第十三話『花言葉隠し』

 手巻き煙草で充分すぎる程のニコチンを取って眠ったからか、昨日の一連の騒動があまりにも衝撃的だったのか、あろうことか、学校への行きがけに市販の紙煙草を買うのを忘れていた事に、屋上で気付く。

 昨日のように一人でひたすら物思いに耽っていると、そういう事が起きるから困ったものだ。

 結局昨日はよく眠る事も出来なければ、日晴ヒナリが夢に出てくる事も無かった。


 あの、ハヤヒバが描いた炎天下の絵達といい、ココに纏わる色んなの話といい、帰ってきてからの物思いといい、どれを原因にしていいのか分からない程に、感情が揺れる沢山の事があったからか、少し気持ちがセンチになっていたのかもしれない。

 センチなんて今の若者は言うだろうかと思いながら、俺は少し曇り空の屋上で欠伸をしながら、ポケットにある金属の感触を確かめる。


 早く起きてしまった事と、昨日の事を思い出して、少しだけ手巻き煙草を作って空の煙草ケースに入れておいて、何となくポケットに入れたのが、若干幸いした。マズくてもニコチンは摂取出来る。

 金属で出来たケースは、市販の紙煙草を同じく紙で出来たケースから移し替えてお洒落に使う事もあれば、ケースが存在しない手巻き煙草の収納先にもなる。

 これもまた、きっと物思いのせい。市販の紙煙草を買い忘れこそしたが、昨日の物思いがなければ、手巻き煙草のケースをポケットに入れる事も無かっただろう。

 何故なら、この煙草ケースも、亡くなった婚約者――日晴ひなりからのプレゼントだったから。幸か不幸か悩ましいが、些細な事ではあった。


 ポケットから取り出した、十本程の煙草が入る幅で、横開きになっている銀色の煙草ケースは、錆びないように丁寧に扱っていたからか、未だに綺麗に太陽の光を浴びて輝いている。


 普段は紙煙草だから買えばケースがある。だけれど手巻き煙草はケース自体が存在しない為、煙草ケース自体を持ち歩かなければいけない。もっぱら俺が手巻き煙草を吸うのは家だったが、それでもと彼女がプレゼントしてくれた物だ。


 俺はやはり、今になっても手巻き煙草の味があまり好きでは無い。俺が吸い始めていた十年近く前よりも銘柄が増えて、好む人も増えてきたものの、俺が使っているのは当時の銘柄だ。好みの物を探す事も出来たけれど、それは『彼女が好きだった匂い』を変えるような気がして、不味いと想いながらも手巻き煙草だけは巻く為の葉の銘柄を変える事が無かった。紙煙草は、雑に吸っている。


 自分の買い物は忘れている癖に、ヒバ用に買っておいた冷感タオルはちゃんと持ってきていて、もっと言えば起きたのも早かったから家も少し早く出て、倉庫の冷蔵庫でクールリングがちゃんと冷えているか確認なんかもしていたというのに、こと自分については適当で仕方がない。

「……時計はしてきてる癖にな」

 一人でゴチていると、昼休みの鐘が鳴った。

 今日は珍しいというか、それが当然なのだが、二人ともちゃんと鐘の後に来るようで少し安心した。

「高校生らしくしてもらわなきゃな。孤独を生きるのは、楽だが怠い……」

 俺には、友達といえるような間柄の人間がいない。

 要は、若い頃の俺は荒れていたというか。誰も自分に近づいて欲しくないと思っていた。完全に、絵だけと向き合って、人間とは心のバリケードを張っていた。二十歳くらいで愛想笑いくらいは覚えたが、それでもその愛想笑いで大体の誘いを断ってきた。


 それで良いと、思っていた。

『ボールが友達』なんていうサッカー漫画があったが、俺にとっては絵が友達。

 そもそも、サッカーはチームプレイだが、絵を描くという行為はスタンドプレイどころか、自分自身との向き合い、一人の戦いだ。

 それだけと向き合っていたのに、日晴ひなりは図々しくも、有り難くも、不思議にも、俺を見つけて、無理やりに陽の下に連れ出してくれた。それが奇跡みたいなものだったのだと、今では思っている。

