちょっと不動さん、お怒りモードだよ!


「その、まあ……はい」


「完全に騙されたんですよ……。CGのキャラデザを考えているから、イメージを決めるために、このメイド服着てくれない?とか言われて。バイト代も出すからって。写真をパシャパシャ撮るからモデル気分で調子に乗っていたら! いつの間にか立体スキャンカメラで全身の三次元データを取られて! あれはセクハラ! あーもう!」


 なんだか今日の不動さんは情緒不安定だな。


「でね、私、言ったんですよ。もしもこのメイドさんのCGに対して、いやらしいことをする人がいたら、天罰を与えてくれ、って」


「て、天罰?」


「例えば……真っ暗闇の中、シャワー室が開かないけど、シャワーは流れ続けて、足下まで水が漏れてくる。そんな怖さを、立体音響でリアルに再現して、驚かせるドッキリを仕掛けるとか、ねぇ……」


「り、立体音響……ニセモノの水音……」


 俺の額に、冷や汗が伝う。


 この時の不動さん、笑顔ではあるが、必死に感情を押し殺しているような「圧」が逆に怖い。すっごく怖い。

 怒り爆発、一歩手前、みたいな。


「木芽さぁーん。確認ですけどぉ……メイドのココロさんに、何か、しましたかぁ!?」


「あ、その、えっと……」



 ◆  ◆  ◆



 怒っている不動さんの空気に耐えられなくなった俺は、タダのハイテクハウス宿泊から逃げ出し、その日はネットカフェのナイトパックを利用した。

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