第八話『vs炎天下』

 昼休みはまだ時間が短いから良かったが、放課後に再開した特別美術部の活動は、時間帯的に暑さこそピークを越えていたものの、時間の長さが仇になっていた。昨日は妙に寒くて早々に帰宅させたが、今日は逆に暑さで帰宅を促したい。流石にそろそろ外で日差しを浴びながら書くには厳しい季節になってきたという事なのだろう。


 流石に二人の汗を拭いてやるような、手術の助手の様な真似はしないものの。鬱陶しそうに絵の具がついた手で顔を拭う二人は見ていて少し酷だった。飲み物を飲むペースもまぁまぁ早い。というか早鐘ハヤガネについては少し失敗したなとすら思っていた。流石に水筒の中身は昼休み中に飲みきって、後はしっかりとした金持ち私立高校特有の素晴らしきエアーコンダクター様がぶんまわっている涼しい校舎内で快適に過ごせただろうが、流石に放課後の炎天下を冷やす程の文明の利器は無い。密閉されていない特定の場所だけを涼しくするだなんて、そんなものがあったらファンタジーで良く見た魔法か、もしくは天変地異になってしまう。

「あぢぃーなー」

「言わないの、心頭滅却すればまたって言うでしょ!」

 言いながら、早鐘ハヤガネも本当に鬱陶しそうにいつもは後ろ髪だけをポニーテールにして、それを制服の後ろ襟で止めるなんていう奇妙な事をしているのだが、今日はもう前髪すら思い切り横にずらしてピンで留めていた、いつもしているお洒落程度の物ではなく、アレはおそらく憎しみが入り混じった行為だろうことが分かる。

「ちなみになー早鐘ハヤガネ、心頭滅却の語源の人は焼け死んでるぞ」

「えぇー……変な知識押し付けないでくださいよ……」

 一応オッサンの知恵袋ではあったんだけれど、お気に召さなかったようで残念。というよりも今の彼女は多分何を言っても駄目だろう。絵にもあまり集中出来ていないようで、時々筆が止まる。それがおそらくは暑さのイライラと重なって、中々触れにくい精神状態になっているのだろう。

 

――とはいえ、扇風機やらを持ってくるのもな。

 二人は絵を描いているわけで、流石にある程度の風除けはしていても、直接扇風機なんてあて続けると飛んでいきそうな画材もあれば、風をあてる事によって描いている絵の内容に変化を及ぼす可能性もある。

 だけれどおそらく二人はこの場所を譲らないだろう。合宿先にすら選んだくらいだ。

「んー、ちょっと二人だけでやっててくれるか?」

「あいさぁ」

「一人で涼みに行くんですか? 本当に良いゴミ分ですね……」

 良いご身分という時点で嫌味ではあるのだが、妙にゴミが強調されていたあたり、やはり樋廻ヒバサミよりも早鐘ハヤガネの方が暑さに参ってきているのだろう。

 その辺りは人間として仕方のないことだ。天才だろうが秀才だろうがなんだろうが、悪い環境で描かされて良い物が描けるかと言われると難しい。

 良い物は描けるかも知れないが、その分消耗が激しくては等価交換にはならない。二人がこれからもあそこで描き続けるのならば、対策は絶対に必要だ。


 確かに校舎の中は涼しかったが、それもほんの数分。

 俺もまたすぐに炎天下の元に財布を持って戻ってきた。とはいえそれは二人のいる屋上では無く、テント用品店へと向かう為だ。

「炎天下の下でやるもんだ、多分あそこにゃなんかあるだろ」

 一人呟いて、鬱陶しい暑さにネクタイを緩めて決して暑さに負けながらみっともなく歩く。

 こんな姿を二人には見せられないが、俺もしっかりと駄目な大人なのだ。教師というのも柄じゃあない。けれどまぁなったからにはという物。教えられる事が山程あるわけでもないのだ。俺が出来る事は立派な大人として何かを伝える事ではなく、駄目な大人にならない為の方法論みたいなものだけ。

 だからきっと、こういう事をしてしまうのだろうなと、自分を嘲笑った。

「いらっしゃいませー!」

 透き通る女性店員の声よりもやはり涼しい店内の空気の方が心地良い。

 キャンプ用品店、最近はキャンプブームが来ているらしく、需要も高まっているらしい。だが平日の放課後くらいの時間は、流石に人は少ないようだ。

「生き返るな……」

「今日は暑いですねー! 何をお求めですか?」

 おそらくはいらっしゃいませーを言ってくれた店員なのだろう。

 二十代もそこそこであろう美人な店員がにこやかにこちらに話しかけてきた。まさかこの時代、服屋でもなんでもなく、ただのキャンプ用品店で声をかけてくる店員がいるのも驚きだが、彼女の笑顔はしっかりと顔に張り付いている。

 むしろこのだらしない格好のオッサンによくそんなハツラツに声をかけられたなと思ったが、声をかけられたからには責任を取ってもらおう。

「日除け、なんですけどキャンプ用じゃないんですよね」

「キャンプを! なさらない?!」

 これはおそらく最近のブームとか、声をかけてくる店員がだとかではない。この人の性格だ! と思いながらも、少し申し訳無い気持ちで事情を説明する。

「ええっとですね。炎天下で絵を描きたいっていう馬鹿がいまして、流石にこの季節厳しいんですが言う事を聞かないもんで、日除けくらいあれば少しは違うかなと」

「なぁるほど! 確かにこの時期だと日除けは欲しいですよね!」

 テンションが高くて少し疲れるが、良い人のようで少しホッとした。というかえらい美人さんなのにこれだけ取っつきやすいのはやや強さを感じる。こちとらくたびれたオッサンなのに何も気にしている素振りが無い。

