ついていきます ~男の娘その3~

時輪めぐる

ついていきます ~男の娘その3~


 ――幼稚園の年少クラスの時でした。一人だけやけに目立つ、ハーフっぽい綺麗で可愛い女の子がいました。皆に、「アズサちゃん」と呼ばれて、クラスのみならず園のアイドルです。本人は、それに関して全く無頓着むとんちゃくでしたが。

「わたしは、タマヤマ カヲルです。おともだちになっていただけませんか?」

 私は、勇気を振り絞って言いました。幼稚園児にしては、やたらと言葉使いが、大人びて丁寧ていねいなのは、私の母が所謂いわゆる、お嬢様育ちで、言葉使いに厳しかった所為せいです。

「おれは、タニハラ アズサだ。いいよ、ともだちになってやらぁ」

 何と口汚い女の子だと思ったら、正真正銘しょうしんしょうめいの男の子でした。驚きましたが、アズサも私も一人っ子でしたので、気が合ってすぐに仲良しになりました。

「カヲル、おまえ、ガガンボみたいだな。めし、くってんのか? こらぁ」

 三歳児にして、この口汚さ。うちの母が聞いたら、卒倒しそうだと思いながらも、女の子の容貌ようぼうの男の子に魅かれて行きました。

 

 ある日、クラスのボス的存在の、ほっぺにご飯粒を付けたガサツな男の子が、私の髪を引っ張りました。当時から私は、前髪パッツンのオカッパ頭でした。

「おい、おまえ。おとこのくせに、なんだよ、このかみのけは。こうしてやるぅう」

「い、いたいです。やめてください」

「そのことばづかいも、きにいらないぜ。おとこは、おとこことばで、はなせ。おらおら」

 私は、髪を掴まれたまま、部屋の後ろで泣いていました。先生は、他の子のお漏らしの片付けに忙しくて、私達のトラブルには、気付いていません。

 その時、園庭から私を呼びに来たアズサが事態に気づき、ボス的なご飯粒少年に掴み掛かって行きました。

「おい! タコ。カヲルを、はなしやがれ!」

「うわっ」

 アズサの攻撃にタコはよろけ、掴まれていた髪が三本ほど抜けました。私は一段と大きな声で泣き、その声でより興奮したタコは

「なんだ、おまえも、おんなおとこじゃん。おまえらは、なーかま、なかま、おーんなおとこ、なーかーまー」

 アズサをも侮辱したのです。

 女男と言われたアズサは、目の色が変わり、すごい勢いでタコに飛びかかって、馬乗りになると頭をペシッと叩きました。

 タコが、豚がいじめめられるような声で泣き始めても、その攻撃は緩まず、床に落ちていた玩具のキャベツを無理やりかぶせたところで、お漏らしの片付けを終えた先生が二人をブレイクしました。

