みあは雄猫

凪奈多

みあとご主人

 もうアラサーだというのに、未だに恋のこの字もないほど、恋愛とは縁遠い生活を送っていた。

 そんな俺は、仕事で疲れた心と身体を癒してくれる存在を求めて、一月ほど前から猫を飼い始めた。

 薄めの茶毛のマンチカン。飼い始めた当初は生後二ヶ月ほどで雄。名前はみあ。みゃあ、と鳴くからみあ。我ながら安直だと思う。

 みあは人懐っこい性格なのか、俺にもすぐに懐いてくれた。


 ここ最近の楽しみは仕事終わりにみあと戯れること。俺が精一杯の愛情を込めて接すると、みあもそれに応えてくれている気がして、俺の心も満たされていく。

 もうみあのいない生活など考えられない、そのくらい俺の中でみあは大きな存在となっていた。


 はぁ、早くみあと戯れたい、疲れを癒されたい。仕事終わりの俺は、そんなことを考えながら帰路についていた。

 やっとのことで自宅のマンションにたどり着き、逸る気持ちを押さえながらエレベーターを待つ。

 数分待つとエレベーターが下りてきて、それに乗り込む。五階のボタンを押し、ガタゴトと揺られながら、スマホに保存してあるみあの写真を眺める。

 すると、もうついたのか、気づいたらエレベーターの扉が開いていた。あぁ、みあを見てると時間が一瞬で流れるなぁ。


 自宅の前まで歩き、鍵を差し込む。

 みあはこの鍵を開ける音を聞くと、玄関まで駆けつけてくれるんだよなぁ。フローリングの床をかたかたと猫の爪音が響くのが、外にいても聞こえてくる。

 今日もその音を期待していたが、予想に反して中から聞こえてくる音はドタドタという、なんというか、人の子供のような足音が聞こえてきた。


 いつもとは違う音に恐る恐るといった感じで玄関の扉を開くと、腹の辺りに大きな衝撃を受けた。


「ご主人、おかえりー! みゃぁっ!!」

「うおっ」


 倒れそうになるのをなんとかこらえ、下を見る。腰の辺りまで伸びる薄めの茶髪に猫耳、しっぽ、おまけに全裸の少女が俺に抱きついている。


「えっ、え!?」

「どうしたの、ご主人?」

「ど、どうしたの……って、いや誰!?」

「ご主人、みあのこと忘れちゃったにゃ……? あんなに好きって言ってくれたのに……」


 みあを名乗る少女は、上目使いで俺の顔を覗き込む。

 確かに髪の色も、瞳の色もみあと同じだ。おまけに耳としっぽもついている。

 この角度からならしっぽの付け目も見えるが、しっかりと身体からはえている本物のしっぽだ。でも……納得はしがたい。


「みあって……みあは猫だし……」

「みあも猫にゃ。ほら、ご主人がいっぱい撫でてくれた耳にゃ。触れば分かるにゃ」


 みあを名乗る少女は、俺の右手を重たそうに持ち上げ、自らの頭へと導いた。

 髪の毛に触れる。耳にも触れた。


「みゃあ♡」


 いつものように撫でてやると、みあを名乗る少女の口から、色っぽい声が漏れる。

 みあの頭を撫でたときと同じ反応だ。それに撫で心地も……。

 もう、彼女がみあであることは俺の本能から理解できた。

 でも、どうして猫であるみあが人間の姿になっているのか。それにもう一つ気になることがあるとすれば──。


「でも、みあは雄猫だ」

