第23話 合流
*
「長谷川! 大丈夫か」
入れ替わるように黒井がやってくる。悲鳴から、十分が経過していた。
「ずいぶんと遅かったな。叫んだことすら忘れていた」
「すまない。道に迷ってさ。危うく遭難するところだった。どうやら、藪の周りをぐるぐる回ってたらしい」
あの構造物の裏にある植物の海は、紡錘形をしているらしい。その事実に彼が気づいたのは二週目のことだった。方向音痴の彼にしては、早かったほうだ。
「それで、調査に進展はあったか」
「さっぱりだ。暗号の意味は不明のまま。遺跡の方も、あれ以上のものはなかった。ただ、藪の内部にはなにかありそうだ。綺麗な楕円をしていて、どうも人工的なにおいがある」
藪の植生は柵沿いのそれに似ていた。
「切り開くには鉈がいる。中になにか隠してそうだ」
「黒井、それは明日にしよう。宿に泊まったなら、明日もいるんだろう。もうすぐ日が暮れる。今日中に終わらせなければならない理由はない」
彼の腕時計は、午後三時を指し示していた。曇りの日には、時間間隔が薄まるのか、そんな気はしないが。しかし、冬の日の入りはあっという間で、うかうかしていられない。
「ところでなんの悲鳴だったんだ」
「子供だ。死体と勘違いした」
黒井は目を丸めた。
「子供だって。どこにいる。まさか、俺の目に見えてないだけで、そこにいるのか。長谷川、そいつは幽霊だ」
「落ち着け、もういない。普通に走って森の奥に消えた。もっと早ければ会えたかもな。そいつは、生贄がどうとか、うるさかった。まあ、頭のネジが緩んでいないと、こんな辺鄙な場所に遊びに来ない、ということだろう。『聖域』だしな」
『聖域』。
「その生贄ってのは、神への供物という意味か」
「文脈からすればそうだろう。どうも、ここら辺をうろうろしていると、右足というのが来て、生贄に捧げられてしまうらしい。つま先から旋毛まで電波な話だ」
「この村の信仰は、ひっそりと受け継がれているのかもしれない」
彼は顎に手を添えて、云った。
巨大な蜘蛛の怪異に、巫女を供物にする。その昔、一体、なにがために、村民は、そのような犠牲を受け入れたのだろう。
「その子供は、とにかく白かった。白いワンピースで、目は赤色だった。なんだか、私らしくない言い草だが、まさに幽霊といった印象だ。こういうことって、あるのか」
「山の中は霊魂が還る場所でもあるのさ。ここは半分くらい、あの世なんだよ。もしかしたら、生贄とやらで死んだ子供が成仏できずにうろついているのかもしれない。俺たちに恨みはないはずだから心配無用だ」
長谷川は、非科学ながら、確かに少し安心した。
「ひょっとすると、お前の子供だったかもしれない」
「いいや。生きていたとして、一歳だから、まだ話せないだろうし、ましてや走れるとは思わない。きっと別人さ」
「一歳児は話さないのか」
生後半年で話し始めた長谷川は驚いた。
「早くて十か月、遅くて一年半だ」
「詳しいな」
「妹の影響さ」
その妹とやらが羨ましく思う。彼女は一人っ子で、姉か兄が欲しいと、時折、切に願ったものだ。
「案外、私の見た幻だったのかもしれない。少々、疲れているのかもな。寂しくて怖くて助けを呼びたい無意識が、幻覚を引き起こしたのだ」
もしくは、この森の異様な空気が、精神に悪影響を及ぼしたのではないか。
心が身体に異変を与える事例はある。想像妊娠、気象頭痛、発狂、などなど。先ほどの子供は、その類なのではないか。そうではないことは、彼女が一番わかっていた。そんな拙い思考では片付けられないと。でも、とりあえず納得しなければ、気持ちが悪い。ということで、幻覚のせいにした。
「不穏な予感がする。警察に連絡しておくか」
「こんなんじゃ動いてくれないさ。なんたって、実家の庭に出所不明の焦げた串が落ちていても動かなかったくらいだ。以外に怠惰なんだよ。とくに、霊的な場合は相手にしてくれないだろう」
その頃、不審火が多く起きていたのにも関わらず、当局は捜査をしてくれなかった。すぐに放火は鳴りを潜めたが、放火魔は未だどこかに潜んでいる。
「中途半端に動かれても、相手に警戒されて終わりだ。泳がせておこう」
「私も面倒なのは嫌いだしな。それに、ここが神宮司の土地で、不法侵入している可能性も捨てきれない」
二人は下山を始める。早く降りなければ陽が落ちる。足を動かしながら、議論を進めた。
「別の子供の霊か。やはり、誘拐事件は大規模に起きている」
黒井は、すでに確信していた。彼が挑もうとしているのは、ただの、いち犯罪者ではない。もっと巨大で抽象的なものだ。
「そんな規模なら、警察が突き止めているだろう」
「俺はそうは思わない」
「国家権力が嫌いなのか。いよいよ、ジャーナリズムだな」
「そうじゃなくて、妹は子供の存在を周囲に隠していた。望まれない妊娠だったんだ。だから、誘拐犯はそういう人間ばかりを標的にしてるんじゃないか、ってさ」
この事件が表面化しない理由か。
「望まない、ではなく、望まれない妊娠。そこまでなら、堕胎すればいいのにな。無理して産む必要はどこにもない。便宜上、ある期間までは胎児に自我はないだろう」
「寝てる人間は死んでるのか」
彼は問うた。そして、彼女の答えを聞かずして、話頭を転じた。
「それはそうと、そういった境遇の被害者ばかりの可能性がある。だからこそ、この事件は、俺の手によって解明される必要があるんだ」
なぜ、黒井なのか、は明確だった。この事件を彼が追うのは、宿命なのかもしれない。彼はそう感じ始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます