第44話 燃焼


 境内に入ると、鳥居が出迎えた。トーチカと藪を結ぶ直線に神社の入り口がある。彼らの視点では、鳥居の額縁に寺が収まっている。寺院は非常に明るく燃焼している。燃料でも撒いたのか、急速な火の巻き方だった。


「仏教がこの村に輸入されたとき、土着の進行と混ざったんだろう」


 というのが、黒井の見立てだった。鳥居と寺院、この混ざりあい。仏教と神道は、結合双生児のように共存している。


「ここは、本物の聖域、いや霊域だ」


 黒井は云った。

 その時、屋根の一部がミシミシと崩落した。それでも、火炎は勢い止まらず、舌をへらへらと出して、木造建築を焼き尽くしている。もう時間は少ない。全壊する前に決着をつけなければ、復讐は永遠に灰になってしまうだろう。

 鳥居をくぐる。白紙の直線を、筆でまっすぐ引いたように、血の跡が割っている。雪が積もる石の道は、明かりのちらつきで影が現れては消えてを繰り替えす。その現象は道の両脇の砂利に顕著で、細かな起伏がある雪上は、さざ波を立てている。

 読経の唸りは本堂へ接近するにてれて、巨大になった。とても人の発したとは還元できないうねり。意味も解読できぬその呪文は、二人が本堂の前に来ると、途切れた。


「なにをしに来たのかな」


 モンタージュの男。目を半眼にする瘦せ型の中年男性は、神宮寺、その人だった。彼の額には熱さで汗がにじんでいた。それなのに涼しい顔をしている。

 男の傍に、ぼろきれの死骸が二つある。それは、あの殺された双子だ。神宮寺が、ここまで運んだらしい。どこかに入り口があるのだろう。


「お前を捕まえに来た。警察に突き出すために。一年間、ずっと追ってきた。一年前、子供を攫ってからずっと。お前は無意味な呪術のために、その命を奪ったんだ」


 建物を支える二本の柱に、炎がとぐろを巻き始め、あっという間に呑み込んでしまった。炎の糸杉は、身をよじりながら、さらなる螺旋を描いている。


「無意味な呪術じゃないね。人々に不幸が降りかかるのは、とても意味があることなんだよ。勘違いしちゃいけない。すべて、彼らのためにしてることだ。すべての日本国民のためにね」


 神宮寺の語りは、意外にも飄々としている。裏の火炎もどこ吹く風で、どこかさわやかな印象すら与える。


「仮に呪いが本当だとしよう。それのどこが、俺たちのためなんだ。不幸なだけじゃないか」


 彼の疑問に神宮寺は一呼吸置いた。


「社会を見渡すとよくわかるよ。人々は貧しい心情を抱えているからね。この国の国民は心に貧困を抱えている。そう思わないかい」


 と、アルカイクスマイルを浮かべながら、柔和に語りかける。厚ぼったい目は仏像を想起させた。


「思わない。世の中のために、努力してる人間はたくさんいる」


 と主張してから、長谷川に目線を移すと、見つめ合う形となった。


「なるほど。私のように。だが、少数派だ。やっぱり、この国の大半が汚い国民で成り立ってる。キモい村社会で、人のあらを探してばかりだ。道徳の教科書がいけなかったんだろうね。仁義や因習、美徳にとらわれる人間ほど、醜い存在はない。それらは非人道的なまでに不合理で不公平で、ゆがんでいる」


 簡単に済ませるつもりはないようで、彼はさらに言葉をつないだ。


「この国の醜い国民性は、すべて当事者意識の欠如から来ていると思う。どうして他人の苦境が自分とは無関係だと思い込むんだろうね。だって、誰だってそうなる可能性はゼロじゃないんだろう。不倫、強盗、強姦、殺人、放火。誰だって、追いやられる。それは悪環境や不幸の連続によってね。それに、聞くところによると殺人筋というのもあるそうじゃないか。でも、これらを理解しない人は案外、多い。幸せな温室育ちは、負の想像力に重大な欠陥を抱えているんだろうね。でも、程度が低いのも、それが理解できないのも、それもこれも仕方がないんだよ。罪を恨んで人を恨まず。無知は罪じゃなくて、無知を許すことが罪なのだ。だから、わかりやすく教育するんだよ。教育で呪いが役に立つね」


 蟲毒の呪い。


「誰か偉い作家がおっしゃった。こんなことをね。時に、もし人間が痛覚を共有していたら、この世から無理解が減るとは思わないかい。誰もが手を取り合い、助け合うだろう。一人でも痛みを抱えていれば、あらゆる人間が集まってきて、治療しようと躍起になるだろう」

「みんな平等に不幸になるだけさ。痛みが消えることはない」


 だから例の作家は切腹したのかもしれない。


「だから、それは一時的でいいんだ。生ワクチンみたいなものさ」


 神宮寺は噛んで含めるように解説する。


「もちろん、神経をつなぎ合わせるなんで絵空事だ。しかし、つなげなくたって、疑似的に国中の痛みを共有することは出来る。それが災害だ。私は東日本大震災の時に感動した。いつもはキモい自我自尊に死ねの二文字なのだが、その一か月だけは、なされたあらゆる支援に対しての称賛は、むしろ謙遜しすぎている、と思えるほど美しいと思った。この国も捨てたものではない。まだ根っこは腐ってなかった」


 熱弁する勢いは、火をさらに勢いづけるようだ。


「だから呪いを制作したのか。災害を引き起こすために」

「その通り。焼くことで灰は世界に散らばるだろう。そして不幸を平等に振り撒くのだ。もう誰も傍観者ではいられない。もちろん、灰だけでは風に乗って薄れてしまう。だから、ここ二上山で灰を散布するのだ。つまり、呪いは起爆剤でしかなく、本命はこの火山を大噴火させることにある。すごいことになると思うよ」

「二上山は死んでいる」


 長谷川は告げた。もちろん、そういう山が息を吹き返す例もあるが。


「知ってるよ。もし生きてたなら科学を頼ったろうね。爆弾を火口に落としたり。しかし、そうはしなかった」

「二上山以外でやればいい。お前は学者じゃないだろうが、活動中の火山くらい調べれば出てくるだろう」


 男は目を輝かせた。

 燃え盛りが彼の目玉に反射する。

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