コミュ障ぼっちと修学旅行

月代零

誰にも言えなかったこと

 子供の頃の私は、いわゆる「コミュ障」「陰キャ」と言われる種類の人間で、一人で過ごしていることがほとんどだった。当時、そんな言葉はなかったと思うが。


 小さい頃の出来事で記憶に残っているのは、幼稚園の頃。

 仲のいい子が一人だけいて、その子が来るまで、教室の隅で一人、誰とも話さず遊ばず、じっとうずくまって待っていたことだ。


 今だったら、何か診断がついていたと思う。だが、ウン十年前、今ほど発達障害について周りの理解も支援もなく、親に知識もなかった。


 そのような具合で小学校・中学校を過ごした。友達と呼べる相手はおらず、いつも一人でいた。ニュースになるような苛烈ないじめこそなかったものの、人の輪に入れず、クラスでグループを作れと言われたらあぶれるような子供だった。

 どうしてだろう、友達の作り方がわからなかった。人と何を話したらいいのかわからず、自分はつまらない人間なのだろうと思っていた。

 本を読んだりアニメを見たりして、物語に浸ることでかろうじて息をしていた。




 そうやって孤立したまま迎えたのが、修学旅行の時期だった。


 中学二年に進級して割とすぐ、修学旅行が予定されていた。

 そこで、決めなければならないのが、旅行中一緒に行動するグループ分けだ。ここで、当時の私にとっては恐ろしい宣告がなされた。


 それは、「クラスを超えて自由にグループを組むことを許す。ただし、一人でもあぶれる者がいたら、この話はなかったこととする」というものだった。


 どこかの陽キャが余計なことをし、教師陣もそれを受け入れたらしい。冷静に考えたら、トラブルが起こることなど目に見えているだろうに。


 小学校の頃は、一人でいる私を見かねてグループに入れてくれる子もいたが、中学に入ると完全に孤立していた。


 そんな中で出た、クラスの垣根を越えてグループを作るという、一見楽しそうな案。しかし、私は恐怖のどん底に突き落とされた。


 周囲はクラスが別になった仲の良い子とグループを作ろうと、キャッキャウフフしている。その中で、私に向けられる視線。


 あいつは絶対あぶれる。この楽しい話が廃案になったら、あいつのせいだ。被害妄想かもしれないが、そういう視線があったのを感じた。


 でも、誰も私とは組みたがらない。私といてもつまらないのだから、当然だ。自分でもそれがわかっているから、どこかのグループに入れてくれなんて言えなかった。


 このままでは、私のせいで楽しい修学旅行は台無しになり、今度こそいじめが始まるかもしれない。どうにかそれを回避できないかと考えた策は、二つ。


 一つは、旅行は欠席するから、名前だけ入れてくれと誰かに頼むこと。もう一つは、欠席するから自分がどこのグループにも所属していなくても気にしないでくれと教師に訴え出ること。


 しかし、そのどちらも実行に移す勇気がなく、ずるずると時間は過ぎ、グループ作りの締め切り日を迎えた。

 その後行われた集会で、グループを作れなかった者が複数いたので、この話はなかったことにすると告げられた。


 廃案になったのが自分のせいだけではないことにほっとしたが、周囲から鬱陶しそうな視線が向けられるのは感じた。

 結局、クラス内でグループは作られ、私もどこかのグループに入れてもらった記憶がある。

 けれど、行きたい気持ちなど微塵もなかった。当日欠席することは、既に心に決めていた。


 旅行の前日、風邪でも引くことはできないかと、風呂でこっそり水浴びをした。だが、残念なことに翌日も発熱などはせず、親に具合が悪いと嘘の訴えをした。本当の理由は言わなかった。この一連の出来事も、誰にも話したことはない。ここに初めて書く。


 体調不良が嘘だということはすぐにバレた。だが、両親は私が修学旅行に行きたくない理由を聞こうともせず、いいから行けと命じた。

 私は泣きじゃくり、断固として拒否した。ここでもバトルがあったのだが、割愛する。ただ、これは反抗期ゆえの抵抗などではなく、当時親への信頼度は既にマイナス方向に限界突破していたためとだけ記しておく。


 結果として、私は修学旅行に行かなかった。クラスメイトからお土産をもらったが、別に嬉しくもなかった。


 周囲と上手く付き合えなかった自分が悪いのは、わかっている。

 けれど、今でもあの時どうすればよかったのか、わからない。


 そんな人間でも大人になり、働いて当たり障りのない程度には人付き合いをして、同人誌を作ってイベントに出たりもしている。


 学校なんて狭い世界だというけれど、子供にとってはその狭い世界が全てなのだ。自由に外の世界に行けるようになるまでの月日は、あまりに長く感じられた。

 それでも人生なんとかなると、もし過去の自分に伝えることができたら、あの頃の私は救われるだろうか。

 

 

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