第十三話『花言葉隠し』

『買い忘れ』一人で物思いに耽っていると、そういう事が起きるから困る。

 昨日は炎天下の絵達といい、ココの話といい、色々な事があったからか、少し気持ちがセンチになっていたのかもしれない。センチなんて今の若者は言うだろうかと思いながら、俺は少し曇り空の屋上で溜息をついた。

 何となく眠れずに、手巻きを数本作って空の煙草ケースに入れておいたのが、若干幸いしていた。

 それもまた、きっと物思いの弊害なのだ。普段は紙煙草だから買えばケースがある。だけれど手巻き煙草はケース自体が存在しない為、煙草ケース自体を持ち歩かなければいけない。


 その煙草ケースも、亡くなった婚約者、日晴ひなりのプレゼントだったから。


相変わらず俺は手巻き煙草の味があまり好きでは無い。銘柄は銘柄として、好きなものを吸うべきだ。

 とはいえそこらへんも物臭なせいで、選びぬけば自分に合ったものも見つかるのだろうけれど、それを見つける前に、日晴ひなりは亡くなった。


 ヒバ用に買った冷感タオルはちゃんと持ってきていて、もっと言えば少し早く家を出てクールリングの確認なんかもしていたというのに、こと自分については適当で仕方がない。

「あー、時計はしてる癖に、煙草買うくらい習慣化しねぇもんかなぁ」

 一人でゴチていると、昼休みの鐘が鳴った。珍しいというか、それが当然なのだが、今日は二人ともちゃんと鐘の後に来るようで少し安心した。

「高校生らしく、な。孤独を生きるのは怠いぞ」

 俺には友という友がいない。要は歪んでいたのだ、絵だけで良いと思っていたから。ボールが友達なんていうサッカー漫画があったが、俺にとっては絵が友達。ただし、サッカーはチームプレイだが、絵を描くという行為はスタンドプレイどころか、自分自身との向き合い、一人の戦いだ。

 それだけと向き合っていたのに、日晴ひなりは俺を見つけて陽の下に連れ出してくれた。それが奇跡みたいなものだったのだと、今では思っている。

 絵の事が良く分からないのに、どうしてか俺を好きになってくれたたった一人の、友達のような、恋人のような、かけがえのなかった人。

 俺にとっては彼女くらいのものだった。友達は若い頃からいなかった。当時はそれで構わなかったが、それじゃ駄目なのだろうなというのは、大人になってから気付く。

 兄貴の紹介で日晴ひなりと出会わなければ、俺は生涯孤独に絵を描いていたかもしれない。

 ただ、今という現状が、孤独なのは違いないのかもしれないが、それでも少しだけ、光明みたいな奴らが、もうすぐ屋上のドアを開けてやってくる。


――友達だとは、思わないさ。

 そんな事を思っていると、ピロリとスマートフォンが鳴る。


『お疲れ様です。次っていつ会えます?』

『会う必要あるかなぁ、言いたい事は大体言ったつもりだけどな』

『つめたっ! 責任取ってくださいよ責任! 師匠!』

 ココからのメッセージだった。仏の顔よりも早く文面が彼女らしくなっていて、少し笑った。


――友達だとは、思えないさ。

『次、お前が少しでも満足出来る絵が描けたら、行くよ』

 そうメッセージを返すと、既読マークがついたままメッセージは途絶えた。

 アイツなら、もし家にいるならもうスマホを置いて絵を描き始めているだろう、そういうストイックなヤツだってのは、なんとなく昨日見ただけで分かっていた。大学にちゃんと行けているのかというのは、俺が関わる事では無いから、言及はしないで良い、なんせ彼女は生徒じゃあないのだから。


 俺は少し顔を顰めながら、手巻き煙草を吹かす。

 絵なんて精密な作業をしている癖に、こういう作業はあまり得意じゃなく、不格好なそれは肺まで入れると少し咽るし、ニコチンを摂取しすぎる。それでも少しだけクラリとしていると、屋上のドアがガチャと開いて、今日もハヤが先に入ってきた。


「お疲れ様です……あれ、いつもと匂い、違いますね」

 この歳で他の女性の匂いを嗅ぎつける能力でも持っているのかと焦るが、おそらく煙草の匂いの事だろう。普段吸う銘柄は、はっきり言って癖の強い銘柄だから副流煙としてもあまり好まれない。だからこその買い忘れでもある。コンビニに売っている物でも無いから、ふと気付くのが遅れた。