「こらこら二人共、何やってるの? お友達を叩いちゃ駄目でしょ?」

「せんせい、そいつが、さきにカヲルのかみのけを、ひっぱった」

「そうなの? タカオくん?」

 タカオ君が、タコオ君に聞こえ、やっぱり、タコなんだと、べそを掻きながら、妙に納得したのを覚えています。

「おれは、カヲルのけを、ひっぱっただけだ」

 何で、こいつに、ここまでされなきゃならないのだと、アズサを指差し、タコはキャベツ頭のまま泣いて訴えました。

「そいつは、おれのこと、おんなおとこってぬかしたから、ぼこってやったんだ」

「女男?」

「アズサも、おとこのくせに、おんなみたいじゃん。だから、おんなおとこなんだよ!」

 タコは、憎々しげに先生に説明しました。

「女みたい」という言葉を聞いた途端、アズサの瞳が再び燃え上がり、今にも、タコに掴み掛かりそうになったので、先生が、それを制したのです――



「アズサは結構、血の気が多いのですよ」

「わぁ、それじゃあ、アズサちゃんが、カヲル姫を救ったヒーローなのね」

 小池ミチオ、ミッチーが立ち上げた女装サークル『オトコの娘同盟』で、ファッションアドバイザーをしている速水モモコは、両手を胸の前で合わせて、目を輝かせた。


 玉山カヲルが、幼馴染の谷原アズサと一緒に、サークル設立に加わったのは、二か月月前、一学期の終りの事だった。

 ここ夢ヶ丘高校に入学してすぐ、女装男子ミッチーに一目惚れしたアズサに、付き合った格好だ。


「まぁ、そうですね。でも、アズサは、ヒーローと言うより、お姫様ですね。ちょっとアレだから、私がいつもナイトみたいに……」

 ドガッ!

 カヲルの座る椅子に衝撃が走った。

「誰が、お姫様だよ?」

「アズサ……」

 カヲルは、アズサに蹴られた椅子を、さすった。

「あ、いえ、ムニャムニャ。ところで、アズサ、それは、いったいどうしたのです?」

 アズサの姿は悲惨だった。

「ミッチーと、サークルのデモンストレーションをしていたら、熱狂した奴らに、むしられちまった」

 ヘッドドレスは、ずれて泥棒の頬っ被りのように、鼻の下にリボンの結び目が来ており、穿いているパニエも、破れて所々垂れ下がっている。

「片肌脱いで、色っぽいですね」

 カヲルは、まぶしそうにアズサを眺めた。

 胸のボタンが千切れ、襟繰えりぐりが大きく開いてしまった上に、袖を引っ張られて、鎖骨から肩先が顕わになっている。

「ひどーい、お洋服が……。脱いで、脱いで。修復しなきゃ」

 モモコは、泣きそうになりながら、アズサのロリータ系ドレスに手を掛けた。

「ところで、ミッチーさんは? 一緒ではないのですか」

「ああ、そうだ。ミッチーは、どうしたの?」

「ミッチーは、襲われる前に俺が逃がした。部室に戻っているかと思ったんだけど」

 戻ってねぇのかと部屋を見回し、心配だから探しに行って来ると、言う。

「アズサ、そんな格好で外に出たら、火に油を注ぐようなものです。ちゃんと、シャツの前を閉めてからにして下さい」 

 金髪のウィッグを脱いで、メイクを落とし、制服のシャツの前全開で腰パン。それだけで、ふるい付きたくなるような魅力がある。

 街で、モデルスカウトや芸能プロのスカウトが、目を付けるのも無理は無かった。ハーフっぽい顔立ちや、細マッチョな体型は言うに及ばず、中性的で誰をも引き付ける、妖しいフェロモンが間違いなく出ていた。もっとも、本人には、自覚が無いのだが。

「私が探しに行って来ます」

「カヲル、お前だって、十分むしられる要素があるぞ。」 

 スレンダーな長身に、黒髪パッツン。切れ長の目は涼しげで、モモコと一緒にコーディネートした浴衣を、カヲルは身にまとっている。楚々そそとした和服美人といったところだ。

「大丈夫ですよ。アズサやミッチーさんに比べたら、私なんて足元にも」

「俺も行くぜ。前閉めたし、良いだろ?」

「私も、探しに行く。手分けした方が早いでしょ」

 ミッチーの幼馴染みのモモコも、広げた和装小物と、アズサが脱いだドレスを、手早く片付けながら言った。



 人だかりから逃げたミッチーは、男子トイレの個室に隠れている。そこでメイクを落とし、ロッカーから持ってきたジャージに着替えていた。

「マジ怖かった。アズサちゃんは、僕を先に逃がしてくれたけど、むしろ、アズサちゃんが居たからパニックは起きた訳で。大丈夫だったかな」

 アズサ曰く『矮鶏ちゃぼのケツ』の様なウィッグを、ほっそりした指先でクルクルと回し、ジャージの入っていた紙袋に、ガーリーなドレスと一緒にブチ込んだ。汗で額に張り付いた色素の薄い髪を、手櫛てぐしで整える。取り敢えず部室に戻ろうと、男子トイレを出た所で、モモコにばったり会った。


「ミッチー、大丈夫だった? アズサちゃんが、ボロボロになって帰って来たから、心配したよ」

「ごめん、モモコ。心配掛けて。それで、アズサちゃんは、大丈夫だったの?」

「怪我は無かったけれど、お洋服が……。カヲル姫と一緒に、ミッチーを探しに行くって、部室を出て行った」

「そっか。行き違いになっちゃうから、僕達は、部室で待っていよう。どうせ、二人共あそこに戻って来るからさ」

 二人は、部室でアズサとカヲルを待つ事にした。今後のデモンストレーションの仕方も、話し合わなければならない。毎回、こんな状態では危険過ぎる。



 九月になっても、一向に太陽は衰えず、校庭の蝉も鳴き盛っている。放課後のグラウンドでは、野球部や陸上部が活動していた。

 ミッチーが逃げるとしたら、ひと気の無い所だと予想して、カヲルは体育館脇の倉庫や、人が出払った運動部の部室が並ぶ辺りにやって来た。

「暑いです。それに、下駄は歩き難いです。ミッチーさん、落ちていませんね」

 独り言を言いながら、周囲を見回した。この辺りは、石がゴロゴロしていて下駄が引っ掛かる。ガッと、石につまずいた拍子に、右足の下駄の鼻緒が切れてしまった。

「あいたたた。困りましたね。母様のお古の下駄だったから、鼻緒が寿命だったのでしょうか」

 カヲルは、しゃがみこんで足をさすった。


「どうした? 大丈夫か?」

 野太い声に顔を上げると、他校のジャージを着たガタイの良い男子生徒が、大きなスポーツバッグをぶら下げて前に立っていた。

 カヲルの顔を見て、相手が息を呑むのが分かった。

「お前、……玉山カヲルか?」

「貴方は、……タコ。いえ、佐藤タカオ君?」

 カヲルは、目を凝らして相手を観察した。

 往年のキャベツ頭少年は、今や精悍せいかんな顔付きの、マッスルボディになっていた。

「今日、ラグビーの試合で、初めて夢ヶ丘に来たんだ。お前、ここの生徒だったのか。小学校の途中で、俺は隣町へ転校しちまったから、すげえ久し振りだけど、一発でお前って分かったぜ」

「……それは、どうも」

「相変わらず、女みたいなんだな」

 そんな格好していると、本物の女より綺麗だと言って、タカオはカヲルをジロジロと眺めた。

 無遠慮な視線にカヲルは眉をひそめ、立ち上がると軽く会釈して、脇を通り過ぎようとした。

「待てよ。その下駄、困ってるんだろう? 俺が直してやるから、ちょっと待て」

 タカオは、スポーツバッグを開けると、スポーツタオルを取り出した。

「結構です。両方脱いで、裸足で歩きますから」

 カヲルは、これ見よがしに、鼻緒が切れていない方の下駄を脱ぐと、もう片方と底を合わせて手に持った。

「裸足じゃあ、足が痛いし、傷になっちまう」

「大丈夫です」

「せっかく再会したんだから、もう少し付き合えよ」

「付き合うって、私は今、人を探している途中です」

「ちょっと位、良いだろう? 俺の連れは、もう先に帰ったし、ゆっくり話そうぜ」

「良くないから、お断りしているんです。ハッキリ言って、貴方には良い思い出が無くて」

「幼稚園の時の事、言ってんのか?」

 食い下がるタカオに、面倒な人に会ってしまったと、カヲルは内心うんざりしている。

「幼稚園の時もですが、小学校になってからも、貴方は、ずっとイジメっ子だったじゃないですか。だから、貴方が転校して清々せいせいし……ぐふっ」

 タカオの頭突きが、鳩尾みぞおちに決まり、カヲルの言葉は途切れた。



 一方、同じくミッチーを探していたアズサは、見慣れないジャージを着た大きな男が、巻いたカーペットの様な物を、肩に担いで歩く後ろ姿を目撃した。カーペットは、男の肩を折り山にして二つ折れになっていたが、その柄は、どこかで見た事のある柄だった。どこで見た柄だったかと考えている内に、ジャージの男は、物置きになっている旧校舎の方へ消えて行った。不用品を片付ける業者だろうか。何気なく見送ってから、アズサは、体育館の辺りを一周して、部室に戻って来た。

