第35話 衛星電話


 学校の駐車場は、普段、人が訪れない場所の空気が漂っている。遊園地の通用門とか、そういう無味無臭。この片田小学校のどこかに、衛星電話がある。


「カギは開いてるのだろうか」


 彼女は玄関前の階段を上り、入口の扉に手をかけた。扉のガラスには、飛散を防ぐため、鉄のワイヤーが格子状に入っている。そんなドアは、奥へ展開した。


「ごめんください」


 黒井ははっきりした声で叫んだ。しかし、廊下は沈黙を貫いている。廊下の蛍光灯は消灯していた。

 二人は、二階にあるという西田の事務所まで、呼びに向かうことにした。懐中電灯で、リノリウムがてらてらと反射した。床の表面にある波うちのてっぺんが明かるく光り、洞窟の水面といった趣だ。


「私は幸運だな。いつか、夜の学校を探検してみたかったのだ。しかも、ここは廃校だな。うってつけだ」

「そうか。夜の学校か」


 黒井は妹と夜の学校に侵入したことがあった。あの骨折から一年後、夏休みの夜。暗い箱に明かりを灯し、昼間では出来ないようなこと、という名目で様々な試みをした。教卓の上に立ったり、机で仮眠をとり、側転をしたりした。


「おい、ここの階段を上るんだ」


 長谷川はふらふらと直進しようとする彼の腕を持って誘導する。淡々とした冷たい足音が、冷えた階段にこだまする。

 踊り場、向いの階段から二組の男女が現れ、肝をつぶす。しかも、女はパイプレンチを持っているではないか。向かいの女は驚いたのか、男の腕に抱きつく。というところで、長谷川はため息をついた。


「なんだ、鏡か」


 懐中電灯の反射ですぐに分かった。


「大きな鏡だ。七不思議のありそうなくらい。丑三つ時に鏡の前に立つと、鏡がガラスになっている。割ると向こうの世界に行ける」

「うまいな。仮に、それが事実だとしても区別はつかないだろう。まさか、確認のために鏡を割る人間はいぬまい」


 長谷川から好評である。ここは廃校しているので、流行りようがないが。


「そうだな。私も一つ。鏡の前で食べ物をかざすと、いつのまにか、それが鏡像体となっている」


 微妙な怪談だ。妊婦ならいざしらず、子供が怖いと思うだろうか。


 *


 そんな階段は終わり、二階を歩く。しんとした廊下はまっすぐ伸びている。ここは教室棟なので窓が多い。今の今まで存在を忘れていた流し場や雑巾がけある。試しにロッカーを開くと、ホウキとチリトリ、バケツがあった。この施設はまだ現役で、掃除道具は流用しているのだろう。

 資料室は、二階の中央にあり、その一つ隣が、事務所らしいことは昼間に確認済みだ。外から見ると、その二つには、カーテンがひかれている。


「ごめんください」


 黒井は叫ぶ。


「ごめんください」


 緊急なので、彼はガラスをノックして騒音を出した。シンバルのような騒がしさだ。


「うげっ。なんだなんだ」


 廊下側の窓ががらっとあいて、西田が登場した。受付みたいである。


「おっ、昼間のお二人ですかい。げほげほ。あの時は、迷惑おかけしました。改めてお詫びいたします。しかしながら、私は」

「昼間のことはどうでもいい。緊急なんだ」


 黒井は真剣な口調だった。


「緊急と言われましても、小生がお役に立てることなど。ひっ、ひっ」

「衛星電話を借りたい。ここは避難所として指定もされてるだろ。一つくらいはあるはずだ」

「しかし、衛星電話は緊急時でなければ使えない規則となっとりまして」

「今が、その緊急時だ」


 黒井は怒鳴りそうな気持を抑え、最もてきめんそうな言葉を言い放つ。


「殺人があった」

「げっ。さ、殺人」

「森で少女二人のバラバラ死体が発見された。山中の丸い遺跡、知ってるか」


 西田は放心した様子だ。それもそのはず、山の中、丸い遺跡、とはあれほど立ち入るなと念を押した、聖域の話でしかない。


「あれぇ。そ、そうでっか。つまり、『聖域』に入ったんですな。ひひっ。そ、そんな、あれだけくぎを刺したのに ………………」

「人命救助のため、やむをえなかった。少女が村まで降りてきて俺たちに助けを求めたんだ。それとも、その禁忌とやらは、人の命よりも大切か」


 館長のどんぐり目玉がぎょっと見開かれた。


「とんでもない。まったくもってそのとおりです。しかしながらそうですか、あすこに入って、あれを見たなら、もう仕方がありませんな。さて、へっ、衛星電話の場所に案内しましょうかね」


 彼はそう宣言して、窓から廊下に出た。静かな廊下を小太りの男は、びっこを引きながら、先導する。彼によると、運動場の外倉庫のいずれかに、衛星電話があるという。


「通信はこの雪でも使えるのか」


 長谷川は訊いた。


「ええ、使えますよ。へへ。去年、試したことがありまして。それにしても、去年は暖かかったのに、急に雪が降りましたねえ。異常気象でしょうか。げふっ、失礼。世界が終わりたがっているんですかねえ」


 異常気象のためか、カメムシなどが大発生したりした。思えば、資料館の幼虫は、希少な生き物で、様々な影響により、大増殖したのかもしれない。あの形状も、なんだか、どこかで見たことあるような気がした。

 黒井は、足が悪い西田が階段を降りるとき、肩を貸してやる。死人が、これ以上増えるのは憂鬱だ。


「ありがとうございます。けけっ。あなたはいい人だ。きっと、世界が変わっても無事に生きていけるでしょう。救世観音のご加護があらんことを」


 と、階段の終わりで、妙な礼を言った。

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