「? みあは雄にゃ。ほら」


 みあは俺の身体から名残惜しそうに離れ、両手を広げる。

 そこには確かについていた。男にしかないモノが。


「にゃ? みあはちゃんと雄にゃ」


 威張るように腰に手を当て、胸を張る。


「…………わかったから、一旦服を着ようか」


 俺は靴を脱ぎ、自宅に上がる。みあの脇下を抱えて、リビングへと向かった。


◇◆◇


 俺の家には当たり前だが、みあの着れるサイズの服はない。とはいえ、今みたいに全裸のままなのはやはりよくないので、俺のTシャツを被せておいた。


「こ主人の匂い……みゃあ」


 Tシャツのネックの部分に顔を埋め、くんかくんか、と擬音がつきそうなほど匂いを嗅いでいるみあ。


「いろいろ聞きたいことがあるんだけど……とりあえず、みあのご飯は今までと同じやつでいい?」

「ご主人と一緒のやつがいいにゃ」

「食べれるの?」

「食べる、にゃ」

「……わかった。じゃあ、ぱぱっと作るからちょっと待ってて」


 キッチンへと向かい、休日にまとめて作り、冷蔵庫に作り置きしてある料理を一つ手に取る。

 ミートソースだ。パスタを茹でてかけるだけですぐに食事ができるため、毎週作り重宝していた。

 とは言ってもこれは一人前だ。自分の分しかない。

 そこで俺は、朝食用の食パンを二枚取り出し、そこにミートソースを乗っける。

 その上にチーズをたくさんふりかけ、オーブンに押し込んだ。

 まあ、簡易的なピザトーストと言ったところか。


 それにしても、これを本当にみあに食べさせていいのだろうか。


「みあ」


 リビングに戻り、Tシャツの中で丸くなっているみあに声をかけた。


「にゃ! ご主人、ご飯かにゃ!?」

「いや、もうしばらくかな」


 みあはネックから勢いよく顔を飛び出させ、服の裾を踏みながらも俺の胸元へ飛び付いてくる。

 こうしていると、本当にみあにそっくりだ。猫のときからみあは俺が歩くとついてきて、座っていると膝の上に飛び乗ってきて、撫でてほしそうに身体を揺らしていた。

 今も俺の胸元で身体を揺らしている。

 俺はそんなみあの背中に手を回し、撫でてやる。


「にゃあぁ♡ ご主人もっとして、にゃ♡」


 なんだかいけないことをしている気分になってくる。


「みあ、本当に食べれる?」

「みあ、お昼にいつものご飯食べたら、不味くてぺっぺ、ってしちゃったにゃ。たぶんお口もご主人と一緒にゃ」

「そのときにはもうその姿になってたの?」

「にゃ」

「うーん、一旦見せてもらえる?」


 そう言うと、みあは今は潔く口を開く。

 嫌かもしれないな、何て思いながらみあの下を触り、確かに猫の舌というよりは人間の舌だな、何て考えていたら、みあの舌が俺の指を嘗めるように動かし始めた。


「ちょっ、みあ!?」

「ご主人のお手々はおいしいにゃあ♡」

「離れなさいっ!」

「に゛ゃ!?」


 俺の指を嘗めるみあを突き放す。

 そんなタイミングでオーブンが音で焼き上がったことを報せてくれる。

 俺は胸元のみあを少し持ち上げてどかし、キッチンへと向かう。

 オーブンから取り出したピザトースト擬きを四等分に切り分け、お皿に盛り付ける。

 

