第20話 井戸
「そこには、教会があるかもしれない。誘拐は、クリスマスの日だったから、キリスト教のイメージがある。その教会には魔法陣があったりしてな。悪魔信仰。屋根の十字架はきっと逆さだ」
しかし、彼の調査によれば、例のセミナーは神道系のようだ。
「それに、魔女の原型であるサバトは、悪魔に子供をささげたと言われている。妹の一件にそぐうかもしれない」
魔女狩り。魔女をでっち上げることで、人々は不条理な私的制裁を正当化した。理不尽に設定された禁忌、それをあげつらう人々。本当の悪魔は誰だったのだろう。
さて、斜面を登りきると、長谷川のいう通り、平地が現れた。そこでは、木々の密度はさらに低い。木々の間は四メートルほどだ。
「間伐されていても、木々自体は手入れされていない。森を整備するよりも、空間を確保したかったのだろう」
彼女は云った。
利便性のみの目的で、装飾的な意味合いはないらしく、不格好だ。というのも、ここら辺の樹木の枝付きは、解放骨折で胴体から飛び出した肋骨だった。非生物が生物になる過渡期、ここらの植物にはそういった趣がある。仲間を間引かれた怒りに、棘をこしらえたのかもしれない。
「ああ、森の禍々しさはそれか」
黒井は、ずっと感じていた違和が解消された。
「歪なものだな。しかし、よくよく考えれば、我々の知る街路樹こそ、通常ではないのだが」
彼女は指摘する。そう、剪定されず、多指症染みた、この奔放な枝ぶりこそ、本来の姿なのである。
「あの木、なんだか人に見えないか」
黒井は、ちょっと脅かしてみたが、長谷川は、ちっとも驚かなかった。その幹には、岡本太郎作な怒りの面が浮かんでいる。木のうろが口に当たり、それは不満げなへの字口をしている。
「シュクラシミ効果というやつだ。人は三つの点にさえ、人の顔を見出してしまう」
二人は木々を抜けながら、あれは鳥だとか、蛇だとか、ゴジラだとか、やっている。時折、強引で、これじゃ星座だ。二人だけの暗号は、視神経のその奥で、またたいていた。
「子供時代、天井のシミを数えてた。あの頃は、本当に暇だった。やるべきことは、沢山あったはずなのに」
黒井は在りし日を懐かしむ。まだ、インターネットが身近でなく、世界が今よりももっと小さく、しかし遥かに大きく見えていた時代の話だ。
「私は暇さえあれば勉強していたが。娯楽と言えば、映画鑑賞か」
「どんな映画を見るんだ」
彼女は腕を組んだ。
「ホラー映画。特にパニックホラー」
「ゾンビとかか」
「ゾンビ映画もいい。どれだけ科学的かよりも、ゾンビがどんな隠喩なのかが大切だな。社会批判などが盛り込まれていれば、なお良し」
「映画館には行くか」
と、疑問形で尋ねる。
「ホラーに限れば、家で見た方が臨場感があるだろう。レンタルショップでカバーを眺めるのも、楽しみの一つだからな。映画館で見ては、楽しさが半減だ」
「レンタルショップ」
彼の妹は、いつも邦画の棚に向かう。黒井は洋画の棚を目指す。だから二手に別れる。妹が死んだ今でも、帰り際、邦画の一角に自然と立ち寄ってしまうことがある。
「それに映画館でやるのは新しい作品ばかりだろう。最近の映画は CGI に頼り過ぎだ。清潔すぎて、現実から浮いて見える。重量感も欠いている。そうは思わないか」
と、彼女は提起する。
「そうかもな」
「これを解消するには、あえて作り物に見せる処理をする、というのはどうだろう」
といわれても彼は、さあ、といった反応である。
「アニマトロニクスは、パニックホラーに必須だ。どんなに物語が陳腐でも、それだけで説得力が増す」
*
会話を中断したのは、ずっと前から、ちらついていた、いわくありげな構造物が、そろそろ近づいてきたからである。後ろの藪を背景に、高さ二・五メートル、幅六メートルの湾曲するコンクリートの壁。
「トーチカか」
長谷川は自身の発言に首を傾げる。
「いやしかし、大戦中、二上山に監視塔があったとは聞いているが、こんな中腹に建てても仕方があるまい。うーむ、貯水池にしては背が高すぎるな」
「一周してみよう」
彼は提案した。
彼らは、建物の周りを沿って歩き、その構造を把握した。この建物は上から見れば、C の字をしている。その円の切れ目が入口で、入口に扉はなく、だから門と表現した方が良さそうだ。壁はとても滑らかで、その上、てっぺんに有刺鉄線がめぐらされているので、よじ登って越えることは難しい。
「巨大な井戸のようだな」
長谷川は、その形に和ホラーの傑作を思い出した。
「だとしたら巨人が出てくるぜ」
井戸の正面に立ち尽くす男女。意を決して、入口から恐る恐る内部を除くと、期待された奈落はなく、ただ滑らかな床だった。
「コロッセオ、ってのは」
彼には、ミニチュア版の円形闘技場に見えた。
「黒井。入ってみるか」
「そうしよう」
彼らは、石の門から、中へ入る。
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