第17話 看板


 村の外縁部を、セダンが走る。

 右手には延々と、森が続いている。原生林の中には、常緑樹も含まれるようで、植物が死んだ物のあいまあいまに、くすんだ緑がある。

 黒井は、妹と流したダム沿いの道を思い出した。そして、この周回路はダム計画の名残なのである。円の内側、片田村が水面下に見える妄想する。青々とした湖は、水底に眠る過去について、沈黙を貫いている。まるで最初から、なにもなかったかのように。一方で、生まれてから一度も水を湛えたことのないダム、というのもまた、シュールレアリスム的で魅力がある。


「ぞくぞくする。片田村に来てからずっとさ」


 車輪が枯れ葉を踏んだ。道にひび割れはないが、路面には塵がうっすらと積もっている。綺麗なまま風化した道路は、作り物だ。これじゃあ、舞台のセットだ。黒井は、その違和を微かに感じ、胸騒ぎがした。


「今は東南くらいだ。まだ目的地まである。興奮するには、まだ早い」


 長谷川の発言は正確だった。ここは時計で四時あたりだ。六時から出発して、右回りで進行している。目指すは十二時。


「それにしても、ドライブにはいい道だな。左手に村が一望できる。壮快だ」


 と、彼女は風景を眺めていた。田舎の、時にすら忘れられた長閑な土地。じっと見つめていると、時間から逃れられるようだ。車内のデジタル時計は秒数がなく、時折、思い出したかのように時刻を刻む。

 黒井は、右手の林を睨んでいる。久しぶりに女性を助手席に乗せたのに、明るい気分ではない。そもそも、事件解明にとらわれ過ぎていて、その事実を客観視出来ないようである。また、彼女が男友達のようにふるまっているのもある。


「黒井は、今まで、こうやって女を乗せて走ったことはあるのか」

「ある」


 彼は、平然と返事をした。


「本当にか。いや、それもそうだろう。私たちは、もう二十五年も生きているのだからな」


 真剣に路肩を睨む、彼の横顔の造りは、彼女を納得させるに十分だったらしい。


「妹と、よく、いろんな場所に出かけたものさ」

「そうじゃなくて、妹以外はどうなんだ」

「妹以外はない」

「嘘だろう」


 と長谷川に否定させるぐらいには、黒井の顔立ちは、はっきりしている。

 どことなく、ぶっきらぼうな雰囲気があるので、話しかけづらかったのかな。だが彼女の推測とは裏腹に、彼のあたりくちは、妹が死んでからだった。それまでは、気さくだった。


「妹がいたからな」

「そういうものか」


 彼女は一人っ子なので、彼の言い分が正当か、知る由もない。他人の兄弟関係について知る機会はあったものの、それは照れくささで曲げられた回答だったかもしれない。それとも、彼は重度のシスコンで、そういった癖が女を遠ざけたのかもしれない。


 *



 しばらく後、二時のところに差し掛かった。


「長谷川はどうなんだ」

「どうだって、なにが」

「助手席さ」

「私は自動車免許を持っていない。原付だけだ。助手席は乗ったことがあっても、乗せたことはない」


 学生時代は異性とは友人関係までは築けていた。そして、互いにそれで満足していた。大学で、友達が付き合いだしてからも、羨ましいとは思えなかった。ずっと私はこれでいいのだ、と考えていた。

 今はどうだろう、友達が羨ましくて羨ましくて仕方がない。嫉妬はここまで苦しいのかと、長谷川は初めて知った。自律神経が乱れるのか、頬がチリチリと熱波に曝されて、のぼせてしまう思いだった。たまらなくなって、窓を開ける。


「気になる人はいたのだがな」


 髪の毛が風につられる。


「それはいつの話だ」

「中学生だ。おい、あれを見ろ、黒井」


 行く先に柵が現れ、セダンはゆっくりと減速した。金網フェンスは、向こうから道沿いに続き、車の前方で九十度折れて、山へと登っていく。人の目の高さをした障壁は、肉眼で見るとその異質さが鮮明になる。対人間の構造物なんてのは、日常ではお目にかかれないため強烈だ。


「ものものしい柵だな。金網と、その頭上に有刺鉄線。これがお前の探していた、『聖域』なる土地か」


 助手席の彼女は、後ろへ流れていく柵がちな世界を、彼越しに観察した。それは、地獄の端っこはこんな感じ、といった具合だ。


「おそらくそうだ」


 上部の鉄線は、四十度こちらにお辞儀した支柱の間を走っている。格子の向こうには藪が茂り、植物は隙間なくびっしりと絡み合ってる。だから、中は以前、不透明だ。


「入れそうにないな。入れても、探索どころじゃない」


 黒井は、サイドウィンドウを開放して、より透明な視界を確保した。金属質の冷たい冷気が、刺しこむように流れ込む。


「ここまでするなら、中に開けた土地があってしかるべきだ。おそらく、外側だけ残して、生け垣にしているのだろう」

「二重の壁か」


 ベルリンの壁じみている。

 彼はそこまで厳重な箱の中身を恐れた。パンドラの箱よろしく、あるのは子供の救出という希望のみで、あとは絶望なのだ。

 本当にここは、楽園なのだろうか。やはり、地獄ではないか。その疑念に、現実が答えた。彼はゆっくりと走らせていた車を看板の前で停めた。柵に針金で固定された看板。すでに開け放たれていた、窓から身を乗り出す。



『この先 聖域につき 立ち入り禁止』

 

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