 絵描きの事を良く知らずに、どうしてか俺を好きになってくれたたった一人の、友達のような、恋人のような、かけがえのなかった人。

 俺にとっての人間関係は、家族と彼女くらいのものだった。

 当時はそれでも構わなかったが、それじゃ駄目なのだろうなというのは、ちゃんと大人になってから気付く。

 あの美術館で日晴ひなりと出会わなければ、俺は未だに、生涯孤独なまま絵を描いていたかもしれない。

 それが幸だったか不幸だったか。

 会わずに絵と心中するべきだったか、それとも会って今のように落ちぶれるべきだったか。それは『たられば』の話で、それでいて些細な事ではないけれど、両方を含んでいるからこそ、複雑な事は間違い無かった。煙草の種類なんて、笑い飛ばせる程度には、問題が違う。


 ただ、今という現状が、孤独なのはどうかは、いまいち分からない。ハヤもヒバも、決して友達では無いだろう。此処もまた、そうだ。

 それでも少しだけ、俺に取っての光明みたいな奴らが、もうすぐ屋上のドアを開けてやってくる。


――友達だなんて、思えないさ。

 そんな事を思っていると、ピロリとスマートフォンが鳴る。


『お疲れ様です。次っていつ会えます?』

『会う必要あるか? 言いたい事は大体言ったつもりだけど』

『つめたっ! 責任取ってくださいよ責任! 師匠!』

 ココからのメッセージだった。絵文字が何となく散りばめられているあたり、文面が彼女らしくなっていて、少し笑った……今の若い子はビックリマークを絵文字で使うんだな。


――それでも、友達だとは、思えないさ。

『次に、お前が少しでも満足出来る絵が描けたら、行くよ』

 そうメッセージを返すと、既読マークがついたままメッセージは途絶えた。

 こう言葉を送れば、アイツが今もし家にいるならば、もうスマホを置いて絵を描く準備を始めているだろう。

 そういうストイックで、猪突猛進なヤツだってのは、なんとなく昨日の一件だけで分かっていた。

 大学にちゃんと行けているのかというのは、俺が関わる事では無いから、言及はしないで良い、なんせ彼女は生徒じゃないのだから。画家としての生き方は変えたかもしれないが、彼女も一人の大人、道を示すなんてのは野暮だろう。そもそも俺自身が、ハヤヒバ以上の歳の子に大人の何たるかを説ける程、ロクな大人じゃない。


 俺は少し顔を顰めながら、手巻き煙草を吸う。

 一応は酒も抜けて、眠って体力も回復した後に巻いた煙草だったが、やっぱりあの作業はあまり得意ではなく、不格好なそれは肺まで入れると少し咽るし、ニコチンを摂取しすぎる。

 その強さに少しだけクラリとしていると、屋上のドアがガチャと開いて、今日もハヤが先に入ってきた。


「お疲れ様です。……あれ? 先生、いつもと匂い違いますね」

 まさか、この歳で他の女性の匂いを嗅ぎつける能力でも持っているのか? と少し焦るが、そんなはずはなく。

 きっとハヤが言ったのは煙草の匂いの事だろう。普段吸う銘柄は、なかなかに癖の強い銘柄だから、副流煙としてもあまり好まれない。

 だからこその買い忘れでもある。そうそうコンビニに売っている物でも無いから、ふと気付くのが遅れた。

「あぁ……今日のはいつもと違うんだ」

 俺は口に煙草を咥えたまま、ポケットにしまい直していた煙草ケースをもう一度取り出して、不思議そうな顔のハヤに手渡す。彼女はオズオズとそのケースを手に取って、目で開けてもいいかと視線を送る。それに頷くと、彼女はケースをパカリと開いて、小さく笑った。きっと、不格好な手巻き煙草が並んでいたからだろう。

「これって、手作り……ですか?」

「ん、笑っちゃうくらい下手クソだろ。いつものは買い忘れ」

 言うと改めて、彼女はクスっと笑う。

「確かに不格好ですね、普段の先生らしいけれど、絵を描くという意味では、先生らしくない。それに、この可愛らしいケースも先生らしくないです」

 その、花の意匠を『可愛らしい』と表するあたり、少しだけ年の差を感じた。俺みたいな大人はもう、貰った時にはハイブランド的で高い物を悪いなと思っていたし、綺麗で粋な贈り物として捉えていたけれど、純粋に見た時には、確かに『可愛らしい』とも思えるか。

 確かにこれは、俺には少し似つかわしくないかもしれないが、それでもやはり、大人が持てば様にはなる程度に、しっかりとした作りの物だと思った。

 銀色の金属ケースの表面に、細かい花の意匠。主張しすぎないように色はつけられていなく、その金属の凹凸で意匠を表現していた。

 確か、日晴ヒナリは少しお高いブランドだったと言っていたはず、値段こそ調べなかったが、あの当時の俺が持つには少々お洒落で、今の俺が使うには、確かに似つかわしくない。

