彼女の家に記憶は眠る
ナナシリア
彼女の家に記憶は眠る
ぎりぎり首都圏外の田舎。
周りは畑ばかりで、隣の家まで徒歩十分、スーパーは車でもかなり時間がかかるショッピングモールの中にしか存在しない。
土地が安くて海が見えることだけが取り柄のその場所に、俺はわざわざやって来ていた。
「懐かしい」
俺は、町と呼ぶにはいささか人口が足りないこの場所に住んでいた。
中高のあいだ毎日通り、鬱陶しいと感じていた坂道も、今ではいい思い出だ。
俺は、この場所に住むことを決めて、住む家を探すため、住宅の内見に来ていた。
「昔、この辺りにお住まいだったんですか?」
不動産屋の担当者が俺に尋ねる。
俺が事情を説明すると、担当者は得心したように頷く。
「じゃあ、今からご案内する家ももしかしたらお知り合いの方が住んでいた家なのかもしれませんね」
「どうしてそう思うんですか?」
「ご存じの通り今から行くのは中古の家なんですけどね、元々住んでらっしゃった家族の娘さんがお客様と同じくらいの年齢なんですよ」
「……!」
「やっぱりお知り合いの方のお家でしたか?」
頭から抜け落ちていた。高校時代のあの熱も、忘れるまいと誓ったあの記憶も。
俺は駆け出してしまいそうな気持ちになった。なんとかそれを押さえ込み、心のメモ帳にメモしておく。
彼女を探す。
今、目の前に建っているこの家は、その彼女が当時住んでいた家だ。
扉を開くと、忘れていたはずの記憶が少しずつ思い出される。
いつもこの玄関を通って家に入ったこと。
長めの廊下が、秋や冬は少し寒かったこと。
机や家具が置かれていたダイニングとリビングは、記憶より少し広い。
彼女の両親の部屋は入ったことがなかった。
お風呂は十分に広い。彼女がお風呂に入っている光景が思い起こされてしまい、慌てて首を振る。
――そして、最後の部屋。
「こちらが、最後の部屋になります」
この家の中で最も長い時間を過ごし、最も見慣れた場所。
机やベッドやその他の装飾も全て取り払われていても、それは見慣れた彼女の部屋だった。
「広くて、いい家ですね」
「このお家は、うちで扱ってる中では広い方ではないんですが……」
「ああいえ、昔と比べて広く感じたのでつい」
不動産屋の担当者は、納得して微笑んだ。
「実は、ここに住んでいた家族の娘さん、亡くなってしまったんですよ」
「それって」
「……お客様と同年代の方です」
なんと言うべきなのか。どう思うべきなのか。それすらもわからなくなった。
「どうして亡くなったんですか?」
「交通事故らしいです。詳しくは存じ上げないのですが、一人で東京に行く途中に事故に遭ってしまった、と聞いています」
東京。
『俺、東京の大学に行くんだ』
『東大?』
『そんな賢くねえよ』
『だよね』
『だよねってなんだよ。とにかく、卒業したらお前とはしばらく会えない』
『いやいや、会いに行くからね? できれば年一』
『来るなら勝手に来ていいけど、交通費は出さないからな』
『いいよ、わたしが勝手に行くだけだから』
「その方が亡くなったのは十九歳の三月頃らしくて。お若いのに」
不動産屋の担当者の言葉で意識が現実に引き戻される。
十九歳ということは、大学一年生の、三月頃。俺たちが高校を卒業してから、ちょうど一年。
彼女は、俺に会いに行こうとしていたのか。
東京に着いてからスマホを替えて、アカウントも変わってしまったので、連絡が来ていなかった。
「本当ですか?」
「たぶん、この辺りのどなたかに訊けば、皆様ご存じかと思います」
住宅の内見はあっさりと終わった。
彼女は、本当に交通事故で死んでいた。
俺はそれ以外の詳しい話は訊けなかった。なぜなら、皆彼女の死を俺のせいだと言ったからだ。
正しい。
俺のせいだ。彼女が若くして死んでしまったのは。
俺はこの家に住むべきか、それを考えることもできず歩いた。
彼女の家に記憶は眠る ナナシリア @nanasi20090127
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます