第33話 足跡


「なぜ密室を作り上げたかも、いまいち釈然としないな。もし、密室を作るなら、自殺と勘違いされるような工作をするべきだ」

「その自殺ってのはどうだ。昔の推理作品で読んだことがある。殺人だと思っていたのが、実は自殺だったってな」


 黒井が言及したのは、おそらくミステリの古典作品だろう。この実は自殺という解法は推理小説あるあるなのだ。


「自分で自分を体を切断したのか。百歩譲って、腕や足はどうにか切れるものの、首はどう落とす。切断器具はどう回収する。あの血の足跡はなんだ」


 説明しつつ、縦筋の足跡がやや深いのはこの器具を運んでいたためだろうか、と長谷川はふとよぎった。


「安直なのはわかってるけどさ、血の足跡について、半身がひとりでに雪上を歩行した、ってのはどうだ。でも結構、真剣に」

「そう付け加えるからには、それだけの理由があるんだろう」

「もちろん」


 彼は、目を少し伏せてから、語り始めた。


「俺の妹がそうだった。俺の妹は、電車に轢かれて即死したわけじゃない。真っ二つになりつつも上半身だけで這いずった。現場にいなかったから、本当かどうか知らないが」


 なんとも、心が痛む証言である。


「だが、下半身に脳みそはない。昆虫ならまだしも、人間は違う。脊髄だけでは、歩行といった複雑な制御をできるはずがない。もしそれを肯定するなら、自身を切断した、というのも同じくらい信ぴょう性があるといえるな」


 人体の神秘。人体の隠された可能性。例えば火事場の馬鹿力、盲人の卓越した四感、もしくは第六感、使われていない脳みその一角、無意識、防衛機構、抑圧や分裂。ただ、そんなことを言い始めれば、事件は火山性ガスの見せた幻覚なのかもしれない。幻覚を採用すると、全てが台無しになる。それに二上山は死んでいるのだ。


「都市伝説なら、テケテケが一番状況に即してるんだがなぁ。あれは、下半身を持ち去る妖怪さ。妖怪ならば、足跡もつかない」

「帰りはセグウェイみたいに足に乗って帰った、と。辻褄は合うが、辻褄が合うだけだな」


 ちょっぴりシュールな想像図に彼女は笑ってしまう。


「別に本気で言ってるわけじゃないさ。ただ、今日は俺の妹の命日でね。一年前の、丁度、今頃じゃないか。あの伝承みたいに、電車に轢かれたんだ。だから、ふと考えてしまっただけだよ」


 妹がテケテケになった、というのは半ば、彼女の生存をどんな形であれ望む男の悲しい妄想なのかもしれない。


「にしても、テケテケではない犯人が、下半身を持ち去った動機はなんだ」


 彼女は問う。


「俺は、鬼畜な用途しか思いつかない。犯人は神宮寺なんだ。第一に聖域の主だし、奴は残酷な子供だったそうだ。だから、ゆがんだ愛情を育んでいてもおかしくない。親も早くに死んでるし、愛情を知らないんだ。きっと、人の愛し方がわからないのさ」


 人間がすぐにでもなれる怪異がある。

 それは鬼、すなわち殺人鬼だ。


「それは、純然たるお前の偏見だが。ただ、狂人の仕業ではありそうだ。密室殺人にしつつ、殺人を隠そうとしない。下半身を持ち去ったこと。放置するなら、おおよそ不要なバラバラ殺人。行動がちぐはぐだ」


 疑問符の連続、?????。

 雪の密室、バラバラ死体、足跡、それらは三位一体で不完全さを補い合い、仮想の密閉空間を織りなしている。その密室は、難攻不落の要塞トーチカでもあった。雪密室どころではない、雪要塞だ。

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