「今度こそご飯にゃ?」

「うん」


 お皿に盛られたピザトースト擬きをテーブルの上に置き、俺はみあの向かい側に腰を下ろした。

 しかし、みあは俺の膝の上に移動して腰を下ろし、四等分したピザトースト擬きの一つを手にした。


「ご主人、これはどう食べるのかにゃ?」

「ていうか、みあ。俺食べにくいんだけど」

「ご主人が冷たくなったにゃ……」

「そういうわけじゃなくてさ、みあ、大きくなったんだからせめて横に、ね?」

「にゃん」


 俺はみあの脇下を抱え、横においた。


「それで食べ方だけど──」


 俺は実演を交え、食べ方を説明する。といっても、パンの耳を持ってかじるだけなのだが。

 みあも真似して食べ始めると、目を輝かせながらどんどんと食べ進めていった。


「ご主人、いつもみあに内緒でこんないいもの食べてたのかにゃ……」

「みあいつも膝の上にいたじゃん。それに猫は食べられないんだよ、これ」

「じゃあ、人間になってよかったにゃん」

「その事なんだけどさ──」


 何より一番知りたかったこと。猫が人間になるなんてあり得ない。だというのに、俺には目の前のみあを名乗るこの子が、みあであるという確信があった。


「みあはどうしてこうなったのか分かる?」


 別に人間になったから捨てるとか、そんなことは当たり前だがしない。以前の猫のみあも恋しいが、今の人間となったみあも変わらず俺の疲れた心に潤いをくれる存在だ。


「愛、にゃ」

「愛?」

「ご主人がいつもみてるやつが言ってたにゃ。思いのこもった願い事なら必ず叶うって。みあも真似してご主人といっぱいお話したいってお願いしたら叶ったにゃ」


 んな、ベタな。確かに俺がたまにみているアニメでそんなことを言っていた気もするが。


「こうして、ご主人といっぱいお話しできて嬉しいにゃ」

「まぁ、俺もみあと話せて嬉しいよ。それとどうしてみあは雄なのに、見た目が女の子なの?」


 これも気になっていたこと。雄猫が人化するなら男の人間になるのではないだろうか。しかし、今のみあは股間のモノを除けば、どこからどうみても女の子だ。


「それは、ご主人がみあを去勢したせいにゃ。責任とってみあをいっぱい可愛がるにゃん」


 なるほど、去勢。確かに飼い始めた時に取ってもらったが。なるほどなぁ、そう来たか、という感じだ。

 みあは座ってる俺の膝の上に頭を乗せ、撫でてほしそうに身体を揺らす。

 お望み通り撫でてやると、みあは喜びの声を上げた。


「にゃあ♡ 気持ちいにゃん♡」


 ああ、やはりいけない気分になってくる。いくら元猫だからといって、見た目が中学生くらいの少女であるみあにこんな声を上げられたら罪悪感が募っていく。

 確かに触り心地などはみあと同じ。とても癒されるし、ずっと撫でていたい。

 でも、この声はなぁ……。まぁ、簡単に言ってしまえばエロい。こんな声を上げられると気軽に撫でれなくなってしまう。


 そんな俺によぎった一つの考え。みあを撫でながらその事をボソリと口にだした。


「新しい猫、飼おうかな……」

「にゃ!? 浮気はダメにゃん!!」


 みあは猫パンチさながら、俺の脇腹をパンと叩く。


「ごめ、ちょ、分かったからちょっと一旦やめ! け、結構痛いから」

「みあ以外の子に手を出さないにゃん?」

「だ、出さない。俺はみあ一筋だから」

「じゃあ、ご主人。ちゅってしてにゃ。あれ気持ちよくて好きにゃん」


 ちゅっ、というのは、まあ、キスのことだ。

 みあが猫のとき、たまにしていた。けど、こう見た目が変わると……うん、どう考えても事案だ。

 アラサー男が中学一年生くらいの少女にキスするなんて。


「ねえ、はーやーくー! まさか、できないにゃ? やっぱり浮気かにゃ?」


 こうなると、もうキスしないとみあは止まらないだろう。

 大丈夫。みあは猫、みあは猫……、よし!


「わかったから、ほら、みあおいで」

「にゃん!」


 俺が両手を広げ、みあを呼び込むと、嬉しそうに膝の上に飛び乗り、俺の首に手を回した。

 そんなみあに俺は優しく口付けた。


「にゃ……♡」


 ってか、俺ファーストキス……、いやみあは猫だ。カウントしない。

 数秒で口を離すと、足りないと言わんばかりに、みあは俺の口を引き寄せた。

 それから数分。みあは俺の口をずっと啄み続けていた。


「にゃあ♡ 気持ちよかったにゃあ♡」


 やっとのことで離してくれたみあに俺は声をかける。


「じゃあ、みあ。お風呂行こっか」

「にゃ!? お風呂って水にゃ? 水は嫌にゃん!」

「だーめ、俺も一緒に入るからさ」


 そう言って、みあの脇下を抱え、脱衣所へ向かう。


「嫌にゃ、嫌にゃ! みあは猫にゃ、お風呂なんかいらないにゃん!」

「うーん、でも、みあが臭いと俺、みあのこと嫌いになっちゃうかも」

「それはダメにゃ!」

「じゃあ、お風呂に入ろうか」


 こうして、騒がしいみあをお風呂に入れた。湯船に浸からせれば、みあも気持ちよくなったのか、静かになった。

 お風呂から上がり、髪を乾かしたりした後、リビングに戻る。


 その後も戯れながら、明日も仕事だと言いつけ、俺はベッドに潜った。するとみあもついてきて、一緒のベッドに潜る。

 みあも眠かったのか、布団にはいると、すぐに寝息が聞こえてきた。それに安心した俺もすぐに目を閉じ、眠りにつく。


 こうして、なんとも騒がしい俺とみあの生活が幕を開けた。

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みあは雄猫 凪奈多 @ggganma

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