ビッグ・アップル・ナイトタウン
板谷空炉
ビッグ・アップル・ナイトタウン
大通の裏通り。路地に入って少し行くと在るバー、「クライオクター」。小雪が舞い散る夜の中、開店して早々に、バンッ!とドアの開く音がした。どうやら客がやって来たようだが──
「フジサワちゃーーーーーん!!!!!!」
「こんばんは、いったいどうしたんですか?」
駈け寄られ、満面の笑みで肩をガシッと掴まれて言われた。
「恋人と別れた!」
「えっ⁉」
彼女は、近くの商業施設で働く松田さん。自分より少し年上であり、この店の店員には性別や年齢関係なく「○○ちゃん」と呼ぶ常連さんである。恋人が欲しい、と数年前から言っており、去年念願の恋人が出来たばかりだった。
「とりあえず、座りましょう?続きはそれから聞きますよ。」
「うん。」
松田さんを椅子に座らせ、“いつもの”を頼まれ提供し、カウンターテーブル越しに会話をする。
「良かったですね、今日店長が休みで。自分と新人の子しかいませんよ。」
「やったあ!あの人面白いけど、こういう話はしたくない!仕事のことなら良いけどさあ。」
「自分も文句言えない立場ですが、分かります。」
人のペースがあることを店長には理解してほしい、これは前から松田さんとちょくちょく話していたことだ。
「というか本題!去年ようやく出来た街コンで付き合えた恋人が浮気しててさあ。問い詰めたら私のことは遊びだって言ったの!!本当に信じられない。」
飲みながら愚痴る感じで話しているのも、最近は無かったことだ。
「それって、どちらかと言うと松田さんが浮気相手では?」
「そう!だから言ってやったの。“一生縁に恵まれないといいね!”って。本命の人は泣きながら帰ってったから、あいついよいよ本格的なボッチになるね。」
「うわあ…。怖あ…。」
ウーロンハイのアルコール抜きでここまで酔える人間はなかなか見ない。松田さんと会話しているとこのようなことが起こる。これだから、常連さんと話すのは面白い。
「てか、強いお酒飲みたい!フジサワちゃん、ウォッカちょうだーい!」
「悪酔いは良くないですよ。」
「いいから!何かウォッカのやつ飲みたい!」
ハラスメント以外では酔っ払いに逆らってはいけない、こう言われて働いてきた。しかし今回はどうやら逆らってはいけない感じだ。悪酔いになるのを覚悟した上で、提供しよう。
「そうですか、それなら…。」
ウォッカとリンゴジュースを取り出してカクテルを作り、氷の入ったグラスに注ぎ、カウンターに置いた。
「お待たせしました、“ビッグ・アップル”です。」
「…これなに?」
松田さんはアルコールが一滴も入っていないのに、酔ったように聞いてきた。
「ウォッカとリンゴジュースを混ぜたものです。ジュースは、店長の実家から送られてきたリンゴで作りました。本来なら単体で提供しようと思っていたんですが…。まあ、とりあえず飲んでみてください」
「うん。」
カクテルを口に運び、少し飲んだあと、松田さんの表情がみるみるうちに明るくなった。
「これなに!スッキリして飲みやすい!こんな美味しいものがあるなんて知らなかった。」
「お口に合ったようで良かったです。」
「ねえ、これもう一杯いい?」
「何度も言いますが、悪酔いしちゃいけませんよ。自家製リンゴジュースならまだ沢山あるのでどうですか?」
「じゃあそれで!」
「了解しました。」
バーにしては比較的早い時間だからだろうか、まだ客は他に来ない。いるのは自分と仕込み中の新人さん、そして、目の前にいる、リンゴジュースを飲む女性。
「松田さん、」
「ん?」
「ビッグ・アップルの“カクテル言葉”、気になりませんか?」
「え!教えて!」
「分かりました。」
何となく真剣に、言葉を紡いだ。
「これのカクテル言葉は、“強さと優しさ”。」
嫌なことを嫌と言える強さと、仲間思いの優しさ。
昔と今のあなたに、とても似合う言葉です。
ビッグ・アップル・ナイトタウン 板谷空炉 @Scallops_Itaya
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