第13話 館長


「どういう意味だ」

「どういう意味って、どういう意味だ。黒井、お前は妹の子供を、仕事を辞めてまで探しているのだろ。私は一人っ子だから知らないが、世間の兄という存在は、そういうものか。仮に、私が姉だったとして、弟のために辞職するなんて、天地がひっくり返ってもないだろう。そういう意味では、真に利己的なのは、私の方かもしれない。私はしたいことをする。それが、たまたま人の幸せなだけで」


 そんなことをいいだしたら、この世に利己的でないものなどないのではないか、と黒井は思った。彼女がへりくだって語ると、世界も同じ幅だけ沈下して、人々は更なる低みに達する。それだけ、長谷川の善は絶対的に思えた。


「俺の仕事は、くだらない繰り返しだったんだ。教授のそれとは、単純な比較はできないのさ。社会的意義の少ない仕事だった。もちろん面接では、人生への関りとか、大儀とか、社会的価値とかを熱弁したかもしれない。でも、嘘っぱちだよ。仕事をもらうための嘘。大丈夫、人事部は判ってくれたはずだ」


 長谷川は、彼の卑屈な態度を笑い飛ばした。


「まさか、私の言っていることが、全て本心だと勘違いしてはいまいな。実は、大学院に入るにも面接はある。さっき話したのも、その時のだよ。全部、嘘だとは言わないがね。似たような質のものだ」



 *


 長谷川は唐突に、短い悲鳴を上げた。にゅっと、でっぷりした腕が伸びてきて、彼女の右手首を掴んだ。小太りの男は口を開いた。


「ちょっと、拝見してもよろしいでっか」


 同意を待たずして彼は行動に移した。あっという間の出来事だった。実際に、黒井が「あっ」と声を出し、その間に起こったのだった。長谷川の手袋が抜き取られる。


 彼女の右手には、指が六本あった。


 綺麗に一本生えているので、なに指の隣が多いのかは判断がつかない。ここまで違和感なく付いているとは珍しい。

 彼女は、味噌汁の熱さのためではなく、指の奇形を人に見られたくないために、手袋をしていたと、黒井は知った。手袋がぶかぶかなのは、二本入れても目立たない工夫だったのだ。


「どういうつもりだ」


 長谷川の怒声が、教室に響き渡る。小太りの男は、反省も見せず、ただへらへら、にやにやしていた。


「ひひひ。すみません」


 男は、サスペンダーの紐を、上下にいやらしくなぞりながら弁解を始めた。


「右手中指が太うございましたから、なにか隠されているのかと。ほら、うちは貴重な展示物がおおうございまして」


 背中に不快感がちくちくと這い上がる、高い声。図体に似合わず、したっ足らずなのも神経に触った。


「だとしても、声をかけるべきだったろ」


 彼も、彼女に加勢しておく。


「その通りでございます。へっ。お詫びに展示の解説をいたしましょうか」


 男は、常に鼻息を立てていた。そして、息継ぎ代わりに笑うのである。我慢できないほど嫌な喋り方だった。他人のかきむしりを耳元で訊かされ続けるに等しい。


「お前、ここの関係者か」


 黒井は、まさか、と思った。。


「ひひひ。こう見えても館長でっせ。ひっ。西田と申します。東西南北の西に、田んぼの田。西田」


 彼は絶句した。資料館の館長というくらいだから、もっと威厳溢れる人物を想像していたのだが、西田はというと、軽薄さと幼稚さが滲みだしている。

 なぜ、こんな男が、ここの責任者になれたのだろう。いやまて、ここは資料館とは名ばかりで、学際の展示レベルじゃないか。


「ふざけるな。学者に解説など、釈迦に説法だ」


 長谷川は、そう言い放った。しかし、考え直して、こう要求した。


「ならば、この石器が取れた場所を教えろ。サヌカイトを探している」


 サヌカイトの石器は、地質学、考古学の双方から興味深い。


「いやあ、しかしですな、あすこはマムシが出るんですよ。フガッ、失礼。一昨日も観光客が噛まれて大騒ぎでした。いやあ、まったく、いい迷惑ですよ。確か、一週間後に死んだんだったかな」

「一昨日噛まれた人間が、一週間後に死ぬかどうかは、まだわからないじゃないか。未来の話なんだからさ。別の話と取り違えているんじゃないか」


 黒井は冷静にツッコミを入れた。


「ええ。そうです、そうです。確か、あれは五日後に死んだんでした。へっ」


 唾の付着を恐れて、黒井たちは、西田から一歩距離を取った。あるいは、馬鹿がうつると思ったのかもしれない。


「マムシは冬は冬眠だろう」


 彼は指摘する。

 妹が炬燵から出たくないのか、冷血動物だから冬は冬眠中だよ、とごねていたのが閃光の如く蘇る。中学の理科で覚えてから、彼女の持ちネタだった。対して面白くないが記憶には残ったらしい。


「サヌカイトの場所を教えろ。さもないと、お前をセクシュアルハラスメントで訴える」


 長谷川は、ついに強硬手段に出た。すごい剣幕だ。


「うー、うー。場所ならば、村の北ですが、あそこは片田村にとって神聖な場所なんでね。そのぉお、神社があるんですよ。そいで、聖地なので、部外者の立ち入りを固く禁じているんでね」


 北は『聖域』がある方角。そこには、一体、なにが隠されているというのだ。その疑問は根幹的な謎であった。子供を誘拐して一体どうする。児童労働、性的搾取、洗脳教育、臓器移植、そのどれだ。もしくはまったく別の目的なのか。

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