第25話 昔なじみ


 廊下は、ひんやり、しんとしている。和室の音が、ここまで微かに聞こえる。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「あら、本当ですか。嬉しいです」

「少々、お時間よろしいですか」


 黒井は引き留める。尋ねておかなければならないことがあった。この旅館の女将は、神宮司の同級生である、片田村の館長と同世代に見える。だから、彼らと同級生なのではないか。


「この写真の少年をご存じでしょうか」


 背景が青色の、少年の写真。神宮司は、満面の笑みを浮かべている。これは人工知能が出力した架空の写真。


「神宮司君ですよね。こんな、笑ってるのは見たことありませんが」

「おそらくそうです」


 ならば、旅館を出発する前に、写真を見せておくべきだったのだろう。しかし、そうしたなら、今日の大半は徒労に感じたはずである、というジレンマ。


「もう、しばらく会っていません。引っ越してしまったんです。私にだけ親切にしてくれて、初恋の人だったのかもしれません。懐かしい。久しぶりに思い出しましたよ」


 真逆の評を聞くとは、人はまさに多面体。どこに光を当てるかで落ちる影は違ってくる。だから、多角的に調査をしなければ、正しい形は見えてこない。昼間の聞き込みは徒労ではなかったのだ。


「引っ越し先はご存じですか」

「遠い親戚の家だったかと思いますが、土地までは覚えていません。なにせ、彼は、ほとんどなにも告げずに越していきましたから。きっと、お別れをするのが辛かったんだと思います」

「そうですか」


 一説によると、引っ越しは死に次ぐストレスだ。


「失礼な質問かもしれませんが、彼には、生き物を殺して喜ぶような一面はありませんでしたか」

「ありました。けれど、」


 彼女は語気を強める。それ以上の言葉を持ち合わせていることを、暗に伝えていた。


「片田村にやってきた境遇を鑑みれば、小動物くらいは一匹や二匹、ささいな犠牲です。そうは思いませんか。といわれても、存じませんよね」

「父親が亡くなったという、あの事件ですか」


 彼の父親は自殺した。ほどなくして、祖父も衰弱死している。自殺の連鎖は果たして偶然か。


「それだけではありません。一家心中です。神宮司君は、一家心中の、たった一人の生き残りなんです」


 彼の想像は外れていた。少なくとも両親の死は、彼とは関係なさそうだ。その一件に関しては、加害者どころか、被害者だったわけだ。


「身内を亡くす辛さはわかります。妹を亡くしましたから」


 どうしてだ、神宮司。身内が死ぬ辛さがわかるはずだろう。人は、痛みを知った分だけ、優しくなれるんじゃなかったのか。それとも、痛みを知っているから、痛くできるのか。

 その一方で、黒井は彼の気分も、理解できるような気がした。愛する者を理不尽に奪われた苦しみの悪影響。この一年だけで、彼は本当に変わってしまった。それが子供時代に起きたなら、果たして、自壊せずにいられただろうか。


「もう一つ、同級生なら。片田村の館長、西田という名ですが、ご存じですか」


 彼のことも一応、聞いておこう。


「西田君とは、もう、しばらく会っていませんね。会う理由もありませんから。高校まで同じだったのですが、なんだか、下品だし、どんくさいので、一年生の時から無視していました。あの頃は多感な時期で、恥ずかしかったのです。今思うと、残酷だったかもしれませんね」


 昔からあの調子なら嫌われても仕方がない。黒井はその意見に対しては、意外性を見いだせなかった。


「片田村の館長は、お情けでやっているようなものです。前任は校長先生でしたかね。彼は、西田君のことをずっと気にかけていましたから。高校卒業後、職が見つからず実家でぼんやりしていた彼を、あそこに誘ったのです。校長先生は亡くなるまで、彼のことを気にかけていました」

「亡くなったんですか」

「脳腫瘍だったと思います。高齢だったので、老衰のようなものです」


 ならば安心だ。人が立て続けに死ぬと、関連性を見出したくなるが、限界集落では普通のことらしい。


「それで、学生時代、この写真の男とはどういう関係で」

「それが、不思議なことに仲良しでした。でもまあ、なんだか西田君を支配しているみたいでしたけど」


 彼の妹も、支配下に置かれ、あの悪魔に赤子を売ってしまったのだろうか。そうに違いない。彼は信じた。あるいは、そうではないと、信じたくなかった。


「彼も生き物を殺してました。本当に野蛮なんです」

「それが接点か」

「神宮司君と一緒にしないでください。彼は、可哀そうな被害者ですが、西田君は生まれつきなんですから」


 と、彼女が念を押すくらいだから、神宮司はよっぽど危険な相手なのだろう。善人でさえ、この調子である。


「クロオオアリをラムネ瓶に入れて、教室の後ろの棚に飾ってました。餌もやらず、水も与えず、日の当たる場所に放置していたんです。我慢できなくて、私は𠮟りました。放してくるよう命じたのです。その二日後、池の裏に瓶を発見しました。アリたちは餓死していました」

「閉じ込めて餓死させる。それは、夏休みの猫みたいに」


 薄暗い倉庫に、共食いの末、ミイラになった小さな命。夏の熱波、死体は独特のにおいを発していたことだろう。


「西田君にそんな度胸があるとは思えません。あれはむしろ神宮司君じゃないでしょうか。それか、共同作業かもしれません。もし、西田君なら、きっとすぐにバレていたでしょうから」

「そうですか。それにしても西田とやらは、とことん駄目ですね」

「今まで話したのは二人の悪いところのみで、それ以上に良い面が沢山あることを忘れないでくださいね。西田君だって、助けられたこと、ありますよ」


 それもそうだ。

 一連の会話、彼の中でパチパチとなにかが組みあがる。喉元を過ぎたそれは、脳みそへあと一歩の延髄で停滞する。もどかしい思いを抱えながら、彼は階段を上り、己の部屋へ帰っていった。

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