第42話 蟲毒
「ですが、使うのは蟲じゃありません、人間です」
ぜえぜえ、と息を切らしながら、西田は続けた。
「ひひっ。それもただの人間じゃない。世の中から不当な扱いを受けた、自殺志願兵でっせ。ひぐっ、失礼。す、捨て子、障害者、侏儒、のっぽ、性的倒錯者、なかには普通でありすぎることを気に病んだ者もいました。へへ。さて、そんな怨念を集めた結晶はどんな効果を持つのでしょうな。想像もつきません。くくく」
だから、妹の子供は誘拐された。生まれる前から分かっていたことだ。あの子には、障碍があった。
彼女へ言いたいことが沢山、溢れてくる。確かに、この世界は息子にとっては厳しいものかもしれない。偏見や差別があるかもしれない。だが、俺たちは味方になってやれるじゃないか。それに、世の中にはいろいろな団体がある。
周囲の無理解、社会との不和。子供を育てるか、堕ろすか。社会に潜む異常な二択に妹の心は膿んでいった。嗚呼、育てるなんて許されないのである。障碍者差別、障碍者を生むことによる親戚への結婚差別。繰り返される文句。
決して現実は、耳を塞ぎ、目を覆うだけでは解決しない。そんなことは気休めでしかない。理由は、手のひらの手前ではなく、向こうに問題があるからである。
「黒井ではなく、私を選んだ理由は、この指のためだったか」
六本指の手は、寒さで関節がほのかに赤く染まっている。その手は、人形のように小さい。ぶかぶかの手袋をつけている際の印象との落差で、そう感じるのかもしれない。
「私は私の体を恨んでなんかない。とんだ勘違いだ。指が一本多くて、だからなんだ。私からしたら、五本の指はむしろ欠損だ」
「へっ、へへ。学者様。それはそれは失礼しました。ですが、子供時代も、そうお考えでしたかな。黴菌のように扱われた経験はありませんか」
「苦しんでないといっている。お前こそ、偏見で人を見ているな」
「では、その手袋はなんですかい」
黒井は、その時の彼女の表情を忘れることができない。直ちに目をそらさなければならなかった。
「それなら幸運でしたな。おらあ、違いました。ふぎっ、失礼。このように、呼吸器の疾患があり、常に荒く息をしていて、容姿とあいまり、豚と渾名されたものですよ。ひひっ。でも、親にそんな風に言われるなんて不幸でしょう」
館長は、それから、ぶっ、ぶぶっ、とあぶくを噴き出した。もしかしたら、肺に開いた穴から空気が漏れているのかもしれない。もしくは腸に穴が開いて、そこから直接、ガスが噴出しているのかもしれない。ひどく汚らしい音だった。
「呪いなんてバカバカしい。そんなオカルトのために、どれだけの命が散った」
黒井はたたきつけた。
「おかるとじゃない。呪いは別の意味でも効力を持つのです。ほら、それがその子だ。ぐふふ。世に解き放たれた、殺人トーナメントの優勝者」
壁の数字が試合数なら、ジグザグの模様はトーナメント表だったのである。
「これで成就したのだ。生まれてこのかた殺すことしか知らない怪物。親に捨てられ恨みを醸成した。ひっ、血も涙もなく姉妹をバラバラにする悪魔。これぞ、蟲毒の呪いの正体だ。お、俺の死は無駄にならなかった。それが俺の死で証明された。壁の数字は、この試合をもって百とする」
人間蟲毒は、戦士を作ることが目的だった。狂人を世に解き放ち、無差別殺人でも起こすつもりなのだろう。
「百回だと」
長谷川はなにかに気づいた。
「トーナメントだろう。なら、試合は九十九で止めなければならない。壁の数字が試合総数なら、選手は百一人になる」
みるみるうちに、西田の顔は温度を失っていった。
呪いにおいて手順は大切で、もし、それを誤ると術者には罰が待っている。このように大掛かりな呪術ならば、待っているのは惨たらしい結果だ。人を呪わば穴二つ。
「へっ、へへ。ははっ。くっ、くそ。くそ」
「それに、この子は人の心を失っていない。証拠に私を助けたじゃないか。なんといっても、昼間、助けてやったからな。そのお返しだろう。つまり、呪いはその意味でも成就しなかったといえるな。二重の意味で失敗したのだ」
オカルト、現実、どちらをとっても、呪いは失敗だった。
計画の失敗を聞いて、彼の命は急速に失われていった。生命の火が砕ける瞬間、口から真っ赤な血ぶくが吹きこぼれた。まるで噴火だった。彼の突き出した唇は、二つの山頂に見えなくもない。はたして、その昔、噴火した二上山はこんな風だったろうか。
亡骸を見下ろしながら、黒井は云った。
「これが真相だったのか。蟲毒の呪いを作るために、神宮寺は人をさらい、西田がここで戦わせた。蟲毒だから、勝者に敗者を喰わせたりしたかもな。そうやって、恨みを蓄積させたんだ」
「生物濃縮みたいだな」
彼女のいうとおり、まさに、これは呪いの生物濃縮だ。
生物濃縮。簡単に説明すると、例えば化学物質が海にあったとする。これを十匹のプランクトンが体内に取り込む。それを小魚が食べる。その十匹の小魚を、魚が食べる。魚を、サメ十匹が食べる。食物連鎖に従って、化学物質が積み上げられていくというわけだ。そうして、閾値を超えた物質は、生き物に影響し、畸形を引き起こしたりするのである。
この、銃を抱える雪の子、彼女は攫われたのだろうか、それとも志願したのだろうか。
「お前、そういえば双子だったな。昼間に出くわしたのはお前で、自販機で合流したのは、お前の妹というわけだ。どうも、話が食い違うと思った」
長谷川は納得した。
「妹の行方はわからないけれど、たぶん、そうだと思う。私と私の妹はよく似てるから、なにか勘違いがあっても不思議ではない」
「お前の妹なら、旅館で預かってる」
「場所は分かる。だけど、することがあるから、あとで落ち合うことにする」
黒井は入口へ向かう彼女の背中に声をかけた。
「おい、ひとりで大丈夫か」
「大丈夫。森は慣れてるから」
彼の心配をよそに、少女は暗闇に消える。一体、明かりなしで、なにを頼りに歩いているのだろう。
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