「あぁ……今日のは、これ」

 俺は口に煙草を咥えたまま、ポケットから煙草ケースを取り出してハヤに手渡す。彼女は不思議そうにそのケースを見てから、そのケースを開いて小さく笑った。不格好な手巻き煙草が並んでいたからだろう。

「手作り……ですか?」

「ん、下手クソだけどな、いつものは買い忘れ」

 言うと改めて、彼女はクスっと笑う。

「不格好ですね、先生らしい。この可愛いケースも含めて」

 確かに、銀色の金属ケースの表面には細かく花の意匠が施されていた。

 少しお高いブランドだったはず、俺が持つには少々お洒落で、見た目としても女性用として使ってもいいくらいの物だ。とはいえ日晴ひなりは非喫煙者だったが。

「何の花、だったかな」

 その花はなんだったか、思い出したいような、忘れていたいような、そんな気持ちで、彼女から煙草ケースを受け取る。

「自分で思い出すのが大事かもしれないですね?」

 彼女はその花の名前を知っていたらしい。不格好な手巻き煙草も、似合わない花の煙草ケースも、俺らしいといえば俺らしいのかもしれないと思い、少し誤魔化し気味に煙草を小さく吸い込んで、ハヤの方とは逆の方を向いて煙草の煙を吐いた。

「ふふ、その匂いはそんなに嫌じゃないですよ」


――驚いた、珍しく、珍しくとても機嫌が良い。

 昨日あんな事があったからか、少しへこんでいるくらいだと思っていたが、そんな事は無く、しっかり切り替えられていた上に、いつもより少し優しげな彼女に、逆に俺が驚いて咽てしまった。

「あんま、美味しくないんだけどな」

「そりゃあまぁ、そうでしょ。身体に良くないですよ?」

 その言葉が一瞬、日晴ひなりと重なって、少し俺は目を擦る。

 あの子も、『煙草は身体に良くないよー?』なんて言いながら、煙草を吸う俺をニコニコ笑いながら見ていたのだ。

「良くないもんに頼って生きんのが駄目な大人なの。貰い物の癖に花の名前も思い出せないしな」

「貰い物、ですか。先生もそういう……」

 何とも胡散臭そうに見られている気がするが、事実は事実だ。だから俺は笑って答える。

「あぁ、むかーしな」

「ふーん……素敵な人だったんでしょーね。なのに花の名前を覚えて無いなんて……これだから先生はなぁ」

 それほど大事な花なのだろうか。確か聞き覚えの無い花の名前だった気がするのだ。

 そこらへんに生えているかと言われるとそんな事も無いような。でも小さな花が、ちょこちょこと可愛らしく咲いている。

「じゃあ、ヒントあげましょっか。花言葉」

「んー、俺じゃ絶対分からんからな。頼む」

 俺は咥えていた煙草を消して、改めて煙草ケースを彼女に手渡す。流石というべきか、花も沢山描いてきたのだろう。そうして彼女の性格を考えたなら、花言葉すら理解した上で表現をするはずだ。

「簡単に見て分かるもんか? 色も無いだろ?」

「描いた事あるんです。だから知ってたなら大体分かりますよ。だって私達は色を創る人ですよ?」

 それもそうか、と思いながら、煙草ケースを眺めている彼女の目が優しげになっているのを見ていた。

「でも、流石に一発で分かるのは盛っちゃったかも、今ちょっとだけ二択で迷ってます。でも……私ならこっちを選びますかね。恋人だったんですもんね?」

 言ってもいないのに見抜かれる、のはまぁ当然か。

「あぁ……まぁな。婚約者だった。ちなみに花の名前に覚えはあんまり無いぞ。わかりにくかった気がする」

「だったら胡蝶蘭じゃないですね……。ん、分かりました」

 あえて婚約者だという事に触れないあたり、ハヤも空気を読んでくれたようだ。

 流石に死別したと言うか迷って、少しぼやかした。別れたくらいに思ったのかもしれない。

「ちなみに、胡蝶蘭の花言葉は『純粋な愛』だとか『幸福が飛んでくる』みたいな。そんな感じでした。だからそっちではないかもです」

「あぁー……純粋な愛はあったかもしれんけど、幸福は飛んでいったな」

 純粋な愛なんて気障ったらしい台詞を吐いた俺に、彼女は少し不思議そうな顔をしてから、もう一つの花言葉を告げる。

「もう一個の方は、確かに分かりづらい花ですね。花言葉は『貴方に出会えて良かった』ですね。しっくり来ます?」


――貴方に出会えて良かった

 この花の名前を知る必要が、今無くなった。

「あぁ……あぁ、彼女らしいや」

 思わず、苦笑してしまっていた。花の名前こそ教えてもらったけれど、花言葉まで教えてくれるような子では無かった。どこか不思議な雰囲気を常に纏っていて、結局俺は数年の付き合いで彼女の事をどれだけ理解出来ていたか、分からなかった。

