第6話

 仕事を終え、駅に向かう途中の桜並木で、私は立ち止まった。支店を出てからずっと北川凍矢が私のあとについてくる。私が歩みを止めると立ち止まり、私が歩き出すと歩き出す。揶揄うのもいい加減にしてほしい。


 私は振り返り言い放った。


「ついて来ないでください」


 北川凍矢はきょとんとして何も言わない。口には仕事中我慢して吸わなかった煙草をくわえていた。


「嫌がってるのにしつこくついてくるなんて迷惑です! そういうの、なんていうか知ってますか?」

「呪縛霊?」

「違います……。ストーカーって言うんです!」

「ああ、そっち」

 北川凍矢は煙草を指で挟んで最後の一服を吸い、ため息とともに吐く。煙が夜気に溶けていく。遅咲きの桜の花びらがちらちらと舞い落ちるのを見ながら、胸ポケットから取り出したシリンダー型の携帯灰皿に煙草を押し付けて、北川凍矢は聞いた。


「じゃあ、なんで怒ってるのか、教えて」


 私は羞恥心で赤くなる。私が怒っている理由。そんなの言えるわけがない。また自意識過剰だって笑われるだけ。怒るのは理不尽だってわかってる。ただの私の勘違い。とんでもない勘違い。北川凍矢が私を守るために来てくれたんだと思ってしまった。私のことが好きなんだと思ってしまった。こんな、意地悪だけが取り柄みたいな男が、そんなことするなんてあり得ないのに。普通に考えれば分かるのに。勘違いした自分が恥ずかしい。


 何も答えない私に、北川凍矢は仕方なさそうに言った。

「俺が異動を希望したのは、きっかり二年前だよ」

 この人は急に何を言い出すんだろう。

「当月の業績は翌月の初日に発表される」

「そうですね。それがなにか」

「気付かないかな。君がこっちで上手くやれるかやれないかなんて、四月の段階で俺に分かるはずがないんだ。それなのに俺は四月に異動願を出した。その時、俺が何を考えていたと思う?」

「そんなの……わかるわけないじゃないですか」

「君に除霊を教えるなんて建前だよ。俺は君が異動になったと知って最初カチンときたんだ。俺なしでやってけんのかよって。イライラして、それが過ぎたら、今度は落ち着かなくなった。心配で、絶対怖い思いするだろう、泣きながら仕事するんだろう、最悪憑かれちまったらどうしよう、俺が傍にいればって、ずっとそればかり考えていたんだ。それってなんていうか、知ってる?」


 いつもは相手が何か言う前に自分で答えを言う北川凍矢が、口をつぐんで私をじっと見詰める。私には自信がなかった。また馬鹿にされるかもしれない。違っていたら恥ずかしい。でも、今のはそういう意味にしか聞こえない。違っているかもしれないけれど、私はそっと答えを口にした。


「それは……恋……ですか?」


 北川凍矢は苦笑して頭をかいた。

 それから姿勢を正して真剣な眼差しを私に向ける。


「南川雪穂さん、好きです。俺に君を守らせて」


 涙がこみあげてきて、スプリングコートの袖で拭う。


 いつも意地悪なことばっかり言うくせに、こんなの、卑怯だ――。


「はい」と答えるしか、ないじゃない。




『内見は北川さんと一緒に。』


   了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

内見は北川さんと一緒に。 あしわらん @ashiwaran

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