 

 見た目としても女性用として使ってもいいくらいの物だ。とはいえ日晴ひなりは非喫煙者だったが。

「可愛い、か。確かに花模様だもんな」

「珍しい花ですよね」

 その花はなんだっただろうか、思い出したいような、忘れていたいような、それとも教えてもらってすらいないような、日晴ヒナリと一緒に、思い出も薄くさせようとしているのかもしれない。勿論ブランド名だって忘れている。

彼女から煙草ケースを受け取って、俺は煙草を携帯灰皿に押し付けながら、ケース全体に咲いている花を見る。

「それがさ、花の名前は知らないんだ」

「そこは先生らしいですね。でもそれ、きっと貰い物ですよね? 自分で思い出すのが大事かもしれないですよ?」

 ハヤはその花の名前を知っていたらしい。

 不格好な手巻き煙草も、俺には似合わない花が咲いている煙草ケースも、花の名前を知らない事で、やっと俺らしさに寄っていく。不思議なものだ。

「確かに貰い物だけど、貰ったのも随分前だからなぁ……」

「それでも、ですよ。花をモチーフにした贈り物って、結構悩むもんなんですから……まぁ私はそういうのを贈った事ないですけど……」

 そういう俺らしいといえば俺らしいのかもしれないし、ハヤらしいと言えばハヤらしい。

 少し誤魔化し気味に、煙草ケースからもう一本煙草を取り出して、ハヤの方とは逆の方を向いて火を付け、煙草の煙を吐いた。

「ふふ、そんなに気を遣ってもらわなくても、その匂いはそんなに嫌じゃないですよ」

 その言葉に、一瞬心臓がドクンと、悪い意味で高鳴った。


――二人が重なる事はない。けれどその言葉が、心を刺激しないわけもない。

 偶然もあるものだ、と無理やり自分を納得させて、俺は鼻歌混じりで準備を始めるハヤの後ろ姿を見る。


 色々と驚いた。彼女は今日、珍しく、とても珍しく機嫌が良い。

 昨日あんな事があったからか、少しへこんでいるくらいだと思っていたが、そんな事は無く、しっかりと気持ちを切り替えられていた上に、いつもより少し優しげな彼女に、逆に俺が驚いて咽てしまった。

「これ、あんま美味しくないんだけどなぁ」

「そりゃあまぁ、そうですよ。何にせよ身体に良くないですよ?」

 その言葉は、まだよくある言葉だから心臓は高鳴らずに済んだ。


 ただ、日晴ひなりも『煙草は身体に良くないよー?』なんて言いながら、煙草を吸う俺をニコニコ笑いながら見ていたのを覚えている。

「良くないもんに頼って生きんのが駄目な大人なんだよ。貰い物の癖に、花の名前も思い出せないしな。」

「しかし花柄の意匠がついた貰い物、ですか。先生にもそういう……」

 何とも怪訝そうな目で見られているような気がするが、事実は事実だ。だから俺は笑って答える。

「あぁ、むかーしな」

「ふーん……素敵な人だったんでしょうね。なのに花の名前を覚えて無いなんて……これだから先生はなぁ……」

 それほどに大事な花なのだろうか。聞き覚えの無い花の名前だった気がするのだ。ケースを改めて見て、そこらへんに生えているかと言われるとそんな事も無いような気がする。

 小さな花がちょこちょこと可愛らしく咲いている。銀色だから俺でも持てるが、色が付いていたら本当に俺にはそぐわないだろう。お洒落な男性には似合うだろうが。

「じゃあ、ヒントあげましょっか。花言葉」

「んー、多分俺じゃあ絶対分からんからな。頼む」

 俺は咥えていた煙草を消して、改めて煙草ケースを彼女に手渡した。

 意匠の花を見ただけで種類が分かるのも、流石という他無い。きっとハヤは花も物凄く沢山描いてきたのだろう。そうして彼女の性格を考えたなら、花言葉すら理解した上で、心を込めて絵を表現をするはずだ。

