墓地を見おろす女
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墓地を見おろす女
梨村歩美と言う女が首つり自殺をした、と言う報告を後輩の三好から受けたのは、午後3時の事。その時俺は、来客予定をすべて消化し、コーヒーブレイクに入ろうと給湯室でコーヒーを淹れていた。
この業界にいれば、誰しも一度は担当した物件が事故物件になるものだ。まあ人によっては担当する物件すべてで事故が起こることもあれば、一度も起こらないことだってあるが、まあそれはそれ。
一応研修段階で、俺も三好も既に物件での事故発生時の対応マニュアルも受けているが、それでもいざ起きると面食らってしまうものだ。
だが、俺は耳を疑ったのは、ただ梨村が自殺したからと言うわけではない。
三好の担当していたその女は、なんと入居したその日に自殺していたのだ。
——
俺が梨村歩美に初めて会ったのは、物件の内見の時だった。
当時——と言っても2週間前のことだが——本来担当していた三好が、母が緊急入院することになったからと早退したためだ。
女性のお客様なら、内見担当は三好の様に女性の方がいいに決まってるだろ、と思いはしたが仕方ない。この日予定が空いていたのは俺だけだったのだ。
本音を言えば、最近業績を伸ばしている後輩に先輩風を吹かせたかったというのもある。
梨村歩美とは初対面だったのだが、一言でいえば痩せた芋のような地味な印象の女だった。
髪は梳かしもまとめもせずボサボサで、前髪を長く伸ばしてるせいで表情が少しも見えない。
部屋着のままで来たのか、ジャージの上下とスニーカーを履いている。
ピアスや指輪と言ったアクセサリーらしきものは一切せず、この様子だと化粧もしていないだろう。
荷物らしきものと言えば、肩からかけたトートバッグくらいだ。
また、猫背でうつむいた姿勢のためか、本来よりさらに小柄に見えてしまう。
「……今日は……よろし……くお願いし……ます」
声も小さかった。
「はい、今回担当させていただく大城です。よろしくお願いします」
心なしかこちらも小さな声になってしまった気がする。
梨村は口をもごもごさせながら、消え入りそうな声で「女の人じゃない……」と呟いた。
まあ、そりゃそうかあと俺は内心ため息を吐く。
だが、
「まあ……いいです」
こちらが弁明のため口を開こうとした瞬間、梨村はそう言ってため息を吐いた。
「……お店で三好さんと話したときは、内見は……ハ、ハイ……」
「ハイツヘッドギル、ですね。三好から聞いております」
ハイツヘッドギル。
いろは荘。
アスミコーポ。
立地も築年数も家賃もバラバラなこの3件が、梨村歩美が今回内見を希望する物件になる。
「それでは早速、ハイツヘッドギルから向かいましょうか」
俺の言葉にうなづく梨村を乗せ、俺は1つ目の物件に営業車を走らせた。
ハイツヘッドギルは築年数5年程度で、今回内見する物件の中では最も新しいものだ。
駅に近く、通勤通学に便利。単身あるいは2人暮らし用の1DKだ。
今回紹介する物件の中では最も利便性が高いと言って良いだろう。……その分家賃が高いのだが。
このマンションの502号室が、梨村の内見する部屋になる。
「このマンションは築年数も立ってないですし、設備も今回紹介する3つの中じゃあ一番新しいですよ」
お決まりのセールストークを吐きながら俺は事前に渡されていたマスターキーで部屋の鍵を開ける。
その間も梨村はうつむいてこちらの話に相槌の1つもよこさない。
だが俺がドアを開けた瞬間、梨村はスニーカーをその場に放ると、そのままつかつかと部屋の中に入っていった。
「な、梨村さん!?」
俺の静止の声も聞かず、玄関にも途中のダイニングやトイレにも目を向けず、梨村はリビングの方へ歩いて行く。
そしてそのままリビングの窓を開け、ベランダに出て、
「……ハイツなのに……眺め良くないですね」と、零した。
「は……?」
「だって……heightsでしょ。高台でしょ。なのにこの立地、高いところでも何でもないし、町を見下ろしたりできないじゃないですか」
梨村は顔を伏せたまま、さっきまでの小声が嘘のように早口でまくし立てる。
俺は梨村の言葉に促されるようにしてベランダからの景色を見る。
なるほど、5階なので視点が高いと言えば高い。だが所詮は高台でも何でもない住宅街に立っているため、お世辞にも眺めのいい立地とは言えない。