「お帰り、アズサちゃん」

 男女の混声が、ハモった。

 窓を開け放ち、暑さをしのいでいる部屋では、ミッチーとモモコが、テーブルの上にファッション雑誌を広げて、女装計画を立てていた。

「ミッチー、無事だったんだ。良かったぜ」

 アズサは、安堵の溜め息を吐くと同時に、カヲルが居ない事に気が付いた。

「カヲルは?」

「あら、アズサちゃんと一緒に居るのだと思っていた。別々に行動していたの?」

 モモコは、意外だというように、ペットボトルの麦茶を紙コップに注ぐ手を止めた。

「一緒に、ここを出てから、かれこれ一時間か」

 どこ行っちまったんだ? アズサは、モモコが差し出す冷たい麦茶を飲み干すと、スマホを確認して呟いた。空のコップを置く時にふと見たテーブルの上、目線の先に、モモコが脇に片付けた和装小物の巾着があった。紺地に花模様、色を差してある。

「この柄……」

「ああ、カヲル姫が着ていた浴衣とお揃いの布で作った巾着なの。可愛いでしょう?」


(ん?)


 アズサの中で何かが符合した。

「やべぇ、マジやべぇ!」

 そう叫ぶと、アズサは、慌てて部室を飛び出して行った。

「なぁに?」

 モモコは、ミッチーを振り返って、顔を見合わせた。



「ん……」

 カヲルは、気付くと、薄暗い場所の壁にもたれて座っていた。目の前にも建物の外壁がある。建物と建物の間で、夏の日も差し込まず、風が吹き抜けていた。

 ここはどこだろう、自分はどうしたのだろうと、考えていると、

「目が覚めたか?」

 隣で野太い声がした。

 驚いて振り向くと、壁を背に並んで座っているタカオが、ずいと顔を近付けて来た。

「ここは、使われていない校舎なんだな。窓から中を覗いたら、色々な物が置いてあったわ」

 離れようと、身をよじるが、両手首は、タオルの様な物で後ろ手に縛られていた。

「これは、どういうつもりなんです? ほどいて下さい」

 カヲルは、身じろぐ。

「嫌だ。解いたら逃げるだろ? ちょっと話したかっただけなのに、あんまりつれなくするから、手荒な事しちまったじゃねぇか」

「話って、私は話すことなんてありません」

「そう言うなよ。俺さ、お前の事、幼稚園の時から何か気になって、イジメちまったんだけど、小坊しょうぼう(小学生)の時に転校してから、分かったんだ。ほら、よく言うだろう? 好きな子に意地悪しちゃうって」

