第37話 決闘


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 二人は、夜道を進んでいる。先頭の女は、寒そうに腕を組み、六本の右手で、二の腕をさすっている。後方にいる小太りの男は、懐中電灯を右手、散弾銃を左手にしている。

 片田小学校から、村の中央線を北上して、外周部を西へ進むと、例の柵に囲われた地域、『聖域』が現れる。『聖域』の看板、それから破れ目を通り過ぎ、ここからは長谷川の知らない土地だ。彼女は歩きながら、黒井の安否を心配していた。

 彼は西田と行動していたはず。今、見当たらないということは、どこか別の場所を探すように指示されたのだろうか。銃を持った西田に気づき悲鳴を上げた時点で、助けに来なかったことから、相当、遠くにいたと推測できる。

 武装した西田に恐れおののいて、逃げ出したということは、黒井の性格上考えにくい。きっと、駆けつけることの出来ない状況下にあったのだ。となると、監禁、気絶、殺害のいずれか。それとも、迷子だろうか。そういえば方向音痴だったな。あの短い距離で道を失ってしまった、というのはどうだろう。長谷川は、可能性が限りなく低くても、そう信じたかった。彼の身に、不可逆的ななにかがあったと想像すると、ひどく悲しく憂鬱な気分になった。そういう気持ちになる自分を発見して、もっと早く気づいて、心の内側を明かしておけばよかったと後悔する。


「止まらんでくださいな」


 彼はよろよろと立ち止まった彼女をつんと銃口でつつく。この寒さだが、サスペンダーは半そで、手袋は革製、防寒具はない。厚い脂肪層がジャケット代わりなのだろう。樽のような腰に、狩猟用ナイフを下げている。西田は、長谷川の倉庫に向かう前に、どこかで着替えていた。


「もうじきつきますから」


 少しの時間も無駄にしたくはないのだろう。というのも、西田に残された時間はそれほど多くない。

 あの男、黒井とかいったかは、例の施設で死体を発見した。それはきっと、あの双子の死骸である。そうなってしまった以上、今更、後悔しても遅いし、代替案もあるので脇に置いておく。西田にとっての問題は、あそこを詳しく調査されると、今後の活動に差し支えるということだった。

 ただ、彼の同級生がその権利を握っている以上、露見を防ぐための策はなく、警察に捕まることは確定したといえる。西田には、彼女を殺すだなんてこと、どうしても出来ない。脅すというのは不確実だ。

 幸いなことに、彼の目標は、本当にあと一歩で完成だった。折角、犯罪を犯してまで、仕上げてきたのに、ここで挫折はもったいない。それは、今まで散っていった犠牲者達に申し訳ない。成就しなければ、彼らを裏切ったことになる。さすれば、呪われるだろう。西田は呪殺の末、地獄で志願兵どもに、虐殺され続ける未来を描いて、身震いした。しかも、その恐ろしい妄想でさえ、本当の死、という虚無に対する気休めでしかないのだ。


 警察が来る前に終わらしてしまえ。



 *


 斜面を登る。不自由な右足を全身を使って吊り上げるように、一歩一歩越えていく。雪の上には、一列の足跡と、一列の線がならんで残されていた。

 そして平地にたどり着く。前方に、闘技場アリーナが見える。低い円柱の建物のてっぺんから、明るいオレンジをした松明の光が燃えていて、さながら溶鉱炉だ。それか、地中深くを穿つ井戸が、ついに地獄を掘り当てたようだった。禍々しく、美しい。

 美しい、この無機質な要塞トーチカも、今日だけは、白と黒の単調な世界にぴったりと填まっている。まるで、全ては今日のためにあつらえたかのような完璧な調和。西田には、今日ここで呪いが成就するのは、神の意志とさえまで思えた。この腐りきった世界を是正するのは、彼だけの理想ではないのだ。

 壁の両側が途切れている切れ込みの門から、円形闘技場へと入場する。内部では、五つの鉄で出来た松明が勇ましく燃えていて、床の中央で体育座りをする白いワンピースの少女を照らしている。

 例の死体は片付けられていた。


「ん。お前だったか。けけけ。探す手間が省けた。昼間からウロチョロと逃げおって。無駄な。神宮寺明王からは逃げられぬまい。お前には動物用の発信機が埋め込まれているのだからな。鹿アンテナで、ひぐっ、失礼」


 五方から照らされ、少女から落とされた五つの影は、五芒星を形成する。血だまりの上に咲く黒い星だ。背中には、一様に真っ赤な九十九の文字が壁にあり、松明の揺れにつられる錯覚がある。数字が固い壁からやや浮いていて、よく晴れた日の日本国旗みたいに、なびいて見える。