この程度の高さのマンションなら、近所に何件も建っている。
「梨村さん、眺めのいい立地の部屋がいいなら、他にもご紹介しましたのに」
つい口の滑ってしまった俺に、梨村は振り返り言った。
「眺めなんてどうでもいいです。……墓地が見たいだけなので」
彼女はそういうと、リビングからすたすた出て行ってしまった。
2つ目の物件、いろは荘。
家族向けに貸し出しているが、築年数20年以上の中々年季が入った物件だ。だがその分家賃は安く、1LDKで1件目よりも部屋が広い。また、近くにバス停があり、徒歩圏内にはショッピングモールも存在するので、住むのに不自由はないだろう……。
そんな説明を用意していたのだが、今回も梨村は玄関ドアが開くと同時に部屋に入り、窓から景色を確認した。
「……ここは、景色がいいですね」
「あ、ええ。先ほどの物件と違い、こちらは高台の上に立っていますので。それに3階ですから、邪魔になる木もありません」
俺の言葉に、梨村は頷く。
「ただ……この部屋は窓が小さいですね」
そう言いながら窓を開ける梨村に、俺は背後から声をかけた。
「担当の三好からはお引越しを検討されていると聞いているのですが、今回は転勤か何かで物件をお探しでしょうか?」
そのセリフに不審そうな目を向けてくる梨村に、「理由までは前任から聞いていなかったもので」と俺は慌てて付け足す。
……詮索しすぎたろうか。
「……夫が」
少し不安になった俺をしり目に、梨村は口を開いた。
「夫が、遠くに……そう。単身赴任してるんです——」
そう言いながら、梨村は肩にかけていたトートバッグから一枚の写真を取り出す。
そこには男が一人映っていた。
集合写真を無理やりアップにでもしたのだろうか、少しぼやけているものの見た感じ爽やかな印象の男性だった。
正直、目の前の女と結婚するようには思えないが。
「夫とは前の職場で出会って……式を挙げて。結婚してからは子供を作れるだけ頑張ろうって、全国を転勤しながら働いてくれてるんです。夫と一緒にいられる時間は少ないですけど、それでも私のためを思ってくれてるのが嬉しくて」
彼女は少し上ずった声で続ける。
「つい最近までは、節約のためと親の介護のために実家に住んでたんですが、先日他界してしまって。この際だから実家も処分してしまおうって夫と決めたんです。かなり古いので。それで、他に身を寄せられる親類や友人もいないし、新しく家探そうって。将来的に夫と一緒に住めるような部屋を借りようって話になって。夫の本社近くの物件を探してるんです」
なるほど、そういうコトだったのか。
梨村の言葉に、俺は納得した。
彼女が化粧っ気のないジャージ姿をしているのも、将来のことを考えて家計を切り詰めた結果なのだろう。
彼女の苦労を知った俺は、数分前までの彼女への態度を恥じた。
「さ、大城さん。次の物件に行きましょう」
そういうと、梨村は薄く微笑んだ。
3つ目の物件であるアスミコーポは、いろは荘のすぐ近くに建つワンルームマンションだ。
当然こちらも高台の上に立つことから町を見おろすことが出来、さらにいろは荘よりは築年数も新しい。
全7階建ての402号室が今回内見する部屋番号だ。
ただこの部屋は、単身向けに売り出していることもあり、2人で暮らすには少々手狭だ。
また、この部屋の掃き出し窓の対面に備え付けられているロフトは、完全に寝室スペースとして使うことが前提の作りである。
ベッドサイズとしてはセミダブル程度。
明らかに夫との二人暮らしには向かないだろう。
だが、梨村はこの部屋に入って開口一番に「この部屋にします」と言った。
有無を言わさない口調だった。
思えばその時の梨村は、ベッドロフトの柵を押したり引いたり、強度を確かめるようにしていた気がする。
恐らくあの時点で既に首を吊ることを考えていたのだろう。
「窓が大きくて見晴らしもいいですし、気に入りました」
「……この広さと造りでは、ご主人と暮らすには少々手狭ではないでしょうか」
「構いません」梨村は断固とした態度を取って言った。
「三好さんに伝えてください。すぐにでも本契約を行いたいと」
その言葉の2週間後、彼女はこの部屋で死んだ。
掃き出し窓の方を正面に向き、ロフトの柵に縄をかけ、首を吊って死んだのだ。
——
「——なるほど、そんなことが」
梨村が首を吊ったとの報告があった翌日、俺は三好に内見の時の様子を話していた。
流石にデスクで話すには憚られる内容なので、会議室を借りている。