 タカオの頬が、ちょっと赤くなった。

「はぁ?」

 カヲルは、何言っているのだ? こいつはというように、思いっきり怪訝けげんな顔をした。 

「俺、お前の事好きみたいなんだ。付き合わないか? 俺達」

 暑さの所為で、どうかしてるのだろうか。

「お断りします!」

「お前の、そういうキツイ所が、たまらないぜ。浴衣が色っぽいな、よく似合っている。髪も昔のまんまなんだな」

 タカオは、カヲルの髪に手を伸ばしてきた。

「止めて下さい。大きな声出しますよ?」

「出せば? どうせ、こんな所に誰も来ないし、何なら、俺のブチュウでふさいで……」 

 ゾワワ、全身に鳥肌が立った。

「いいやああああああああ!」


 先刻、不審な男が消えて行った方角を探していたアズサは、カヲルの絶叫を聞き付けると猛ダッシュでやって来た。

「おい、何してやがるっ!」

「あん? 何だお前は」

 タカオが立ち上がると、アズサより、ひと回り体が大きかった。

 だが、アズサは、じる事無く言った。

「俺のカヲルから離れやがれ!」

「えっ?」

 カヲルの中で、「俺のカヲル、俺のカヲル……」と、アズサの声がエンドレスで再生されている間に、アズサは殴りかかって来たタカオを、合気道の技で、地面に腹這いに押え込んだ。

「カヲル、大丈夫か?」

 ぼーっとしているカヲルに、声を掛ける。

「……え、あ、はい」

「いたたたたた。痛てぇよ」

 タカオは、うつ伏せのまま、ギブギブと、手をバタつかせて訴えた。

「アズサ、それは、あの佐藤タカオ君ですよ」

「ああん? 誰、それ?」

「ほら、幼稚園で、アズサが、キャベツを被せた」

「あー? …………おう、あのタコかっ」

 アズサが、ようやく手を緩めたので、タカオは立ち上がって、ジャージの土を払った。

「アズサ? そうか、お前、谷原アズサか。まだ、カヲルの側に居やがったのか」

「それは、こっちの台詞だ。お前、その年になってまだ、カヲルをいじめるたぁ、進歩のねぇ奴だなっ」

 アズサは、縛られているカヲルの手を解いて、自由にしてやった。

「ありがとう、アズサ」

 カヲルは、手首をさすった。

「くっそー、またお前か。おい、アズサ、知ってるか? 『人の恋路の邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ』って」

「トンチンカンな事言いやがって、俺は、工事の邪魔なんかしてねぇ」

「えーっと、アズサ。工事じゃなくて恋路」

 カヲルが、横から注意する。

「何だ、それ? 美味うまいの?」

「んー、それは、小鯵こあじ

「恋路だよ、恋のみち!」

 要領を得ないアズサに、タカオはブチ切れる。

「お前、ますます、別嬪べっぴんさんになったけど、頭は相変わらずだな」

「お前に言われたかぁない。このキャベツ頭。ん? ……恋? 恋って、誰が、誰に?」

 やっと、話が核心に近付いた。

「俺が、カヲルに、だよっ。だから、お前は邪魔すんなって、言ってんだっ」

「あー、お前、やっぱりキャベツ頭だな。女の浴衣を着ているけど、カヲルは、男だぜ?」

「んなこと、分かってる。幼稚園の時見たし」

「分かってるって、見たって……お前、まさか、系だったのか!」

 絶句したアズサは、ぎこちなくカヲルを振り返った。

「って、こいつが、言っている訳なんだが」

「私は、お断りしますって、ハッキリと言いましたよ」

「……だってさ。キャベツ、分かれ。カヲルの事は諦めろ」

 すると、タカオは、突然、おうおうと声を上げて泣き出した。

 思いがけない展開に、アズサとカヲルは、呆気あっけにとられて、見守った。

「お、おい。キャベ、じゃなくて佐藤?」

「畜生。……俺が、お前みたいに、別嬪さんだったら、カヲルの側に文句無しで居られんのかよぉ? ……幼稚園の入園式で見た、日本人形みたいに綺麗なカヲルが、ずっと気になっていて、……それが初恋だって気付いて、想い続けていたのに。……あれか? 但し、イケメンに限るって奴か?」

