住宅内見殺人事件
みょめも
住宅内見殺人事件
私は仕事の都合でこの町に引っ越すことになり、とある一軒のアパートの内見に来ている。
お世辞にも栄えているとは言いがたい町で、周囲には田畑が広がっており、敢えて褒めるとするならば「のどか」。
夏にはカエルの合唱が聴けるのだろう。
それがこの町の印象だった。
「さて、着きましたよ。」
不動産屋の車の後部座席に乗り到着したのは、一軒のアパートだった。
のどかな町に溶け込む2階建ての築浅アパートだ。
「こちらの物件は2階の角部屋が空きました。ちょうど下の階は管理人さんが住んでいます。」
そう言いながら、階段をコツコツと登る背広の男は不動産屋の営業。
「前の入居者の方が突然引っ越すことになりましてね。」
ガチャリと鍵を空けると、やや重めの扉が開かれ、中に滞留していた空気が外に流れ出てくる。
それと同時に僅かではあるが、何か嫌な気配を感じた。
血の臭いを嗅いだときの胃から込み上げる不快感。
そう、これは血の臭いだ。
注意して嗅がなければ分からない程度ではあるが、クリーニングしたての臭いの中に、あの生ぐさい鉄の臭いが混じっている。
職業柄、その臭いには敏感だった。
私に構うことなくスタスタと中に入っていく営業。
ご自由にどうぞ、ということなのだろう。
私も彼に構うことなく玄関から観察を始めた。
靴箱は特に変わったものではなく、ごく一般的なアパートに備え付けられているものだ。
強いていうなら一人暮らしには少し大きい。
1LDKを家族で借りる人もいるかもしれないが、営業所で間取りを見た限りでは、単身赴任や独身者のための賃貸といった印象だった。
単身赴任の男の靴など足数は知れているだろう。
男の様子をチラリと見るが、私の方を見ることはせず、手元に視線を落とし何やらチェックシートに記載している。
私に顔を見せない営業の男は、何か隠したい事があるのではないだろうか。
次に私は、玄関からリビングへ続く廊下の途中にあるトイレを覗いた。
便座にはクリーニング済みを意味するシールが貼られている。
上に視線を向けると棚が設置されていた。
それはトイレットペーパーの予備を置くには十分なスペースだった。
リビングへの扉を開けると、解放感のある空間が広がっていた。
大きめの窓、天井に吊り下げられたライトはモデルハウスを彷彿とさせるデザインをしていた。
その部屋の角に立つ営業の男は、依然としてチェックシートに何かを記載していた。
「前の入居者は随分とDIYの好きな方だったんですね。」
その言葉を聞いた瞬間、男の持つボールペンの動きが止まった。
「……どうして、です?」
「いえ、玄関から観察してきて、ふと思ったんです。やけに後付けされたものが多いな、と。」
男の反応を見た私は、自分の中にある疑念が確信に変わりつつあった。
この家では、何かあった。
そう、それも血なまぐさい何かが……。
『DIYの好きな方だったんですね』に対する返答が『どうして』というのは、内見というシチュエーションではあまりに不自然ではないだろうか。
やはり、この男が何かを隠しているのは間違いないようだ。
「私、こういうものでして。」
名刺を差し出すと、男の顔つきが一層険しくなるのが見てとれた。
「この部屋で以前、何かあったんですね。」
「いえ……何も。」
そう振り絞るだけが精一杯に感じた。
平静を装っているが、声色の変化は騙せない。
いち営業を問い詰めるのも気持ちがいいものではないので、私は男の周りをゆっくりと旋回しながら、淡々と話をすすめることにした。
「前の入居者、ここではAさんとしましょう。Aさんはこのアパートが新しく建てられた入居者募集のタイミングで契約をした。この辺りでは築年数の経ったアパートが多く見られるので、新築アパートは新居を探す人にとっては絶好の物件だった。Aさんもその1人だった。これから綺麗な部屋で充実した毎日を送れる、そう思っていた。しかし、結果的にそうはならなかった。」
「何の話を……」
「契約金を払ったAさんは、無事に新しい生活をスタートさせた。朝は日当たりの良いリビングでコーヒーを淹れて、トーストをかじりながら新聞に目を通す。仕事から帰ると熱いシャワーを浴び、キンキンに冷えたビールで晩酌をする。そんな絵に描いたような一人暮らしを満喫しているうちに、いつしか恋人もできた。度々この部屋に来るようになったんです。」
「誰の話をしているのですか。」
男の顔は困惑の色を隠せないでいた。
「そんな毎日を送っていた夏の日、事件は起きた。」
