第24話 夕食


 黒井は階段を降りて、和室に向かった。そろそろ、夕食の時間である。今日も美味しい料理を頂けると思うと、楽しみだった。廊下で旅館の女将に出くわす。


「こんばんは」


 彼女は、語尾を伸ばす関西風の挨拶をした。出身は京都の方だろうか。それとも、若いころは京都で修業をしていたのかもしれない。


「今、晩御飯をお持ちいたしますね。和室のカーテンは開けて置きました。ぜぎとも、雪見を楽しんでください」

「ありがとうございます」


 彼は、今の今まで、雪見という言葉を、大福でしか知らなかったような気がした。はて、雪見というのは、そういった意味だったろうか。これは、なんとなく聞き流していた歌の歌詞を知って仰天する新鮮さだ。


 和室では、長谷川が、熱心にラジオをいじっていた。つまみを、どこに合わせても雑音が混じってしまうらしい。彼はその対岸に腰掛けた。座布団は日干ししたように柔らかい。暖かな室内は、優しい時間が流れている。


「ラジオは駄目みたいだ。どうしても、ブロックノイズが乗る」


 黒井の方に目を移しかえると、彼は、窓の外を眺めていた。窓枠に雪景色がおさまっている。雪以外は静止していて、ループするドット絵の趣だ。積雪は足首ほどあり、おそらく明日、ニュースになる。去年のあの日と同じように、今年も大雪になるのだろうか。


「ラジオ、聴くのか」


 黒井は、彼女の手元にある、ほとんどレトロと化した機器を見つめた。ラジオなんか、今では、車のためにのみ、配信しているようなものだ。


「まあな。学生時代は受験勉強のおともにしたものだよ。ラジオを聴いていたからこそ、私はがり勉の根暗にならずに済んだ。なかなか楽しくてな。今では、たまにしか聴かなくなったが」

「なかなか、いい趣味だな」

「そうだろう。ラジオを聞いていると、なんだか、昔を思い出す。まだ、インターネットが発達する以前、それとも、私がそれに馴染む以前の生活だ」


 遠い目をして言う。感傷的な気分だ。彼女が平成を思い出すとき、団地の昼下がりが必ず、想起される。その記憶には、音がない。風が吹いているが、寒くも暑くもない。


「明日、雪だったら帰れない」


 と、黒井。

 言葉とは裏腹に、まったりとした口調で。この和室には、状況と反比例するように、落ち着いた空気が流れている。真夜中のコンビニが持つ静けさ。つまり、せわしく流れる日常の信号待ちなのだ。


「昔も、こんなことがあった気がする」

「デジャビュか」

「いいや、実際に似たことがあったんだ」


 黒井が少年時代、台風の日、下校前に暴風警報が発令されたため、音楽室で待機することになった。ほかの子たちは、親に連れられてそのまま帰ってこない。その繰り返し。防音で、雨音がくぐもって聞こえる室内に、子供は彼と妹のみとなった。そんな家庭だから、二人は傷を舐めあうように仲が良かったのかもしれない。


「ちょっと待ってくれ」


 彼女は機会に耳を近づける。受信機からはかすかに、これから更なる大雪であること、交通のマヒが予測されること、が断続的に放送された。


「まずいな。明後日までには、帰らなければならないのだが。講義がある。大学に来なかったら、色々、うるさいな」

「なにで来たんだったか」

「原付だ。非力なエンジンだから、雪道など、論外だ」


 バイクで雪を進むのは自殺行為だ。


「そろそろ、買い換えようか迷っている。私はオフロードの車が欲しい。ジムニーを狙っている」


 戸が開いて、旅館の彼女が、食事を運んできた。運ばれてきたのは、根菜類の煮物であった。湯気を立てている料理は、窓の景色が視覚スパイスとなり、大変、食欲をそそる。環境まで素材にした贅沢な料理だ。


「長谷川様、ラジオはどうです」


 尋ねられて、彼女は子供の用にかぶりを振った。


「分厚い雲が邪魔をしているらしい。ただでさえ、山間の地形で電波が届きにくいというのに」


 そして窓の外にちらと目をやるが、夜なので山は見えない。和風の庭に、松が雪衣装を羽織り、降雪は市松模様じみている。


「固定電話はないか。大学に連絡したい」

「家のアンテナが雪を被ってしまっているようで」

「そうか。無断欠勤することになるが、これは仕方がないことだ。私の責任ではないからな。天気予報にもっと関心を持つべきだった。後悔先経たず、こうなってはどうしようもない。どうしようもないことを気にするほど、無意味なこともないな」


 長谷川は、そういいつつも諦めきれないのか、そわそわしている。なんども、手袋の右手を携帯電話へ伸ばしては、電波が届かないことを思い出して、引っ込める。


「ううむ。屋根に登って除雪したいが、毎年、それで人が死ぬしな。素人は手を出さない方が無難だろう。黒井、お前、雪かきをしたことはないか」

「生まれてこのかた、ずっと大阪でさ。大阪は雪が降らない。ところで」


 女将は話しかけられて、ぴくっと反応した。


「除雪車はここまできますかね」


 もし来ないならば、雪が融け切るのを待つことになる。彼のセダンは車高が低く、それにスタットレスを装着していない。大阪ならそれで十分なのだ。


「来るには来ますが、小さな村なもので、後回しになるでしょう。去年の冬は、村人総出で雪かきをして、ようやく外への通路を確保した矢先に自衛隊の除雪車が到着したものですから、非難囂々でした。去年の反省を踏まえて、食糧の備蓄は沢山ありますから、ご安心ください。一週間ならしのげますよ」


 女将は、ふふふと笑う。長谷川は、ラジオを試行錯誤をする。アンテナの角度、ラジオの置き場所、それでも機械は雑音を吐き続ける。室内には、懐かしい石油ストーブの香りがする。

 黒井は、一週間なら、ここにいてもいいのではないか、とすら思えた。ここで三人の年越しはさぞかし楽しいことだろう。ここは、彼にとっての『聖域』だ。

 窓の外の雪は、彼の意志を受けてか、さらに大粒で積もりだした。

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