日常

 月曜日の朝、いつもと変わらない一週間の始まり。テレビから流れるニュース番組は朝から心中の事件を報道している。朝の食卓には似つかわしくないその事件は高校生の男女であるらしい。まだまだこれからだというのにとても悼ましく思う。悠長に朝食を食べているあっという間に出かける時間になってしまった。急いでテレビの電源を落とし、バタバタと外へ出ていく。おそらく、こんなニュースも数時間も経てば忘れてしまうのだろう。



 犯罪者の子供が犯罪を犯すと、そう思うことに根拠があるだろうか。ただ、生きていることに罪があるだろうか。僕は12歳で他の同い年の子では経験しない地獄を味わった。5歳の時に父は母を殺害し、その後口論になった義父をも殺害した。逃走した父は数キロメートル離れた廃工場で首を吊って亡くなっているところを警察によって発見された。残された兄と僕は行く宛をなくした。母方の祖母はこの事件を知って自殺した。父方の祖父母は健在なものの周りからの反対がひどく施設に送られることになった。兄と二人の生活だったがそれでも楽しかった。兄はいつも僕を励まして、守ってくれた。大丈夫と言って、いつも僕の隣にいてくれた。その兄に僕は何が出来るだろうか。

 7年が経った。生活には慣れてきて不自由さはあまり感じていない。我慢するのにも慣れてきた。僕は六年生に上がり、兄は高校に通い始めた。いつか、大人になったら僕を連れて誰もいない静かな所で一緒に暮らそうと、兄は言った。兄の夢であり、僕にとっても希望だった。僕も何か返せるように必死に勉強した。いつかこんな世の中を変えられるように。

夏になり新しいクラスにもようやく馴染んできた。相変わらず周りの目は白いままだが実害はないから大丈夫。でも、兄は違った。この数ヶ月間兄が笑ったところを一度たりとも見ていない。日が経つにつれて会話もどんどん減っていった。顔には不自然な膨らみがあり、それを隠すように兄は僕を避けていた。

夏休みが終わろうという時に兄から珍しく手紙を受け取った。まっさら紙一枚が封筒に納められていてその中央には兄の綺麗な字で『ごめんなさい』と書かれてあった。

 次の日には兄が高校の屋上から飛び降りたという旨を報された。面会したとき顔を見せて欲しかったが駄目だと言われた。

兄の気持ちには薄々気づいていたし、今の僕にもそれぐらいの想像はできる。どれだけの苦労や痛みが伴っただろうか。その苦しみを共有できないのがただただやるせなくて、その日の夜は一睡もできなかった。僕には自死する意義も覚悟とかそういったものも見いだせなかった。僕が死ぬことで兄が残した努力を無駄にしてしまうかもしれない。だから、僕が生きることで兄が遺した苦しみを少しでも周りに振り撒いてそれで少しずつみんなが不幸になればいいなと思った。

 中学校は知り合いがいないところを選んだ。しかし、現実は甘くはなかった。ほどなくして素性が暴かれ僕は日常的にいじめに遭うようになった。殴られたり、持ち物を隠されたり、落書きされたり。兄も同じようなことをされたのだろうか。もっと酷いことをされたのだろうか。彼等はいつ不幸になるのだろうか。近頃、いつも堕ちることを考えている。僕の横を忙しなく通り過ぎていく車。少し体を横に傾けるだけで夢は醒めるだろうか。何気なく屋上に行ってたまたまその先に行こうと思って進み続ければ兄に出逢えるだろうか。兄に会いたい。


「犯罪者の子供は絶対犯罪するんだって」

絶対とはどこからくるのだろうか。根拠はあるのだろうか。殴ることに彼等の中に何か大きな意味があるのだろうか。殴られ続けることに意味があるだろうか。どうして僕はこんな目に遭わなくてはいけないのか。いっそこのまま息が止まれば、彼等の人生は苦しくなるだろうか。何もできない自分はいったい何故生きるのだろうか。


「大丈夫?」

声の先には知らない女の子がいた。同級生だろうか。先輩かもしれない。それより、いつの間にか彼等はどこに行ったのだろう。

「やり返さないんだ?」

必要がないからと答えた。やり返したところで返り討ちにあうのは目に見えているし、そもそもそんな気概がない。

「でも、気持ちわかるかも。しょうがないもんね」

目の前に差し出された手を取れば僕は少しは楽になれるだろうか。また、誰かに頼るのか。この手を取ってしまえば楽になれるかもしれない、しかし漠然と彼女の目にも僕と同じものを見た気がした。その先は地獄かもしれない。なら、その方がいい。

「君、名前は?」

名前を訊いた彼女は微笑んだ。気付くと夜になっていたようで空には瞬くような星が広がっていた。

「今日何の日か知ってる?」

今日は何日だったか覚束ない頭で思い出してみるが、今日は何日で何曜日だったっけ。

「七夕だよ。ほら今日天気良いし、天の川見えるよ」

見えているとも。眼前には途方もなく大きい現実が広がっている。逃げても逃げても僕を離してくれない残酷な現実が。綺麗に僕のことなどお構いなしに燦然と堂々と光り輝いている。

「毎年毎年雨なのに、今日は織姫と彦星はこうして出逢えたんだよ」

そう言った彼女の目は空を煌めく星と遜色ないほどに綺麗に見えた。

「出逢えた二人はその後どうするの」

ふとした疑問だった。

「どうしたい?」

疑問の答えは見えていた。きっと二人はまた離れ離れになって、また一年後晴れるかもわからない今日を待ち侘びて相手を想い続けるのだろう。ならば、僕は二度と彼女の手を離したくないと考えた。

「わたしね、」



 夜、門限を過ぎても帰ることなく女の子と二人きりの状況は非現実的で今なら空だって飛べるのだと思ってしまう。僕たちは生まれ変わってもまた出逢えるだろうか。願わくば何度流転してもあなたに出逢いたい。今なら月にだって手が届きそうだ。

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夢の狭間 kanaria @kanaria_390

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