「ある夜のこと。いつものように遊びに来た彼女とテレビを見ていると、一匹のカエルが迷い込んできた。女性にとってカエルは天敵です。その彼女もカエルが大の苦手だった。壁に張り付いたカエルを見て、反射的に手に持っていたグラスか何かを投げたんです。それは見事にカエルに命中。その場で息絶えました。代わりに壁にぶつかったグラスか何かは衝撃で粉々になったことでしょう。彼女にとっては一件落着でしたが、横で一部始終を見ていたAさんは酷くショックを受けた。そして、それこそ彼女と同様、反射的に彼女の頭部を鈍器のようなもので殴った。殴り殺してしまったのです。」
「ちょっと待ってください。そんな突拍子もない話を誰が信じるんですか?それにカエルを殺したから彼女を殴って殺してしまうなんて無茶苦茶だ。」
「問題はカエルが死んだことではありません。カエルに向けて投げた何かが、壁に傷をつけてしまったことなんです。」
「壁に?」
「そうです。」
私は壁の一角を指差した。
男はその指差す先を、目を凝らしながら触る。
滑るように上から下へ撫でていくと、途中でピタリと手が止まった。
「本当だ。」
「フローリングに家具を置いた跡がない。Aさんはとても丁寧に部屋を使っていたのでしょう。新築を汚したくなかったのだと思います。ところが、彼女が投げた物が壁を傷つけてしまった。端から見れば大きな傷ではないかもしれません。しかし、Aさんにとっては傷ひとつ、画鋲ひとつない壁の傷はあまりに目立った。」
「あ、あの。大変言いにくいことなのですが……」
「はい。」
「壁に画鋲跡がないのは、補修しているからです。この傷は業者が見逃してしまったようで、すみません。後から補修させます。」
「……」
「あの……何か。」
「……とにかく、Aさんは彼女を殺してしまった。正気を失っていたとしても、目の前には血を流し横たわる彼女がいました。そしてAさんが次に考えたのは、死体の処理でした。死体の処理なんてプロの殺し屋でもない限り考える事はありません。そこで、Aさんはとりあえずボストンバッグか何かに彼女を押し込んだ。悲しい話です。ついさっきまで愛していた女性をボストンバッグに押し込むだなんて。しかし、そんなことをしても問題は解決するどころか悪化する一方です。いつの間にかボストンバッグから染み出していた血液はフローリングを赤く染めていました。そして、悪いことは重なります。」
「悪いこと?」
「そうです。管理人が訪れたのです。この下の階に管理人が住んでいると言っていましたよね。もしかしたらフローリングをつたって、下の階の天井に染みでもできていたのでしょうか。物音を聞いて駆け付けたのか、それとも単なる偶然かは分かりません。新築で何かトラブルがあっては困りますからね。インターホンが鳴らされ焦るAさん。彼女の入ったボストンバッグをどうにかしなければなりません。考えた挙げ句、彼はトイレに隠すことにしました。」
「トイレですか?」
「はい。トイレの棚です。不思議に感じました。便座と向き合う位置に棚が設置されているケースはあります。しかし、この部屋は便座の上に大きな棚があります。それこそ立ち上がると頭を打ちかねない位置に。そんな作りがありますかね。きっとこの棚は後から作られたもの、Aさんが作ったものなのでしょう。理由は彼女の入ったボストンバッグを隠すためです。ボストンバッグから滴る血は便器の中に落ちる設計となっています。」
「管理人がインターホンを押してから作ったとでも言うのですか?」
「はい。Aさんは大のDIY好きだったようです。インターホンを押されてから、大急ぎで作れば可能だったのではないでしょうか。」
「さすがに無理だと思います。」
「無理…かどうかは私の助手が証明してくれるでしょう。さっきトイレを見たときに不審に感じたので、試しに助手にも同じものを作らせてみました。DIY好きだと言っていたので、おそらくそれほど時間はかからないんじゃないかなと思います。電話で答えを聞いてみましょう。」
2回の呼び出し音の後、電話は助手へと繋がった。
私は電話をスピーカーにし、男へ向けた。
「はい!もしもし!?あ、先生!?まだ15分しか経ってないじゃないですか!今ようやく棚を固定し始めたとこ……」
ブツッ。
ツーツーツー。
「無理じゃないですか。」
私の助手は腕が鈍っていたようだ。
まったく、事態を混乱させてくれたものだ。
「……とにかく、何らかの力とか、風水的な幸運とかにより、うまいこと棚が設置できた。そして、管理人の対応を無難にやり過ごすことができた。」
私は改めて男の顔を見た。
「妄想だ。こんな事、すべて憶測の域を出ない妄想だ!だいたい何なんですか?壁の傷ひとつから話が始まったかと思ったら次々と物騒な物語を語りはじめて!この物件を事故物件にでもする気ですか?こっちは築浅でおすすめの物件だから紹介してるのに。」
