第15話 怪物
「蜘蛛だって」
と黒井は聞き返す。片田村の怪物は、蜘蛛だった。
「へい、さようでございます」
蜘蛛といえば、ブログ主が聖域で見たという、人ほどある蜘蛛の怪異。そんな馬鹿な。怪物は実在するというのか。
「へへ、案内しましょう。片田村の怪物に関する資料があるのでね。ヒグッ」
西田が歩き出すと、びっこを引いていることがわかった。片足が不自由なのだろう。軸のずれた一輪車の運動を見せる。
*
教室には、ボードが何枚もあり、それらは中央部に、四角く囲うように配されていた。そこに、ラミネート加工された写真のコピーが、でかでかと張り付けられている。西田は、その一つの前で止まった。
蜘蛛の絵の写真だった。画法から、大昔に描かれた画だとわかる。手前から、ひれ伏す男、佇む女、そして二畳半はあろうかという胸部の女郎蜘蛛。
「これは隣町の神社で見つかりました。フガッ。この手前にひれ伏しているのは片田村の住民、白い服のは巫女、奥にいるのは片田村の怪物です。村人は生贄を捧げていたそうな」
黒井の脳裏に嫌な想像がよぎった。
もし、その因習が今も続いているとしたら、もしそうなら、誘拐のなぜに説明がつく。妹の息子は得体のしれないなにかに捧げられたのだ。
「どうも、古くから続く信仰のようでして。ひっ、こっちをどうぞ。これは二万年前の骨だそうです。この時代から、すでに怪物は知られていました」
西田が太い指で示した別の写真。三角の骨に刻まれた模様。円から八方に伸びる線、蜘蛛とするには抽象化されすぎているようだ。腹部の分かれ目がないことから、むしろザトウムシに近い。
「ぐふふ。偉い学者さんによると、二万年という数字は前後する可能性もありまして。なんでも、そこまで古いと、炭素年代測定はあまりあてにならないとかなんとか。ですから、彫刻に使われた道具、技法からの推測でございます。くひ。ご留意くださりませ」
「人間の骨じゃないだろうな」
長谷川は、はっと気が付いて、訪ねた。その三角形は肩甲骨だ。
「お目が高いようで。まさに、その通りで、十五歳程度の少女でございます。ひひひひ。かわいいでしょう。生贄ですなあ」
「なぜ、生贄をささげたんだろうか」
黒井の疑問だった。
「そりゃ、例の怪物のためですよ。ええ、もちろん」
「それはそうだが、その化け物は、なにかのメタファーだ。例えば、洪水とかさ。ただ、この辺に大きな川はない。それに川は蛇だ。土蜘蛛という妖怪がいて、これは山に住まう蛮族のことだったか。牛蜘蛛というのもいて、こっちは神だ」
彼の言う通り、とりあえず、蜘蛛という印象を、そのまま捉えるのは危険だ。
「神ですかい。ひひひ」
西田は鼻息を荒くした。
「だって、この絵の女は巫女だろ。なら神だ」
「なぜこのような姿をしている」
彼女は疑問だった。神ならばもっと神々しい姿をしているべきであるが。
「傍から見たら邪神で、だからそのような姿で描かれたのかもしれない。かのベルゼブブだって、本来は異教徒の神様だ。探せばいくらでもそういう例はあるさ」
「よもや、他の村の神を奇形として表すのは、侮辱のためではないな」
むっとした口調で長谷川。
彼女も異形の身として、侮辱扱いは黙っていられないのだろう。
「そもそも、神様は奇形が多い。神聖なんだよ」
黒井はなだめた。
「ははあ。それにしても、神様でしたか。これは失礼なことを私はしたものです。瓶に沢山つめてしまいましたよ。へへ」
酒瓶をいとおしそうに撫でる西田。まるで、赤子を抱くように、酒瓶の蓋を二の腕で支えている。二人は鳥肌が立った。
「それ、大学で見てもらった方がいいんじゃないか。新種かもしれないしさ」
「旦那、呪われるかもしれませんぜ。だって、神様なんでしょう」
神に呪われる、という主張は一見ナンセンスだが、正しい。生贄の伝承から、この土地に降り立ったものが、不穏な存在であることが知れる。日本では、神と化け物は紙一重で、神社で祀る行為は封印という側面もあるのだ。
「奇形の神。この村に、ぴったりですな。ひひっ」
「なぜだ」
西田の言葉に、長谷川は眉をひそめた。
「その昔、今でいう身体障碍者が、迫害から逃れてきたのが、この集落の成立という伝説がありまして。山間の地形は天然の要塞でした。この地域の二上山信仰は、そういう理由もあるのでしょうな」
西田は、呼吸が苦しくなったのか、一旦、深呼吸をして、つづけた。
「片田村の片、という字は、一説によると侮辱的意味合いがあるそうな。フギッ、失礼。半端物だと、軽んじた言葉であります」
彼は愛郷心が強いのか、ふがふがと唾を飛ばしながら解説した。それで、長谷川らはまた一歩離れた。
「なら、カワタやカタワにも、語源があるのかもしれない」
と、黒井の推理。
差別用語なので、カワタやカタワとか使用を控えるべきだが、この議論は過去の議題のため、少々、時代錯誤な単語が飛び出しても仕方がない。
「ははあ。それならば、片田の田んぼの部分が、どこから来たのかに合点がいきますな、旦那」
館長である西田は、大きくうなずく。そして、
「とにかく。これで、はっきりしました。あすこには、怪物なんかよりもずっと恐ろしい存在が潜んでいるとね。神ですよ神。だから決して立ち入らないように。私は、どうなっても責任をとれません。それに、マムシがいるかもしれない」
「マムシは冬眠中だろ」
黒井は、冷静に訂正した。
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