昼休み中だし、誰も来ないだろう。
俺の話にふんふんと相槌を打ちつつ、三好は胸辺りまで伸ばした長髪をクルクル指に巻き付け弄っている。
「いやーご報告感謝っす、大城先輩。私も警察からいろいろ事情聞かれてるんで、超助かるっす」
「警察がお前にか?自殺なんだろ」
俺の疑問に三好は「それは……そうなんすけど」と言いにくそうに答える。
「梨村さんが死んだの、入居当日じゃないですか。流石に新しい部屋に引っ越したばかりの人が即自殺!なんて考えにくいっすからね。色々疑っているみたいで。でも現場には鍵がかかってたそうですし、遺書もありました。間違いなく自殺っすよ」
そういって、三好はコーヒーを飲んだ。あの後、管理人との相談や関係部署との連絡で遅くまで残業していたらしい。
それから警察の聴取に付き合うなんて、誰でも音を上げるだろう。
同情する俺に、三好はパンと手を鳴らした。
「そうだ!折角だし梨村さんがなんで死んだのか、私たちで推理しません?」
「推理ねえ……不謹慎過ぎねえ?」
「はい、不謹慎です!お客様の死に様を娯楽にするなんて以ての外!」
固く握った拳を握り、三好は高らかに声を上げる。
「でも梨村さんに入居即自殺なんて意味不明なことされて、私も頭に来てるんですよ!せめて私達の暇つぶしの役くらいには立ってもらわないと!」
暴論過ぎる。
だが俺もこういうノリは好きなタイプなので、結局参加することにした。
「でも俺たち自殺の現場には入ってないぜ。どうやって調査しろって言うんだよ」
俺の当然の疑問に、三好はにやりと笑いかけて答えた。
「ご安心を!第一発見者のアスミコーポ管理人さんからは既に証言をゲット済みっす。つまり今回の推理勝負は、安楽椅子探偵スタイルで
およそ安楽から遠い調子でまくしたてると、三好はオーナーが自殺現場を見た時の様子を話し始めた。
——
アスミコーポのオーナーは実に律儀な人間らしく、新しく入居した人間がいれば直接挨拶に伺っているのだという。
そのため梨村歩美が入居した日も、お土産の引っ越しそばを提げて402号室まで出向いたらしい。
オーナーが部屋に着いたとき、家の鍵は施錠されていた。
おや、梨村さんはまだ到着されていないのだろうか。
などと考えたオーナーは、「それなら再度掃除がきちんとできているか確認しておこう」と思い立ち、持っていたマスターキーで玄関を開けたのだという。
そこで初めて、オーナーは玄関に履き古したスニーカーが一足置かれているのに気づいた。
なんだ、もう到着されてるじゃないか。
だがここでオーナーは違和感を覚えた。
荷物が少ない……どころか全くないのだ。
玄関に入ってすぐのところにキッチンがあるのだが、段ボールも家電も置いていない。
荷物は後から運び込む予定なのだろうか。
「梨村さーん、おられますかー?」
そう声をかけた時、オーナーはロフトの陰に人影を見た。
「すみません、梨村さん。居られると気が付きませんで……し……」
その瞬間、オーナーは言葉を失った。
ロフトの陰にいた人影は、梨村歩美は、首を吊って既に息絶えていたのだ。
「ひ、ひいいいいい!!」
その後警察を呼んだオーナーは、梨村歩美の首を吊って緩んだ尻穴から出た排せつ物に隠れるように遺書と一枚の写真——ぼやけた男の映った——を見つけたという。
——
「つまり、現場には鍵がかかっており、部屋にはロフトで首を吊った梨村さんと男の写真、そして遺書だけが残されていた……ってワケっす」
ここまで話し終え、三好は「さて」とどや顔しながらこちらに向き直った。
コイツあんまり寝てないのかな。テンションがいつにも増してハイってヤツだ。
「オーナーの証言と大城先輩の証言、この2つから導き出されるたった1つの真実があります。分かりますか?」
「知らん」
「ふふっまあワトスン君には分からないっすよねえ」
このホームズ、助手を嘗め切ってる。
俺の中では早くも三好への同情心が薄れつつあった。
「私の推理……まず結論から申し上げますと、他殺ではなく自殺。それも愛ゆえの自殺と考えています」
そう言いながら、三好はいそいそと地図を取り出した。
「この地図を見てください。既にハイツヘッドギル、いろは荘、アスミコーポ、それぞれの位置に赤丸を付けています。……で、ここ!」
取り出した赤ペンで三好は地図に丸を書いた。
そこには墓地の地図記号が書かれていた。
梨村歩美が内見をしたどの物件も、この丸からそう離れていない。
「この場所、園山田霊園!これがヒントっす!!」