「進め」


 長谷川は入り口から少し歩くと、気配を感じたのか、彼女は顔を上げた。漆塗りのように真っ赤な顔だ。

 返り血の迷彩。ベトナム戦争の兵士みたく、血の野蛮さと狂気をたたえている。その顔に転がる白い眼玉は、心臓色の瞳だった。だから、ここを俯瞰したら、この少女の目玉に見える。


「どうして、昼間の約束を守ってくれなかったの。すぐに山を下りなくては駄目といったのに」


 悲しそうに非難するのは昼間の少女だ。血濡れのため、すぐには判別できなかったが、確かに昼間見た少女である。乾き、ひび割れた血液の層の裏には雪の肌がのぞいている。


「連れてこられたんだ。立ち入ったわけじゃない」


 昼間の約束。それは、不可抗力的な形で破られることとなった。申し訳なさを感じつつも、それは長谷川の責任ではない。原因の西田へ振り向くと、門前にて、依然、銃を構えている。


「ねえ、その人を開放してあげて。もう終わったの。すべて無駄になったのよ。お姉さんたちは死んだの。私が殺したの。だからもう、お終い」


 と、雪の子は叫び、懇願した。


「お前、自分のやったことがわかってるのか! お前のせいで、九十九の命が無駄になったのだぞ。へっ。お前はとんだ裏切り者だ。だが、幸いなことに呪いは継承される。ひひっ。お前の姉でなくては駄目な理由はないのだ。それが一番だが、ひぐっ、仕方があるまい。さあ、あと一回だ。二人で殺しあえ!」


 叫ぶ彼は鬼の形相だった。


「殺し合え。殺し合え! 殺せ、殺せ殺せ」


 彼は二人の間に、ナイフを投げた。円の中点にめり込む、よく磨かれた、ハマグリ刃のサバイバルナイフ。こんなのを首などに突き立てられたら、たとえ幼女の腕力でも、ひとたまりもない。


「殺さなければ、俺が殺す、どちらか選べ。俺が両方を殺す、お前らが殺し合い一人助かる。単純な足し算だ。十、九、ひっ、八」


 西田は、数を順に落としていく。一に近づくにつれ、数える速度はどんどん穏やかになるが、着実に零へと突き進んでいく。


「七、六、ひぐっ、失礼、五」


 長谷川は判断がつかない。西田に殺される、そうでなとも、目の前の少女が彼女を殺す。少女だって死にたくないはずだ。

 この子供は、己より価値があるだろうか。地質学者の私よりも、価値のある存在だろうか。それは分からない。ただ、そうなる可能性はいくらでもある。

 彼女は少しだけ少女を生かそう、という気持ちに傾いていた。黒井は、妹や子供を救えなかったことを後悔している。そんな彼にまた同じ体験をさせるのは酷だ。この少女を救うことは、彼を救うことだ。

 長谷川は、しかし彼女自身もまた、黒井に対して同じ問題を抱えていることに、一つも思い至らないようだった。


「お姉さん、そこのバルブを捻って!」


 と怒号が飛んだ。とても、この子供から発されたとは還元できない大音量だった。

 彼女は一拍遅れて、指示されるがままに作業に取り掛かる。西田は長谷川に狙いをつけるが、引き金を引くのは躊躇われた。その一瞬の躊躇が、明暗を分ける。

 ガスの供給が途切れ、五つの松明が消えた。暗闇がやってくる。


「どこだ。どこへいった!」


 西田は懐中電灯を振り回して、雪の子の姿を探す。少女は夜を逃げ回っているようだった。時折、視界の端に赤いワンピースの影がちらつく。巧みに証明の範囲を避けている。

 彼女はどちらの味方なのだろう。もし敵ならば、命令に従ったのは、安直だったかもしれない。少女だって生き残りたいはず。いやしかし、元から死ぬつもりだったのではないか。どうやら、長谷川の学者な心をもってしても、生存欲求だけは抜けきらないらしい。


「ちょこまかちょこまか動きおって! のわっ」


 懐中電灯が空中を乱舞しながら遠ざかり、闇に消えた。ついに漆黒になる。なにも目印はなく、視界は塗りつぶされている。

 ぎゅっぎゅっぎゅっ、小さな足跡が聞こえる。なにを頼りに移動しているのだろう。暗視出来る装置でも隠し持っているのか。

 長谷川は死を覚悟した。遺書を少しでいいから書きたかったが、あいにくペンも光も紙も仏もない。なるべくかっこよく死のう、そう思い、ポケットに手を突っ込んだ。


 銃声がさく裂した。

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