「口に出すのも野暮ってもんなのかなぁ、そういうの」

「そういうものなのかもしれませんね。私はハッキリ言いますけど。先生は出会えて良かったですか?」

 確かに、ハッキリ言うもんだと思いながら、絵の準備もせずに、立ち話をする時間が少し嬉しかった。


 ハヤはあまり人に興味が無いように思えていたからだ。冷たい印象というよりかは、あえて冷たくしているような印象。興味が無いわけではないけれど、あえて興味を持たないようにしている印象。

「そーだな、出会えて良かったよ。お前らともな」

 ヒバが恐る恐る扉からこちらを見ているのに、気付きながら俺は笑った。

「聞いてたの?! いつから?! 先生も言ってくださいよ! ほんとそういう!」

「まぁ聞かれて困る話でも無いだろ? なぁヒバ」

 気まずそうにヒバはこちらに寄ってくる。

「んー、なんか難しそうな話してっからさ。邪魔かなーって。センセに彼女いたのはびっくりだけど」

「あ! ヒバ……!」

 ハヤが焦ったように話半分くらいで聞いていたであろうヒバの言葉に反応する。彼女はおそらく俺と日晴ヒナリが別れたと思っているのだろう。それは確かに間違いは無い。別れては、いる。

「あぁ、大丈夫。振られちゃいないさ。こんな良い男に『出会えてよかった』だぞ? ベタ惚れだったつーの!」

「でも指輪が……」

「しない主義、ってのもなんか嘘で嫌だな。アイツは、まぁ事故だったんだよ」

 二人が気まずそうな顔になる。これは俺の我儘な告白だ。

 だけれど、なんだか嘘を吐くのが後ろめたかった。それが必要な嘘だとしても。

「だーいぶ前の話だよ。気にすんな。それに、花言葉が分かったからな」

「それでも、出会えて良かったって、思えるんですか?」

 ハヤが真剣な顔で聞いてくる。ハッキリ言うタイプ、疑問は残さない。俺が我儘を言ったんだ、それに向き合って乗っかったなら、話すのが道理。


――きっと、彼女は本当に疑問として、聞いているのだから。

「あぁ、それでもだ。それでも出会えて良かったんだよ」

「俺もセンセと出会えて良かったぞ! で、その花の名前は? 俺にもケース見せてくれよ!」

 あえてヒバが茶々を入れる、これは彼なりの処世術で、空気を読まない空気の読み方。

「ほれ、ちょっとボロっちいだろ? 良いもんだったけど、流石に古い。花の名前は内緒、だろ?」

「ええ、内緒です。それにきっと、大事なのは……」

 それに自分で気付けたのが、嬉しかった。

「あぁ、大事なのはお前が教えてくれた方だよ。でも花の名前は、いつか思い出さなきゃな」

 そう言って、ハヤにそっと笑いかけた。


「……ありがとな」

「……誰に言ったんです?」

「さぁ……誰だかね」


 ハヤはヒバが持っている煙草ケースを見てから、また小さく笑って、俺に背を向けた。ヒバも煙草ケースをおそるおそる触って、中身を見ると笑っていた。

「ガタガタでセンセーらしーな!」

「それ、ハヤにも言われたよ。巻いたのも久々だったしな、まぁ元々上手くも無かったけど」

「でもいつものよりかっけーな、大人になったら俺も……」

「やめとけやめとけ、お前の苛立ちは絵にぶつけろ。煙草にも酒にも逃げんなよ? ほら準備準備!」

 たまには、こういうちょっとした雑談があっても良い。

 絵を描く事が全てじゃない。いつもと違う煙草の匂いも、花の意匠の銀製タバコケースも、花言葉の意味も、大人の寂れた悲恋の欠片も、二人にとってはきっと、大事な糧になる。

 

 それから俺は二人の準備を手伝ってから、今日の絵はどんなのになるのかと思いながら、花言葉から花の名前をスマホで調べていた。

「そっか、知らん名前だわな」


『ハーデンベルギア』聞いたことも無い名前だった。

 もしかしたら花の名前さえ教えてもらっていなかったのかもしれない。


――だってきっと、教えてもらっていたら俺も花言葉を調べていただろうから。

 そこまで見抜かれていたのかもしれないなと思って、俺は煙草を一本手に取って、太陽にかざした。

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