第15話 怪物
「蜘蛛だって」
と黒井は聞き返す。
「へい、さようでございます」
蜘蛛といえば、ブログ主が聖域で見たという、人ほどある蜘蛛の怪異。そんな馬鹿な。得体のしれない怪物は実在するというのか。
「へへ、案内しましょう。資料があるのでね。ヒグッ」
西田が歩き出すと、びっこを引いていることがわかった。片足が不自由なのだろうか。軸のずれた一輪車の運動だ。
教室には、ボードが何枚もある。それらは中央部に、四角く囲うように配されてる。そこに、パウチ加工された写真のコピーが、でかでかと張り付けられている。西田は、その一つの前で止まった。
蜘蛛の絵の写真だった。画法から、大昔に描かれた画だとわかる。手前から、ひれ伏す人、佇む女、そして、二畳半はあろうかという胸部の女郎蜘蛛。
「これは、隣町の神社で見つかりました。フガッ。この手前にひれ伏しているのは、片田村の住民、白い服のは巫女、奥にいるのは片田村の怪物です。村人はこれに、生贄を捧げていたそうな」
黒井の脳裏に嫌な想像がよぎった。
もし、その因習が今も続いているとしたら。もしそうなら、誘拐のなぜ、に説明がつく。妹の息子は、得体のしれないなにかに捧げられたのだ。
「古くから続く信仰のようでして。ひっ、こっちをどうぞ。これは二万年前の骨だそうです。この時代から、すでに怪物は知られていました」
西田が太い指で示した、別の写真。三角の骨に刻まれた模様。円から八方に伸びる線、蜘蛛とするには抽象化されすぎているようだ。腹部の分かれ目がないことから、むしろザトウムシに近い。
「ぐふふ。偉い学者さんによると、二万年という数字は前後する可能性もありまして。なんでも、炭素年代測定はあまりあてにならないとかなんとか。ですから、彫刻に使われたと推測される道具、技法での推測でございます。くひ。ご留意くださりませ」
「おい、これは人間の骨じゃないだろうな」
長谷川は、はっと気が付いた。その三角形は肩甲骨だ。
「お目が高いようで。まさに、その通りで、十五歳程度の少女でございます。ひひひひ。かわいいでしょう。生贄でしょうなあ」
「なぜ、生贄をささげたんだろう」
黒井の疑問だった。
「そりゃ、例の怪物のためですよ。ええ、もちろん」
「それはそうなんだが、その化け物は、なにかのメタファーさ。例えば洪水とか。だが、この辺に大きな川はない。それに川は蛇だ。飢饉というのも違う気がする。土蜘蛛という妖怪がいて、これは蛮族のことか。牛蜘蛛というのもいて、これは神だったりする」
様々な連想。とりあえず、蜘蛛という印象を、そのまま捉えるのは危険だ。
「神ですかい。ひひひ」
西田は鼻息を荒くした。
「だって巫女なんだろ。傍から見たら邪神で、だからそのような姿で描かれたのかもしれない。かのベルゼブブだって、本来は異教徒の神様だ。探せばいくらでもそういう例はある」
「よもや、神を奇形として表すのは、侮辱のためではないな」
むっとした口調で長谷川。彼女も異形の身として、侮辱扱いは黙っていられないのだろう。
「そもそも、神様は奇形が多いのさ。神聖なんだよ」
黒井は、なだめた。
「ははあ。神様でしたか。これは失礼なことを、私はしたものです。瓶に沢山つめてしまいましたよ。へへ」
酒瓶をいとおしそうに撫でる西田。まるで、赤子を抱くように、酒瓶の蓋を二の腕で支えている。二人は鳥肌が立った。
「それ、大学で見てもらった方がいいんじゃないか」
「旦那、呪われるかもしれませんぜ。だって、神様なんでしょう」
神に呪われる、という主張は一見、ナンセンスだが正しい。生贄を与えていた伝承から、この土地に巣くうものが不穏な存在であることが知れる。日本では、神と化け物は紙一重で、神社で祀る行為は封印という側面もある。
「奇形の神。この村に、ぴったりですな。ひひっ」
「なぜだ」
長谷川は、眉をひそめた。
「その昔、今でいう身体障碍者が、迫害から逃れてきたのが、この集落の成立、という伝説がありまして。山間の地形は天然の要塞でした。この地域の二上山信仰は、そういう理由もあるのでしょうな」
西田は、呼吸が苦しくなったのか、一旦、深呼吸をして、つづけた。
「片田村の片、という字は、一説によると侮辱的意味合いがあるそうな。フギッ、失礼。半端物だと、軽んじた言葉であります」
彼は、愛郷心が強いのか、ふがふがと唾を飛ばしながら解説した。それで、長谷川らはまた一歩離れた。
「なら、カワタやカタワにも、語源はあるのかもしれない」
しかし、差別用語なので、カワタやカタワとか、使用を控えるべきだが、この議論は過去の議題のため、少々、時代錯誤な単語が飛び出しても仕方がない。
「ははあ。それならば、片田の田んぼの部分が、どこから来たのかに合点がいきますな」
館長である西田は、大きくうなずく。
「とにかく。これで、はっきりしましたな。あすこには、怪物なんかよりもずっと恐ろしい存在が、潜んでいるとね。神ですよ神。だから決して入らないように。私は、どうなっても責任をとれません。それに、マムシがいるかもしれない」
「マムシは冬眠中だろ」
黒井は、冷静に訂正した。
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