三好はそのまま園山田霊園の位置をグリグリ赤ペンで塗りつぶしながら説明を続ける。
「先輩の聞いた話では、梨村さんは両親が死んだから実家を引き払ったって話だったでしょう?でも梨村さん、物件の契約の時に連帯保証人としてお父さんの名前を書いてたんですよ」
ふむ、と俺は相槌を打ち——
「え、初耳なんだけど」
「はい、今言いましたから」
「お前バトるって言ったよな、フェアじゃねーじゃん」
「だから今言ったんじゃないすか。話を続けますね。……つまり、梨村さんの言ってた親が死んだから実家を引き払ったというのは嘘。少なくともお父さんは生きてますからね。
ではなぜ梨村さんはそんな嘘を吐く必要があったのか?それは夫が生きていると先輩に信じさせたかったから。目的がバレないように。
その目的とは?もちろんアスミコーポ402号室での自殺です。
その理由は?……既に死んだ夫の後を追うことですよ!」
三好の言葉に俺は思わずコーヒーを吹き出した。
「そりゃ論理の飛躍じゃないか?」
「思い出してください。1件目のハイツヘッドギルを内見する時、梨村さんは墓地が見えないと言ってましたよね。そうここです。で、2件目のいろは荘は眺めは良いけど窓が小さい。3件目のアスミコーポは眺めもいいし窓も大きい。これは多分、墓地が首吊りしながらでも窓から見えるかどうかを気にしてたってことだと思うんすよ」
そう言われ、俺は再び地図に目を落とす。
見取り図と比べると、確かにどの物件も墓地の方角に窓が向いている。
特にアスミコーポの場合はベランダ側の大きな窓が向いているようだ。
「何故墓地をそんなに見たがるのか?それは既に死んだご主人がそこに埋葬されているから。そして何故首を吊ったのか?それは一刻も早く愛するご主人の眠る方向を見ながら旅立ちたかったからです!!」
言いながら、三好はご丁寧にもホワイトボードに疑問点と回答を箇条書きしていく。
Q1. なぜ入居当日に自殺したのか。
A1. 自殺するための物件を探していたから。
Q2. なぜ自殺するのか。
A2. 先立たれた夫=写真の男を愛するあまり、同じように死にたくなったから。
Q3. なぜ墓地の見える所で死にたいのか。
A3. 夫がそこに埋葬されているから。
Q4. なぜ首吊りを選んだのか。
A4. 窓越しに夫の埋葬された墓地を眺めながら死にたいから。
「結論、夫に先立たれた妻が死に場所を探し、ついに見つけたのがアスミコーポ402号室だった!!これが私の答えです!」
ふうん、と俺は腕を組む。
正直、ツッコミどころしかない。素人の与太話としては及第点かもしれないが。
だが、
「質問いいか?」
「どうぞ、大城先輩」
「結婚指輪」
「は?」
「あの女さ、結婚指輪してなかったんだよ」
そう言いながら俺は記憶を手繰った。
地味な印象のあの女。
化粧っけはなく、おしゃれもせず、アクセサリーなんて何一つつけていなかった。
ピアスも、ネックレスも、指輪もだ。
「そりゃ、夫が死んだら外すのでは?」
「夫を想って後追い自殺なんてする女がか?むしろ後生大事に肌身離さないもんだろ」
俺の言葉に三好はうーんと唸った。
「正直な話、否定できるだけの材料を俺はもってない。ので、これは単なる妄想でしかないんだが……。そもそもあの女、結婚なんてしてなかったんじゃないか?
さっきも言ったように、女は結婚指輪をしていなかった。しかし大切に男の写った写真を持っていた。首吊り死体の足元にあったってことは、死ぬ間際まで眺めてたって事だろ。愛してたんだろうな。
でもあの写真、ぼやけてるって言ったろ。まるで集合写真を無理くり拡大したみたいに。結婚してないにしても、せめて恋人とかならもっとましな写真があるだろ?これじゃ隠し撮り写真じゃねえか。
だからさ……梨村って、写真の男とは結婚もせず恋人でもなく、例えばストーカーで、死んだ男をあの世まで追いかけられるように自殺したんじゃねえか?」
ここまで話し、俺は残ったコーヒーを呷る。
「遺書はもう警察に渡っちまってるから内容は分からないけどよ。それを読めば全部分かるはずだぜ。お前の推理が正しいか、俺の推理が正しいか、どっちも間違ってるか」
俺はそう独り言ちた。
推理勝負は、結局ノーゲームに終わったのだった。
墓地を見おろす女 ノート @sazare2023
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