「妄想……なるほど。確かにここまでの説明で確固たる証拠はなかったかもしれません。しかし、これを見てもまだ、妄想だと言えますか?」
私は再び壁の傷の場所まで行き、今度は床へしゃがみこんだ。
そこに今回の事件を決定づける証拠があったのだ。
「ここを見てください。床と壁との境界線。ここに不自然な補修があるのが分かりますか?」
そこには一部分だけ周りとは違う補修の仕方がされていた。
まるで何かを隠すように。
カリカリと爪で引っ掻くと少しずつだが補修が剥がれていく。
そして、補修の下には、血痕があった。
「うわぁ!本当にあった!」
「うわぁ!……えっ?えっ?本当にあった?どういうことですか?」
「いや、血痕が本当にあったらそれっぽいなー、とか思いながらカリカリしてたら本当にあったからビックリしちゃって!え?この部屋って本当に何かあったんですか?他殺?他殺ですか?」
「いや、知りませんよ!あなたがずーっと喋ってたじゃないですか!カエルがどうのとか、グラスがどうのとか!」
「いーや、だってそんなの妄想に決まってるじゃないですかー!そんな壁の傷ひとつで事件の詳細分かったらサイキッカーですよ!」
「もう何なんですか!入った瞬間から鼻を押さえるような仕草はするし、家具を見るたび眉間に皺を寄せるし、それっぽいなぁと思ってましたけど、あれ全部演技ですか!?」
「当たり前じゃないですか!て言うか見てたんならもう少し反応してくれたっていいじゃないですか!『私はあまり干渉しません、ご自由にご覧ください』みたいな感じでチェックシートで何かチェックしてるだけで、実は見てたなんて、めちゃめちゃ恥ずかしいですからね!」
「何で言う必要があるんですか!チェックシートだってね、大事な仕事なんですよ!あなたのお遊びにかまってるヒマはないんです!」
「あ、お遊びって言った?今、お遊びって言いましたね!?それ客に言っちゃいけないセリフだと思いますよー?客の自尊心傷つきますよー?」
「客の自尊心なんて関係ないでしょうよ!こちとら物件売れればそれでヨシ!仕事に客の自尊心を高めるオプションはついてません!」
「そういう仕事のやり方良くないと思うなー!こんな過疎化の進む田舎で、不動産屋業者やるのも大変でしょ!お客様ひとりひとりのニーズに応えた商売しなけりゃ残っていけませんよ!?だいたい、あんただって、私が話しかけたらボールペンの動きがピタって止まったり、名刺を渡したら険しい顔をしたり、紛らわしい反応が多いんだよ!あれ、乗っかってきてんじゃん!こっちの世界に引き込まれてんじゃん!」
「当たり前でしょ!話しかけられればペンは止めるし、何の前触れもなく突然渡された名刺に探偵事務所なんて書いてあれば、こいつ何やってんだろうって険しい顔になるのが普通でしょ!で、どうするんですか!この血痕!こんなもの見つけちゃって!」
「どうするもこうするも、もー!不動産屋はあんただろ!?会社に電話して聞いてみなきゃだろ!?あぁ、もう!爪に血のパリパリしたやつが入ったじゃーん!」
ピリリリ、ピリリリ。
「あ、すみません。主任ですか?今お客様とアパート○○に来てるんですがー、この物件って以前何かありましたか?……はい……はい。あ、そうですか。……わっかりました。……はい、失礼します。」
「どうだった?」
「……じ…ん……って」
「え?」
「……事故物件……だって。」
「ほらー!言ったじゃーん!最初から怪しいと思ってたんだよね!だって扉開けたら血の臭いとかしたもん!この嗅覚がキャッチした気配はただ事じゃないなって思ったもん!」
「一件だけ……じゃなくて……」
「あん?」
「築2年で16件だって……自殺と他殺あわせて……」
「え……」
「今立ってる場所も、前の前の入居者が倒れていた場所だって……」
「ぇ……」
「……あの、帰りましょっか。」
「……う、薄暗くなってきたし、ね。」
「……帰りに美味しいお蕎麦屋さんあるんですけど……一緒にどうです?」
「……そう……ね。」
「……また次の物件は、日を改めてということで。」
「そうね。何か……悪かったね。」
「いえ……こちらこそ。」
「よーし!美味しい蕎麦かぁ!何蕎麦にしよっかなぁ。ねぇ、営業さんは何が好き?」
「私はとろろ蕎麦ですね!あのゾゾゾって流し込める感じがたまらなくて!」
「分かる!そこに月見も乗っけると美味しさ倍増!なんだよねー!そこの蕎麦屋さんは何がおすすめなんだろう。」
「とろろ蕎麦もいいですけど、にしん蕎麦も名物でしてね……」
私は営業車の助手席に乗り込んだ。
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