「しかし、簡単に見て分かるもんか? 色も無いだろ?」

「描いた事がありますしね。だからこのくらいハッキリ特徴があれば、分かりますよ。色だって見えてきます」

 それもそうか、と思いながら、煙草ケースを眺めている彼女の目が優しげになっているのを見ていた。

「でも、そんな事を言った手前少し恥ずかしいですが、改めて今は、二択まで絞って少しだけ迷ってます。でも……私ならこっちを選びますかね。きっと、先生の大事な人からの贈り物、だったんですもんね?」

 言ってもいないのに見抜かれる。俺の反応を見て、贈り物の用途と、その高級さと柄を見れば、少なくとも友人以上の間柄の贈り物だということは分かるはずだ。だから簡単に答えを話した。


「あぁ……まぁ、な。元婚約者だった人からの贈り物だよ。ちなみに花の名前は本当に覚えてない。教えてすら貰えなかったかもしれないな」

「こっそりとでも調べておくって事をするのが良い男の人だと思うんですけどね……。でも……恋人さんからの貰い物だったら、胡蝶蘭も有り得るけれど……。ん……多分ですけど、分かりました」

 あえて『元』婚約者だという事に触れないあたり、ハヤも空気を読んでくれたようだ。

 流石に俺も、死別したとは言わなかった。あえて、振られでもしたような感じで、口調を少しぼやかした。だからこそ、ハヤは俺とその『恋人さん』が別れたくらいに思ったのかもしれない。

「ちなみに、私が迷った二つのうちの一つ『胡蝶蘭』の花言葉は『純粋な愛』だとか『幸福が飛んでくる』みたいな。そんな感じです。だから恋人であればそっちでもあり得ると言えばあり得るんです。私が迷った二つは随分似ている花なので」

「あぁー……純粋な愛はあったかもしれんが、幸福は飛んでいったかなぁ……。でも胡蝶蘭なら俺だって見覚えがないわけじゃない。言われりゃ確かにとは思うけれど、気付かんもんか……」

 純粋な愛なんて気障ったらしい台詞を吐いた俺に、彼女は少し不思議そうな顔をしてから、もう一つの花言葉を告げる。

「もう一個の方は、確かに名前を言われていたとしても、覚えにくい花ですね。花言葉は『貴方に出会えて良かった』ですね。『ハーデンベルギア』という、胡蝶蘭に良く似ている花です」


――貴方に出会えて良かった。

 ハーデンベルギアという名前よりもずっと、ずっと大事な言葉が、良い意味で胸を高鳴らせた。

「あぁ……あぁ、多分そっちだろうな。彼女らしいや。その花の名前には全く覚えが無い。だからきっと教えられていないんだ」

 思わず、苦笑してしまっていた。

「貰ったのは随分前だけれど、胡蝶蘭なら覚えているはずだ。それにハーデンベルギアって名前も、聞いたことないって意味で覚えていておかしくない。俺の記憶が正しければ、その花の名前自体を、教えてもらっていないんだ」

「不思議な方だったんですね。私ならハッキリ言っちゃいますけど」

 確かに、この子ならハッキリ言うかもしれないなと思いながら、いつの間にか彼女は絵の準備を止めて、俺と話をしていた。こんな風に、立ち話が出来る時間に、俺は少しだけ嬉しさを覚える。


 それは単純に大人から見た子供への視線。教師から見た生徒への視線だ。

 ハヤはあまり、人間に興味が無いように見えていた。

 冷たい印象というよりかは、あえて冷たくしているような印象。

 興味が無いわけではないけれど、あえて興味を持たないようにしている印象。だけれど、彼女の心のバリケードの中には、どうやら俺と、もう一人だけは入れてくれているようだ。

「そうだな、花言葉じゃないが、俺は"お前ら"とも出会えて良かったよ。な? ヒバ」

 ヒバが恐る恐る扉からこちらを見ているのに気付きながら、俺は笑った。

「聞いてたの?! いつから?! 先生も言ってくださいよ! ほんとそういうとこが! もう!」

「まぁ、聞かれて困る話でも無いだろ? だからそうジリジリ寄ってくんな、お前も」

 気まずそうな顔で、ヒバはこちらに寄ってくる。

「んー……なんか難しそうな話してっからさ。俺が入るとちょい邪魔かなーって。センセに彼女がいたのはびびったけど」

「あ! ヒバ……!」

 ハヤが焦ったように話半分くらいで聞いていたであろうヒバの言葉に反応する。彼女はおそらく俺と日晴ヒナリが別れたと思っているのだろう。それは確かに間違いは無い。別れては、いる。

