第41話 対決


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 聖域の看板。最初、目標だったそれは、今では、通過点でしかない。黒井は、ひたすらに前へ足を動かす。やはり、西田と長谷川の足跡は、聖域へと向かっているようだ。その二列は、例の破れ目を越え、西へと向かっていた。そして、足跡は九十度折れる。柵の途中に門があり、金網をすり抜けて、森に続いていく。

 仕切りの上部には、有刺鉄線がめぐらされており、よじ登れそうにない。彼はおとなしく引き返して、例の破れ目から侵入することにした。急がば回れだ。

 例の破れ目、藪のトンネル。別世界への入り口は、ぽっかりと口を開けている。ここを這って進む。それから、藪に沿って、西へ走った。あの門まで行って、人跡の追跡を再開するのだ。


 彼は疾走しながら想った。

 長谷川はどうしているだろう。殺されてしまったか、ひどいことをされたか、それともその二つか。この靴跡の先に惨い死体が待っていたら、という悪い考えに追いつかれないように激走する。己の吐く息を突き破り、もうもうと白い煙をたなびかせ、白銀の森を駆け抜ける。走り続けろ! と己に鞭を打つ。

 トーチカだな、という直感。方向音痴な彼でも大体の位置くらいはわかる。なぜなら、この坂の上に、あの建物はある。あそこは一体、なんのための場所なのだろう。

 生贄を捧げ、この村の神を召喚する祭壇。この土地の風習は未だに続いていて、あの二人の少女も、そのために屠殺された。そして、長谷川も。

 平地に出ると、一つの輝きを見る。建物が光のベールを纏い、その神々しいきらめきは、ふっと弱まり、大井戸の穴へと吸い込まれて消えた。それから三拍おいて、銃声のつんざきが、木々の隙間を縫った。反響か余韻か区別のつけられぬ耳鳴りが押よては引くたび、後悔と絶望はかわるがわる心の砂浜に打ち寄せた。

 あの二連式ショットガンは発射された。雪のせいではなく、頭が真っ白になり、黒井は訳も分からず走り出す。行く手には円形地獄の入り口が迫った。

 これから自分は死ぬのだ。黒井は悟った。彼女を殺した西田に、決死の特攻をおこなって、散っていく。さすれば、また彼女たちに会えるだろう。そして、その瞬間がやってくる。


「はっ」


 彼は息を呑んだ。息が上がっているのに、呼吸を止めたので、肺が破裂するような痛みが襲った。

 懐中電灯が照らす範囲、血まみれ少女が、右手に猟銃を下げていた。ライトがまぶしいのか、左手で光を遮っている。その手は死人のように白い。


「お前、生きてたか」


 声のするほうへライトを移すと、長谷川がいた。真っ暗だったためか、前傾姿勢で両手を突き出して、転ばないようにしている。


「長谷川、大丈夫か」

「見ての通り無事だ。そんなことよりお前、足元に気をつけろ」


 いわれてみると、館長が倒れていた。胴体に穴が開いており致命傷だ。あの銃声、撃たれたのは彼だった。黒井は前後がわからないので、まさかこの少女が、と困惑する。

 長谷川は明かりを手に入れて、松明へガスを送るべく、赤い歯車を回すが、火はともらない。着火しなければどうしようもない、ということだろう。


「最後まで回して」


 少女の指示に従うと、カチッと音がして、ぼっと松明が燃え盛った。円形の舞台が再び闇より浮上した。西田は舞台の真ん中で、うつぶせになっている。


「くひ、ひひひ」


 笑い声が聞こえる。驚いたことに西田はまだ生きていた。散弾銃で撃たれた場所は即死の様相を呈しているのだが、すさまじい生命力。


「長谷川をどうするつもりだった」


 こうもドスの聞いた声を出せるとは、彼自身も知らなかった。


「へっ、へへ。蟲毒ですよ蟲毒」


 西田は資料館で解説をする口調に戻った。死ぬ運命から目をそらすために日常を演じる、という心理は、余命を宣告された癌患者に似ている。


「蟲毒ってのは、百匹の蟲を一か所に集めて共食いさせるあれか。ようやく目的が見えてきた。つまり、この場所は蟲を入れておく壺だったのか」


 炎の脈動につられて鼓動する壁の数字、がようやく本来の重みを取り戻した。99 、それは墓碑だった。

 一体、どれだけの悲劇がここで上映されたのだろう。気分の悪化に足元はぐらつき、立っているのも困難なほどである。数字の重みが場を捻じ曲げ、波打たせているかのようだ。

 彼の持つ鉈は、時折、鋭利に反射した。筋肉の緊張が常に金属の反射を入れ替えていた。

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