第4話 片田村へ


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 型落ちセダンのエンジンが回り始める。それから暖房を入れて車内を温める。今日は、吐く息が目に見えるほど寒い。まだ午前三時で、日が昇っていないことも、この気温の低さの一因だ。

 彼は、かじかむ指先に不自由しながら、ナビで”片田村”と検索する。しかし、検索結果に、なにも表示されない。しかし、その実在は、事前の調査で確認済みだ。凍える手先のため、手元が狂ったのかもしれない。もう一度、注意深く入力する。しかし結果は同じだった。

 ならば、柵だけではなく、冤罪事件、俳句会、あの宿も、すべて、「さとりの探検記」の主のでっちあげだというのか。それも違うだろう。では、どういうことだ。


 黒井は、どかっと車のシートに座り直した。そして、意味もなく、冷たい車のハンドルを握って、心を落ち着かせた。


 彼には、いくつか仮説がある。まず、この車のナビが古いという説。この機器は、中古車セダンに装備されていたものである。埋め込み式メーカーであるから、後付けではないことは一目瞭然だ。だから、最近、成立した片田村の登録は行われていなかった。

 確かに、今までにそういう事例はあった。新しく建ったラーメン屋を入力した際にも同じ現象にみまわれた。

 だが、冤罪事件の書き込みは、およそ三十年以上前に片田村が存在していたことを示唆している。この車は十年前に販売された型式だ。

 技術的な理由で、ナビへ詰め込むことの出来る情報に制限があった、という事情も想定できる。としたら、あのような観光資源のない小さな集落は、真っ先に切り捨てられることだろう。

 嗚呼、どうでもよいが、彼の吐く息が白い。黒井は車内の空調が冷たいままになっていたことを発見した。ぐるっと回して温風にするが、実際に暖かな風が吐き出されるのは、もう少し先になる。

 いずれにせよ、最新の情報と技術を駆使した、携帯型端末の案内機能を利用すれば解決する。かただむら、とこっくりさんの動きで人差し指を移動させた。


「検索結果 0件」


 検索結果ゼロ。これは一体どういう意味か。彼の頭上に、感嘆符と疑問符が並んだ。片田村は地図にない村で、はて、それはいかなる事情なのだろう。

 宗教が乗っ取った共同生活の拠点、今はもう人が住んでいない廃村、隠れて差別される人々の集落。国が村の存在を抹消するほどの事情が隠されているとでもいうのか。なにもないことは、なにかがあることの反動、と彼は考える。

 それは丁度、箱の中身を当てる遊びに似ていた。サソリだと思って蓋を開ければザリガニで、動物だと恐れおののけば親友の頭部だったりする。人の想像力のいい加減さをこれでもかと暴く、遊びである。

 彼は、片田村への具体的な経路を見出せないまま車を走らせた。一旦、奈良へ向かい、そして、二上山周辺で聞き込みをすればなんとかなるだろう。


 暖房は、ようやく暖気を配し始めた。



 *


 大阪から奈良への経路上、阪奈道路の途中、にトンネルがある。夜のトンネルは非常に怖い。あまりにも怖いため人々はよく見紛う。不思議な靄が並走していると思えば、それは自身の反射であったりする。思うに百キロババアという都市伝説は、主婦のこういった見間違えが発端だと思うのだ。

 幻覚に惑わされ続ける、ということはない。騙されるのは最初の一秒で、すぐに車内の映り込みであるとはっきりする。


 トンネルを抜けると、平らな土地が現れた。均すという語源通り、起伏がない地形に住宅街が敷かれていて、ところどころぽこりぽこりと島のように小山がこんもりしている。奈良県内。

 トンネルの貫通する山脈の延長に、二上山がそびえている。彼は、二上山の麓にある郵便局に立ち寄ることにした。こんなにも早く開店しているのは、老人化社会に対応するためなのか。だとしたら、退廃としている。


「すみません。住所について聞きたいことがあるんですが。片田村って、知りませんか」


 黒井の想像力が及ぶ範囲で、土地について最も詳しいのは郵便局である。毎日、住所などを取り扱っているから、というのが根拠だった。

 業務を増やすのは憚られるが、彼には、誘拐事件の解決と被害拡大の阻止という大義がある。それに、平日の早朝だから利用客は彼一人のみで、受付のおっさんは暇そうにしていた。


「片田村。ああ、片田村ね」

「友人に手紙を送りたいんで。検索しても出てこないんで」


 無論、嘘である。携帯電話があるのなら、直接訪ねればよい話だ。


「そしたらね、」


 禿頭の男は、その場所の住所を読み上げる。彼は手帳を取り出して素早くメモをした。黒井は、住所に片田村の三文字がないことに気が付く。


「片田村という地名はないんですかね。俗称みたいなものでしょうか」


 いつも霧がかっている谷間なら霧ケ谷、といった具合に、周辺の人間があだ名している土地もある。ヘンダーソン・ビレッジで、当て字が片田村なんです、なんてのは与太話だが。


「俗称。まあ、そんなようなものかな。ずいぶん昔に、隣町と併合されたからね。限界集落だったからなあ。まあ、今でも、あそこの人たちは変わらず片田村を使っているけど。郵便も片田村で出してくれれば、あそこへ持っていくんだけどね」

「そうでしたか」


 それが地図にない村の真相だった。なるほど、すなわち、彼の愛車が発売される以前に、あそこは地図から消滅したのだ。新しいからではなく、古いからなかった。


「手紙、出さないの」


 禿頭はくいっと、顔を彼の方に向けた。


「住所書き直したいので」

「そうですかい」


 黒井は逃げるように郵便局を後にした。

 細かいことは気にするな。全ては大義!のために。

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