時計

芳乃しう

時間について


「時の間」の漢字の部分だけを繋げると、「時間」という言葉ができる。時間という熟語の中には「間」がある事から始まりと終わりが設定されている事が確認できるわけだが、その一切合切はその時々によって様々である。カラオケのフリータイムは朝11時〜19時迄、課題の締め切りは授業の日から7/10の23時55分まで。後者は事前の準備ができるため実際の始まりは人それぞれである。ただおそらく他の受講者と比べると私には幾分時間がない。言い方が何だか物々しいし偉そうだが時間がないのは只々日頃の怠惰のしからしむる所である。要は阿呆なのである。話を戻そう。その時々によってさまざまで、人によってもさまざまで、「時の間」が設定される。終わりが分からないこともある。生まれてからいつ死ぬのか、それがいつ来るのか誰にも分からない。結末だけ分かっていて、始まらないこともある。しかし時間を語る以上、私たちは必ず始まりと終わりを考えざるを得ない。そうでないと時間は語れない。嘆くも仕方がない。なぜならそれが時間の定義だからである。しかしこの「時間」という概念に限りなく近いのに、その定義から恐ろしいほど遠い距離に身を置く事ができる物がこの世には存在する。そう、時計である。時を計る、の漢字だけを繋げて「時計」。時計の歴史は古い。腕時計がその役割以上の期待がなされるようになって久しいが、時計の歴史から見るとそんな権威付け云々、キャッシュレス決済云々は生まれたての赤ん坊にすぎない。古くは古代エジプトの日時計、ホイヘンスの振り子時計、アントン・ケットラーの鳩時計、そして色々あってアップルウォッチ。多種多様な時計が時代と共に作り出されてきた。余談だが、私は時計の中でも懐中時計と鳩時計を特に好む。お茶会に遅れてしまう、と白ウサギが懐中電灯をチラチラ見るアニメーションは幼き頃の思い出である。金色の懐中時計は不思議世界を私の中に思い起こさせてくれるのである。鳩時計はとにかく可愛らしい。1時間に1回ぽっぽーぽっぽーと鳩が何ともいえない顔で扉から出たり入ったりするのはどことなく可笑しくて愛らしく、愉快な気持ちになる。鳩がぬくぬくと暖かそうならば尚良い。閑話休題。時計には、始まりと終わりがない。なぜならずうっと回り続けるからである。しかし、「時間」も本来はそうであった。人間が観測しなければ、定義付けを行わなければ我々の世界には時間が存在しない。人間原理。観測しなければ宇宙は存在しない。世界は5分前にできたのかもしれない。箱の中の猫は生きているし死んでいる。例えば今この瞬間に世界の全ての人間がいなくなったら、私は永遠の19歳になる。回り続ける時計は言葉を発しない。チクタクと音を立てるだけ。進んでいるのに、進んだことにならない。時間を失った時に私たちは初めて気づく。時間と身近で、私たちとも身近な時計が、私たちを疎外していたという事に。

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時計 芳乃しう @hikagenon

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