夢の狭間

kanaria

溺死

 水面に浮かぶ満月は歪んでいて、蠱惑的だ。手が届きそうで、手を伸ばすと私を奥深くの闇へ呑み込んでくれる。身を委ねて深く、深く、沈んでいく。やがて息が苦しくなって口から気泡がぶくぶくと荒い音を立てて上へと昇っていく。反対に私は更に沈んでいく、当然の、自明の摂理。際限を知らない闇は私には想像もつかない大きさで私を包んでいる。

 何故だか、私は手を伸ばしていた。死ぬのが惜しくなったのだろう。今になって、怖くなったのだ。自分の知らない世界や事実を知るのはとても恐ろしいことだ。必死に手を伸ばすけれど、誰も私には気づいてくれない。それもそうだ。私は必要以上に人との関わりを拒否し続けた。差し伸べられた手も不必要だと自分の弱さの隠れ蓑にして、跳ね除けてきた。自業自得だ。否定されることを恐れて、弱い自分を肯定しきれず、人から逃げてきた。かけられる言葉も優しさも自分を守るための殻にし続けた。そんな自分にはお似合いの最後だと言えよう。夢も希望もない自分には悔いなどないけれど、強いて言うのなら。もう少しだけ、前を向いて歩けたなら良かった。

出し尽くした泡はぱちぱちと消えていき、冷え切った体は徐々に機能を失っていく。閉じかける視界をなんとか保とうとするけれど、とうに体は私の意識下を離れその機能に終わりを迎えようとしている。酸素が回らず思考も途切れかけている。終わりを自覚して、なお生きたいと思える自分に心底救われた気分になった。


—————水面に浮かぶ満月は歪んでいて、蠱惑的だ。ぷかぷかと浮かび上がるそれは、その光景とは対照的に目を背けたくなる。現実だ。私は、いなくなって初めて誰かに必要とされていることに気がついた。

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