「そうですねー! 単純な日除けはいくつかございますよ! 後はー……クールリング! 冷感タオルなんかもいかがでしょう! あとは軽めのお帽子もございますよー!」

 日除けからくっつけて人によっちゃ余計な物かもしれないが相当な量のよく知らない単語も含めた商品がドバっと言葉に風になって流れてきた。さてはこの店員、ショップ店員が天職の人だ。

「あぁ……そもそも帽子ってのも忘れてたな。学校だもんで」

「ということはお客さんは先生さんですか! なんとも……」

 そりゃこの成りで美術教師だという事についてフォローをするのは無理だろう。

 ネクタイはゆるゆる、手入れも雑な髪と捲ったワイシャツ。多少の無精髭まである始末。

 

 

 だがしかし、此処でショップ店員としての本領を見せる時だぞお姉さん。

「なんとも……なんとも渋いですね! 先生っていうか画家先生って感じで!」


――大正解の答えが返ってきた!

 嬉しいので薦められた物を大体買ってしまった。ショップ店員恐るまじ、下手すりゃ恋をする人もいるんではなかろうかと思うくらいには天職だった。くわばらくわばらと思いながら、諭吉が少し飛んでいくのを彼女の素晴らしき世辞の対価として、というか購入代金として払い、俺はまた炎天下の中へと出た。ちなみに彼女はしっかりとクールリングの使い方なども教えてくれていた。ついでにいえばもう既に冷却して首に巻くだけで何時間か冷たさが継続するそのクールリングとやらを、わざわざ冷やした状態で、しかも温くならないように氷付きの袋まで渡してくれた。

「またのご利用を! キャンプ楽しいですよ!」

 ちなみに申し訳ない事に、それでもキャンプは多分行かない、屋上に縛り付けられるから。


 二人の物だけ買うとブーブー言われるので、一応俺の分のクールリングも買ったのだが、付けてみると結構な涼しさ、これならば二人もある程度満足してくれるだろう。絵を描くのに支障もないはずだ。

 見た目はともかくとして、屋上にいる分には使いやすいだろう。倉庫には冷やす為の冷蔵庫もあるわけだし。

 流石に校内でつけっぱなしというのもアレなので、俺は身なりを少しだけ整え校舎に入り、一時間半程度だろうか、放置していた。二人の元へと戻る。

「おーう、帰ったぞー」

 その言葉に返事は無い、この暑いのに冷たい二人だ。

 と思って見てみると、筆を動かすので精一杯なのか、二人とももう汗も拭かずに絵を描き続けていた。

 俺はそんな二人の元まで歩いていくが、それでも二人は筆を止めず、もうほぼ自暴自棄かのようになっていた。

 俺はそんな二人に周りで買った四つ足の大きめのサンシェードを組み立て始める。

 丁度二人がいる場所が日陰になり、絵は必要に応じて光に当てられるように、軽めの物を選んだ。

 二人は、自分自身に影が落ちてやっとこちらの方を見た。

「余計なお世話つったら泣いてやるからな。ほれ塩分タブレット、まずこいつをずっと持っとけ。それに冷感タオル。汗をちゃんと吸うらしい」

「センセ、最強かよ……」

「先生……わざわざ買いに行ってくれたんですか?」

 早鐘ハヤガネのイライラが急にシュンとした感じに変わる。俺に当たりつけてしまった事の自覚はあったのだろう。その後にこういう事をされたら少し自己嫌悪する気持ちは良く分かる。

「だってこんなの暑くてたまんねえだろ! 俺が耐えらんないの! 見ろよこの首、クールリングだってよ。試しに買ってきたからお前らもつけとけ、いらんかったら冷蔵庫にぶっこんどけ。俺が使い回すからよ」

 二人にタブレットと冷感タオル、そうしてクールリングを渡す。それを二人は少し遠慮しがちに受け取って、首元につけた。ちなみに色は早鐘ハヤガネが青、樋廻ヒバサミには黄色を渡した。

 ちなみに俺は白、それぞれの色味にはあっているだろうと思う。

「おー、凄いいいなこれ!」

「本当……気持ちいい」

 どうやら余計なお世話ではなかったようで、少しホッとした。

「休めとは言わねえよ、でも無理をしろとも思わない。だから上手くやれ。無茶して疲労を残したら明日の絵が生まれないんだからな。タブレットも食っとけ食っとけ、相当汗かいたろ」

 二人は素直に、タブレットを口に含む、これでとりあえず金の事についてあーだこーだ言われる事も無い。

「後はこのシェードだが、まぁいらん時は軽いから除けとけ、ちなみに帽子。買えるタイミングがあったらお前らで買っとけ。お前らは此処で描くんだろ。なら此処と戦う準備はしとけよ、ほんとに」

 全部用意するのは、流石に二人も気にするだろう。それに色味や好みも完全には理解していないし、プレゼント感が高まるのも個人的にはあまり良しとしない。

 だからこそそれだけは個人個人でやらせる事にした。

「じゃーまぁほんと、上手くやれ。俺は扇風機で涼む。飲み物は……まだあるな。よし、じゃあ描け、食いながらでも出来んだろ」

 そう言って俺は二人に有無も言わさず倉庫に入って扇風機を取り出し、定位置に座って風を浴びた。

 正しくアイツらの筆が走る事、それが俺の今のところの一番の楽しみなのだから、これでいいのだと、自分にしては珍しく満足げに、二人の筆がさっきよりも滑らかに進む様を、炎天下との戦いの後を、眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る