第5話


 親子は入居を決め、支店の個室で手続きをした。私は何事もなかったかのように契約が取れた。


 親子が帰ったあと北川凍矢は椅子の背もたれに寄りかかり、珈琲を口に含んで嘆息する。


「君にはがっかりだよ」


 何も言い返せない。契約は取れたが、内見の時の自分の行動にはいいわけができない。しかし、北川凍矢の意図したのはそのことではなかった。

「あんな物件、君はあのまま貸すつもりだったのか?」

「あんな物件……?」

 私はとぼけた。北川凍矢が何の話をしているのか定かではなかったからだ。ゴキブリに似た床の木目があるということかもしれない。あるいは――


 北川凍矢は珈琲カップをデスクに置いて頬杖をつく。

 呆れた顔を向け、薄茶色のきれいな瞳で私を捉える。


「君、見えるでしょ」


 体が硬直した。目を見開いたまま視線を外せない。なんて答えたらいいのか。見えるとは幽霊が見えることを指しているのか。まさか。もしそんなものが見えると言ったら、また笑われるのではないか。


「俺相手に隠さなくていいよ。こっちに来てからの業績が悪いのもそのせいなんだろ?」

「……それじゃ、本店にいたころ私が普通に契約を取れていたことの説明がつきません」

 私はやっとのことで質問を回避する。

「そうきたか。じゃあさ、君が本店で普通に仕事ができていたのは何故だと思う?」

「それは……」


 本店で扱う物件は良かったから。変なものを見たのは最初の一件だけで、他の物件では何も見なかった。


 北川凍矢は私を値踏みするみたいに観察して質問を変えた。


「それじゃあさ、今日君は珍しく契約が取れたわけだけど、昨日までと何が違った?」


「今日は北川さんがいました」


「その通り。どうやら君は、俺がついているときだけ人並みに仕事ができるみたいだね。本当、どうしてだろうね」


 こんな意地悪な質問、相手にする必要なんてないのに、無視することができなかった。


 本店で見たのは最初の一度だけ。そのあと見ることがなくなった。今回のアパートでは、下見の時に見たモノが、北川凍矢と内見した時には消えていた。それはつまり――


「もしかして、北川さんが祓ってくれていたんですか? 今日も、本店にいた頃も」


 なんでそんなことを? 私を心配したから? 本店を捨ててこんな辺鄙なところへ来たのも、私が怖い目に遭うのを防ぐために、わざわざ二年かけてこっちへ来たってこと? それってもしかして私のこと……


「やっと気づいたか、間抜け」


 私は顔が熱くなるのを感じた。


 北川凍矢は頬杖を解いて背もたれに寄りかかり語り始めた。


「北川家は元々そういう家系でね。代々祓い屋をやってるんだ。俺がこの業界に就職したのもその関係で。不動産とか建築って、そういうのと切っても切れない業界でさ。たとえ本気で信じてなくても無視できないんだよね。

 中でもうちの会社って信心深くて、普通の営業課の中に隠れてお祓い係みたいなシマがあるんだ。俺もその一人というわけ。

 君はお祓い傭員で採用されたわけじゃないけど、たまたま俺が面倒見ることになった。最初の物件に連れて行った時、君の奇妙な行動を見て、『ああ、この子見える子なんだな』ってすぐに分かったよ。だからそれ以来、君にまわす物件は俺がものばかりを与えていたのに、その恩も知らずに一年で逃げ出すなんて。

 案の定こっちでの業績は最悪。俺は珍しく責任を感じたね。ちゃんと教えておけばよかったって。

 だから、むこうで三年かかる仕事を二年で終えて一年間の猶予を得た。どんなにセンスがなくても自分の身を守る程度なら一年あれば十分仕込める。俺がここに来たのには目的があるって言っただろ?」


 話の途中から段々嫌な予感はしていた。話が終盤に向かい残すは結論のみとなった今、いくら鈍感な私でも北川凍矢の目的というのが何なのか分かった。それは私が思ったような甘ったるい理由ではまったくない。


 北川凍矢は私の顔を覗き込んで言った。


「一年で君に除霊を教える。そのために俺はここに来たんだ」


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