 うぐぉ、うぐぉと、不気味なシャクリを上げる。

「あの、佐藤君。私には、心に決めた人が居るので、ごめんなさい。お断りします」

 頭を下げるカヲルの言葉に、佐藤は、一層大きな声で泣き出し、さっき、カヲルの手を縛っていたタオルで、ゴシゴシと豪快に顔を拭いた。

「せっかく、再会出来たのに、速攻で失恋か……」

 タオルでくぐもった声が途絶え、しばしの沈黙があった。

「よし、分かった!」

 当てがったタオルを顔から離すとタカオは言った。

 潔い言葉に、アズサもカヲルも、ほっとして微笑み掛けたが、

「俺、カヲルが好きな奴に振られるまで待つわ」

 続く言葉に、ズッコケた。

「えっと、佐藤君?」

「大丈夫だ、カヲル。俺は、これからもお前一筋だぜ」

 うん、うんと一人でうなずく。立ち直りが早い。

「じゃあ、帰るわ。縛ってごめんな」

 佐藤タカオは、白い歯を西日に輝かせ、すっきりした顔で帰って行った。



「一件落着です?」

 佐藤の後ろ姿が見えなくなるとカヲルは言った。

「……昔から、変な奴だとは思っていたが……やっぱり、変な奴だったな。俺達も行こうぜ。ミッチー達が待ってる」

 そうですねと言って、一歩踏み出したカヲルは、自分が下駄を履き、しかも、下駄の鼻緒が直っている事に気付いた。

 裂いたタオルで、上手に鼻緒にしてあった。

「佐藤君が、鼻緒を……?」

 カヲルは、ちょっと冷淡過ぎたかと、一瞬、心が痛んだが、いやいやと思い直す。情にほだされては駄目だ。ああいう男には、毅然きぜんとした態度で臨まなければ、誤解を招く。

「鼻緒? あれ? それって、あいつのタオルと同じじゃね? なんだ、結構、良い奴じゃないか」

 時代劇だと、鼻緒を直してくれた男に町娘が惚れるパターンだよなと、続ける。

「惚れるかどうかは別にして、鼻緒のお礼、言いそびれました」

「あいつ、本当にカヲルの事、好きなんだな。じゃなきゃ、ブランド物のスポーツタオルを裂いたりなんかしないぜ」

「私には、関係の無い事です」

 そんなことより。カヲルは、胸に引っ掛かっている事を口にした。

「アズサ。さっき、あの、その、私の事を『俺のカヲル』って言ってくれたのは……」

「あ? 俺、そんな事言ったっけ?」

「言いましたよ。一番最初に、『俺のカヲルから離れやがれ』って」

「うーん、そっか。俺のカヲルは、俺のカヲルだよ。それが、どうした?」

「それが、どうしたって、この間、『俺のミッチー』って、ミッチーさんの事も言っていましたよ」

「そ、そうかぁ? うーん」

 アズサは、ミッチーの名前に反応して、ちょっと動揺した。


(この天然ボケ、人たらし)


 カヲルは、心の中で毒付く。

「ああ、あれだ。カヲルとミッチーは同じ匂いがするって言うか」

「同じ匂い?」

「お前、部室で、速水に、俺の事を『お姫様』って話してたじゃん? 俺にしてみれば、お前やミッチーが『お姫様』で、俺が守ってやる『ナイト』って感じかな。ほら、俺、合気道初段持ってるし」

「同じ匂いなんですか、ミッチーさんと」

 十三年間も側に居たのに、つい数か月前に出会ったミッチーと同等とは。

 自覚していないけれど、アズサは間違いなく、限りなく恋に近い気持ちをミッチーに対して抱いている、とカヲルは思う。そのミッチーと同等と言われた事は、喜ぶべきなのだろうか。悲しむべきなのだろうか。

