第23話 合流


「長谷川! 大丈夫か」


 入れ替わるように黒井がやってくる。悲鳴から、十分が経過していた。


「ずいぶんと遅かったな。叫んだことすら忘れていたくらいだ」

「すまない。道に迷ったんだ。危うく遭難するところだった。どうやら、藪の周りをぐるぐる回ってたらしくてさ」


 あの構造物の裏にある植物の海は、紡錘形をしているらしい。その事実に彼が気づいたのは、二週目のことだった。方向音痴の彼にしては、早かったほうだ。


「それで、調査に進展はあったか」

「さっぱりさ。暗号の意味は不明のまま、遺跡の方も、あれ以上のものはなかった。ただ、藪の内部にはなにかありそうだ。綺麗な楕円をしていて、どうも人工的なにおいがある」


 植生は、柵沿いのそれに似ていた。


「切り開くには鉈がいる。中になにかありそうだ」

「もうすぐ、日が暮れる。黒井、それは明日にしよう。宿に泊まったなら、明日もいるんだろう。今日中に終わらせなければならない理由はない」


 彼の腕時計は、午後三時を指し示していた。曇りの日には、時間間隔が薄まるのか、そんな気はしない。冬の、日の入りはあっという間で、うかうかしていられない。


「ところでなんの悲鳴だったんだ」

「子供だ。死体と勘違いしたんだ」


 黒井は目を丸めた。


「子供だって。どこにいる。まさか、俺の目に見えてないだけで、そこにいるのか。おい、長谷川、そいつは幽霊だ」

「落ち着け、もういない。普通に走って森の奥に消えた。もっと早ければ会えたかもな。それに、お前の妹の子供だったかもしれない。そいつは、生贄がどうとか、うるさかったな。頭のネジが緩んでいないと、こんな辺鄙な場所に遊びに来ない、ということだろう。なんたって、『聖域』だしな」


 『聖域』。


「生きていたとして、一歳児だから、まだ話せないだろうし、ましてや走れるとは思わない。きっと別人さ」

「一歳児が話さないなんて、どこで覚えたんだ」


 生後半年で話し始めた長谷川が驚いた。


「早くて十か月、遅くて一年半だ」

「詳しいな」


 彼女はなんだか、負けたような気がした。


「妹の影響さ」


 その妹とやらが羨ましく思う。彼女は一人っ子で、姉か兄が欲しいと、時折、切に願ったものだ。


「生贄ってのは、神への供物か」

「文脈からすればそうだろう。どうも、ここら辺をうろうろしていると、右足、というのが来て、生贄に捧げられてしまうらしい。つま先から旋毛まで電波な話だな」

「この村の信仰は、ひっそりと受け継がれているのかもしれない」


 巨大な蜘蛛の怪異に、巫女を供物にする。その昔、一体、なにがために、村民は、そのような犠牲を受け入れたのだろう。


「その子供は、とにかく白かった。白いワンピースで、目は赤色だった。なんだか、私らしくない言い草だが、まさに幽霊といった印象だ。こういうことって、あるのか」

「十分にありうる。長谷川、山の中は霊魂が還る場所でもあるのさ。ここは半分くらい、あの世なんだよ。もしかしたら、生贄とやらで死んだ子供が成仏できずにうろついているのかもしれない。なら、俺たちに恨みはないはずだから心配無用だ」


 長谷川は、非科学ながら、確かに少し安心した。


「案外、私の見た幻だったのかもしれない。少々、疲れているのかもな。寂しくて怖くて助けを呼びたい無意識が、幻覚を引き起こしたのだ」


 もしくは、この森の異様な空気が、精神に悪影響を及ぼしたのではないか。心が身体に異変を与える事例はある。想像妊娠、気象頭痛、発狂、などなど。先ほどの子供はその類なのではないか。そうではないことは、彼女が一番わかっていた。そんな、拙い思考では片付けられないと。でも、とりあえず納得しなければ、気持ちが悪い。


「不穏な予感がする。警察に連絡しておくか」

「こんなんじゃ動いてくれないさ。なんたって、実家の庭に出所不明の焦げた串が落ちていても動かなかったくらいだ。以外に怠惰なんだよ。とくに、霊的な場合は相手にしてくれないだろうな」


 その頃、不審火が多く起きていたのにも関わらず、当局は捜査をしてくれなかった。すぐに放火は鳴りを潜めたが、放火魔は未だどこかに潜んでいる。


「中途半端に動かれても、相手に警戒されて終わりさ。まだ、泳がせておこう」

「私も面倒なのは嫌いだ。ここが神宮司の土地で、不法侵入している可能性も捨てきれないしな」


 話しながら、下山する。早く降りなければ陽が落ちる。足を動かしながら、議論を進める。


「別の子供の霊。やはり、誘拐事件は大規模に起きているんだ」


 黒井は、すでに確信していた。彼が挑もうとしているのは、ただの、いち犯罪者ではないことを。


「そんな規模なら、警察が突き止めているだろう」

「俺はそうは思わない」

「国家権力が嫌いなのか。いよいよ、ジャーナリズムだな」

「そうじゃなくて、妹は子供の存在を周囲に隠していた。望まれない妊娠だったんだ。だから、誘拐犯は、そういう人間ばかりを標的にしてるんじゃないか、ってさ」


 事件が表面化しない理由。事件性が微弱なら、警察の重い腰は肥満する。


「望まない、ではなく、望まれない妊娠か。そこまでなら、堕胎すればいいのにな。無理して産む必要はどこにもない。便宜上、ある期間までは、胎児に自我はないだろう」

「寝ている人間は死んでいるのか」


 彼は答えを聞く前に、話をそらした。


「それはそうと、そういった境遇の被害者ばかりの可能性がある。だからこそ、この事件は、俺の手によって解明される必要があるんだ」


 なぜ黒井なのか、に片が付いた。この事件を、彼が追うのは宿命なのかもしれない。

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