「あぁ、大丈夫だ。振られちゃいない。こんな良い男に『出会えてよかった』だぞ? アイツは俺にベタ惚れだったつーの!」

「でも、さっき元婚約者って……」

 ハヤは俺の言葉で、もうすでに何となく気付いたようだ。それでも俺が話し続けるから、反応をやめない。

「指輪もあったはあったけれど、しない主義で……ってのもなんか嘘くさくて嫌だな。アイツは……まぁ事故だったんだよ」

 ハヤはやっぱりかという顔をして、ヒバは尚更気まずそうな顔をする。そりゃこんな話を聞いて、顔色を変えるなというのは大人でも難しい事。だからこれは俺の我儘な告白だ。

 なんだか、此処まで真剣に俺と日晴ヒナリの思い出に付き合ってくれたハヤに、嘘を吐いて終わるのが後ろめたかった。それが必要な嘘だという事は分かっている。

 こういう流れにならなければ言うつもりは無かった。だけれどヒバが口を滑らせたのだから仕方がない。恨むならヒバを恨むがいい。しかしまぁ、ヒバも話半分でしか聞けていなかったし、仕方ないかと、俺は笑いながら続きを話す。せめてそれで二人に罪悪感のような物が芽生えなければいいと思いながら。

「だーいぶ前の話だよ。気にすんな。それに、花言葉が分かったからな。悲しい気持ちなんざ一つも無い。ありがとな、ハヤ」

「それでも、それでも先生も『出会えて良かった』って、思えるんですか?」

 ハヤが、珍しく空気をハッキリと読まずに、真剣な顔で聞いてくる。

 彼女はハッキリ言うタイプではあるけれど、気はつかえる子だ。

 だけれど、此処まで聞いてしまったなら疑問は残すべきではないと思ったのだろう。

 俺の我儘で告白したんだ、ハヤがそれに向き合って乗っかったなら、話すのが道理というものだろう。


――きっと、彼女は本当に、純粋な疑問として、聞いているのだから。

「あぁ、それでもだ。それでも出会えて良かったんだよ」

「俺もセンセと出会えて良かったぞ! 俺にもケース見せてくれよ!」

 あえてヒバが茶々を入れる、これは彼なりの処世術で、空気を読まないという空気の読み方だ。

「ほれ、古いけど綺麗だろ? これが愛ってヤツよ。良いもんだったけど、流石に古い」

「でも、綺麗ですよ。凄く。似合わないなんて言って、ごめんなさい」

 彼女はそんな事も気にしていたのかと思い、笑って首を横に振る。

「似合わねーのはホントだろ。気ぃ使うなバカたれめ」

 そう言って、俺は柄でもなく、ハヤに純粋な笑顔を向けた。


 ハヤはヒバが持っている煙草ケースを見てから、また小さく笑って、俺に背を向けた。ヒバも煙草ケースをおそるおそる触って、中身を見ると笑っていた。

「中身の煙草、ガタガタでセンセーらしーな!」

「それ、ハヤにも言われたよ。巻いたのも久々だったしな、まぁ元々上手くも無かったけど」

「でもいつものよりかっけーな、大人になったら俺も……」

「やめとけやめとけ、お前の苛立ちは絵にぶつけろ。煙草にも酒にも逃げんなよ? ほら準備準備!」

 たまには、こういうちょっとした雑談があっても良い。

 絵を描く事が全てじゃない。いつもと違う煙草の匂いも、花の意匠の銀製タバコケースも、花言葉の意味も、大人の寂れた悲恋の欠片も、二人にとってはきっと、大事な糧になる。


「……ありがとな」

「……誰に言ったんです?」

 ハヤが分かっているように、こちらを振り向いて、少しだけ笑う。

「さぁ……誰だかね。二人にまでは絞れた。良く似ているから、選び難いな」

 そう言うと、ハヤは振り返って「やっぱ似合いませんね!」と笑っていた。


 この花も、花言葉も、いつか俺が自分で気付く日を、日晴ヒナリは密かに待ち望んで、その日に一緒に笑うつもりだったのだろう。

 随分と待たせたなと思いながら、彼女のお茶目な花言葉隠しは、彼女がいない所で密かに解かれ、彼女ではない人達と、笑い合う事になった。

 彼女なら、それも笑ってくれるかもしれないけれど、やっぱり遅いと、少しだけ怒るかもしれないな、なんて思って、俺は煙草ケースをじっと見つめてから、不格好な煙草を一本手に取って、太陽にかざした。

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