 アズサは、急に黙って考え込んでしまったカヲルの顔を心配そうにのぞき込んだ。

「どうした? 腹でも痛いのか? それとも、俺が来る前に、あいつに何かされちゃったとか?」

「どっちも違いますっ。そんな訳ないでしょ!」

「何怒ってんだ? カヲル」

 自分を置いて、ずんずん歩いて行ってしまうカヲルに、アズサは当惑した。

「カヲル、おい、カヲル」

 アズサの声に、カヲルは立ち止って、振り向いた。

「何です?」

 目が、ちょっと怖い。

 一瞬ビビりそうになったが、アズサは話し出した。

「『俺のカヲル』って言ったのを、怒ってんのか? お前とは、幼稚園の時から、ずっと一緒だっただろ。俺もお前も一人っ子だから、兄弟みたいでさ。でも、兄弟っていうと、どっちかが上で、どっちかが下じゃん? そんなの嫌だから、兄弟じゃなくて、『俺のカヲル』。――他に言いようがねぇんだよ」

「じゃあ、『俺のミッチー』は?」

「それが、実は、俺もよく分からねぇんだ。『俺の』って言っても、俺のじゃねぇし。ミッチーには、速水が居るしな。でも、俺の中でミッチーは、『俺の』なんだ」


(もう、このアンポンタンのにぶチンが)


 カヲルは、アズサの天然さに、盛大に溜め息を吐いた。

 友達でも、兄弟でもなく、『俺のカヲル』なのだから、良しとしますか。一緒に過ごした十三年間が、揺らぐ訳ではありませんね。 

「そうですか。何にも怒っていませんよ。佐藤タカオ君の事を、していただけです」

「思い出し笑いってのは、聞いた事あるけど、思い出し怒りって、初めて聞いたぜ」

「細かい事は良いんです」

「そうだ。さっき、お前、心に決めた奴がいるって言っていたけど、誰なんだ? 俺の知っている奴か?」

 無邪気に訊ねるアズサを置いて、カヲルは、再びすたすたと歩いて行く。

「カヲル、怒ってないって言ったじゃん」

「怒ってません!」

 前を向いたまま答える。


 タカオが、男のカヲルを好きだと言った事に、思いっきり驚いていたアズサは、自分も男のミッチーに恋している事に気付いていない。

 幼い頃から『女の子みたいに可愛い』ことで嫌な思いをして来たアズサは、殊更ことさら『男』を強調する為に、汚い言葉を使ったり、好きでもない女の子達と恋愛ごっこをしたりしていた。

 そばで、つぶさに見守って来た者としては、アズサが、見せ掛けではない本当の恋をしつつあるのは、喜んであげるべきだと思うが、一抹の寂しさを禁じ得ない。


 実は、カヲルも、自分の気持ちがよく分からないのだ。幼稚園の時に、女の子と間違えて声を掛けた時から、ずっと、アズサに魅かれている。自分は、アズサの何に魅かれているのだろう。

 奇跡のように端正で優美な容姿は、それだけで、憧れの対象ではある。が、それだけではない。本来は、誇ったり、おごったりするような容姿が、アズサにとっては、コンプレックスであり、乗り越えなければならない障害だった。

 天の恩恵に甘えない潔さと、鬱々うつうつと思い悩まずに、立ち向かおうとする、きつい光を放つ明るさと無邪気さ。それが、胸がすく程、格好良い。

『男が男に惚れる』という言葉が昔からある。勿論、恋愛感情に限った話ではない。

 尊敬し憧憬し、心酔する事を『惚れる』と言う。    

 タカオのように、簡単に自分の感情に名前が付けられれば良いと思う。名前が付けば、自分の求めているものも見えて来る。だが、自分のアズサに対する気持ちは、タカオの自分に対する気持ちとは、どこか違う気がしている。

 いつも側に居たい、全てを見ていたい。

 好んで男が好きな訳ではなく、アズサを見ていたい。『惚れる』事と『恋する』事の境は、どこにあるのだろうか。確固としているようでもあり、易々やすやすと越えてしまえそうな気もする。

 そして、自分の気持ちは、どの辺りにあるのだろう。不確かで流動的だが、これだけはハッキリと言える。アズサについて行きたい。

「おい、カヲル、待てよ」

 追い付いたアズサに、カヲルは微笑んだ。

「アズサに、ついて行きます!」

「あ? お前、俺の前を歩いてんじゃん」

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