第12話 資料館


 片田小学校ありがとう、の色紙が窓ガラスに貼り付けられている。片田村歴史資料館は、廃校したこの小学校の二階だという。

 右端から入り、階段を上る。卒業式の後に時間が凍結してしまった静けさの校舎。照明は落ちていて、リノリウムの床には、自然光が反射している。道の中央部には、細長い光の水たまりがあるようだ。

 校内の気温は、外気とそう変わりはないが、人工物は冷淡に澄ましていて、体感温度は低い。スリッパの足音が耳に届くとき、彼の予測よりも硬質なのは、音が空中で冷めてしまうからなのか。階段を上る。

 階段から、二階廊下。無人の廊下。この教室棟の中央部に、器用室を改装した、片田村歴史資料館が収まっている。がらがらと戸を引いた。久しぶりの教室。

 そこは学園祭の展示じみていた。それも、誰も訪れない辺境の展示だ。黒井は、懐かしい気分にさせられる。


 学園祭。彼は、一日目の午前中に、展示の番をしたことがあった。報道委員のこれまでを紹介する内容だったはずだ。朝は誰も訪れず穏やかだったが、昼前に一転、突然の大雨で、沢山の人が訪問した。本を読みながら、雨の文化祭も、悪くないと思ったものである。

 昼は妹とご飯を食べた。友人に目撃され、またデートか、と冷やかされたりもした。黒井兄妹の仲の良さは、学校では有名である。

 それから、午後のライブを見物した。悪天候のため、外の展示はつぶれており、会場は満席だ。体育館に打ちつける雨音は、静寂をあべこべに際立たせた。雨音をはねのけるように演奏する軽音部。体躯会二階の観客席、隣の妹は、釘付けになっている。あの場の一体感。


 いっそ降ってくれればいいのに。窓から見える変化の予兆を湛えた天気に思う。土砂降りは、曇り空よりましなんだ。景色は、雷雨のない文化祭のように退屈だった。


 *



「また、会った」


 黒井は、丸まった背中に声をかける。展示品の前に、長谷川がしゃがみ込んでいた。彼女は、突然、話しかけられて、驚いたのか、びくびくと振り返る。


「なんだ、お前か。おい、子供探しはどうした。休憩か」


 彼女は、ガラスケースに向き直った。中には、石器が展示されている。縁に沿って波打つ模様、打製石器。世界史の教科書でおなじみの道具だ。


「ここの館長が、例の事件の時にいた中年男と知り合いみたいなんだ」

「ふうん。じゃあ、随分、進んだんだな。今日中に片が付きそうか。解決したら、私に聞かせてくれよ」


 長谷川は、彼と話すときだけ、律義に振り返った。


「とんとん拍子で行けばな。ただ、そう上手くいくとは思えない。一年も警察の目を欺き続けてきた奴が、そう易々と捕まるはずもないのさ」

「びびっているのか。案外、犯人捜しの生活も悪くないとかか」


 そうかもしれない。この異常な生活はまさに落雷で、異様な緊張から解放されて、晴れの静けさに戻るのが、恐ろしいのかもしれない。この一件が終結すれば、曇りよりも淡泊な快晴だという、天気予報なのだ。

 彼は話頭を転じた。


「これ、黒曜石か」

「おいおい。サヌカイトは知っているはずだろう」

「これが、サヌカイトなのか」


 黒井は、もう一度、その道具に目を落とした。確かに、黒曜石特有の半透明や光沢は確認できない。


「知識は名前どまりだったか。良くあることだ」

「珍しいというから、もっと派手な石かと思った」

「もし、そうならば、お前も見た目を知っていただろう。なんせ、これは日本に集中している岩石なのだから、我ら日本人の歪んだ愛国心が放っておくはずがない」

「日本は嫌いか」

「もちろん私にも愛国心はある。だからこそ、批判的になるのだよ。これを理解できないのは、もはや愛国奴隷だ」


 彼女は皮肉をいう。彼は、政治的発言が居心地悪く、これ以上は触れないことにした。


「サヌカイトと黒曜石は近いのか」

「馬脚を露したな。全然、別物だ。あっちはガラス、こっちは石。共通点は石器にされたことぐらいか」

「正直、鉱物の知識は皆無だ。サヌカイトを知っていたのは、『聖域』を見つけたブログ主が、ブログで名前を出していたからさ」

「そうか」


 長谷川はどうでもよさそうに、サヌカイトの刃物を観察している。黒い手袋をした手を、腕にしまい込むようにして組みながら。


「石器、好きなのか」

「道具が、誰かの手に触れた、という過去を想像するのは壮大だ。石もいいが歴史も好みだ。考古学の道も考えたがやめた。折角勉強するなら、もっと直接、人の役に立つことをしたいと思う。歴史から学ぶこともあるが、災害が頻発するこの国では、未来を予測することがなによりも大切だ」


 こういう優しい人間が折り重なって、日々の平穏な生活は実現するのだろう。黒井はその一端を垣間見て、壮大だった。彼にとっての彼女は、彼女にとっての石器だった。


「俺はそんなこと考えたこともなかった。利己的に生きてきたからさ。そういう人間は尊敬するよ」


 もしかしたら、彼の行動で、偶然に誰かが救われたことがあったかもしれない。彼の記憶が正しければ、それは偶然でしかない。


「お前だって、ジャーナリストなんだろ」


 長谷川は、ガラスの展示に右手をついた。

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