事故物件ではありません
葉月りり
事故物件ではありません
私は誠実不動産営業担当、正田真。
今日のお客様は春から社会人になられるという花岡春子様。学生寮を出るということでワンルームのアパートを探していらっしゃる。今回は二回目のご来店、前回の三軒は、どうも収納がお気に召さなかったようだ。
花岡様はお約束の時間通り来店され、早速今回の一軒めのアパートへ。ここは今までで一番のおすすめだ。水回りがそれぞれ独立していて、そこそこ広い。駅が近いのに静かな住宅街の一角というのもおすすめポイントだ。
「ワンルームですから、間取りはまあ、そんなに変わりませんよね。だだ、ここ、南向きで前は道路、その先は戸建てが続く低層区域なので日当たりは抜群です。あ、あと、少し行ったところに川があって、そこの桜並木、すっごく綺麗なんですよ」
「川があるんですか。この辺りの標高ってどれぐらいなんでしょうか」
急に聞かれて私は慌ててググった。
花岡様は時々思わぬことを質問される。この間はガス会社とガス代についてと耐震について、あとアパートになる前は何があったかとか。
「ここは…標高二メートルってとこですか」
「そうですか」
花岡様はそれまで水回りやドアの開閉などじっくり見ていたのをやめて、おもむろにクローゼットの前に行き扉を開けた。そしてしばらくクローゼットをチェックすると、
「あの、すみませんが、ここはやめておきます」
と、言った。
「あ、そ、そうですか」
正直ここで決まると思っていたので、はっきりやめると言われてびっくりした。それぐらいここはコスパの良い物件なんだが。何かクローゼットにチェックポイントがあるのか? そういえば、前回もクローゼットを念入りに見ていた。
「では、次のところへ」
と、言ったものの次の物件はこの物件の引き立て役のようなもので全く自信がない。いや、そんなに悪い部屋じゃないんだ。ただ…立地が…。
駅から坂を登って十五分、女性の足だと二十分か。バスもあるけど、朝夕の渋滞がひどい。そして…斜め前がお墓。一階だと植え込みがあってほとんど見えないが、二階からは全貌が見える。
「やっぱりまずいですよね。お墓に隣接って」
とりあえず見てもらうだけと、お連れしたが私はもう今日はダメだろうと諦めていた。だが花岡様からは意外な言葉が。
「あ、お墓のそばって静かでいいって聞いてますよ」
花岡様は玄関から入ると真っ先にベランダへ行ってお墓をチェックした。
「綺麗に管理されてるお墓じゃないですか」
「でも、お盆やお彼岸には線香の匂いがしてくるんですよね」
「実家にも仏壇があるので、わたしは線香の匂い、嫌いじゃありません」
お墓はどうも障害にならないらしい。駅から遠いのも運動になると言っている。
花岡様はまた玄関に戻って靴箱から念入りに見始めた。立地条件がクリアならここは良い物件だ。南東向き、高台、間取りはありふれているが、都市ガス、IHコンロ二口、おまけにロフトがついている。私は俄然やる気が出てきた。
そうだ、花岡様が必ずチェックする収納、ここはどうだったかな。ちょっと見ておこう。
私はクローゼットを開けて息を呑んだ。そして、静かに閉めた。
誰かいる。
まさか! 私はもう一度クローゼットをそーっと開けた。
いる。やっぱりいる。白い着物を着た老人が。胸から下がだんだん透けてて下半身がない。
何度か開けたり閉めたりしたが、ずっといる。きっと今、自分の顔は真っ青だ。どうしよう。
この仕事について二十年。そういう話はよく聞く。何度か気配を感じたこともある。だが、こんなにはっきり見えてしまったのは初めてだ。
狼狽えている場合じゃない。花岡様は熱心にあちこちチェックしている。この隙に確認しなければ。
「花岡様、ここはロフトがあるんですよ。ここをこう引くとハシゴが降りてきて。はい、みてもらっていいですよ。気をつけてくださいね」
と、ロフトに振っておいて、すぐに外へ出て会社に電話した。
「物件番号SZ5963、事故物件じゃないかすぐ確認して!」
事故物件じゃなかった。
築六年、前の人は新築から住んでいて、この度結婚を機に転居されている。では、あのクローゼットの中の人はなんなんだ。お墓? お墓から来たのか? 「霊道」という言葉が頭に浮かぶ。そういう物件の噂もたまに聞く。これは正直に花岡様にお伝えしなければならない。
花岡様はロフトから降りてくるともう一度ベランダに出て辺りを見回した。
「高台だし、緑も多くて、朝日が入るのもいいですね。お墓も気になりません」
花岡様は振り返ってベランダから中へ入るとまっすぐクローゼットへ向かった。いつもの最終チェックだ! 私は慌てて花岡様を追った。しかし、開けちゃダメだ! と、いう間もなく花岡様はクローゼットをあけてしまった。
いた。
やっぱりまだいた。
花岡様はあれが見えていないのか、平然とクローゼットの中を見ている。私はあわあわと唇が震えて声が上手く出ない。
花岡様はずいぶん長いことクローゼットを見ていた。まるで中の人と見つめあってでもいるように。そして花岡様は何度か頷いたあと、クローゼットに向かって言った。
「わかった、じっちゃん。わだす、こごさ住む」
クローゼットの中の老人は微かに笑って消えた。
おしまい
事故物件ではありません 葉月りり @tennenkobo
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