とある文明の豊穣(または土鍋炊飯器アグリカルチャー)

鳥辺野九

土鍋炊飯器アグリカルチャー


 夜ごはんにしようかと炊飯器を開けたら文明が築かれていた。

 ごはんの山を切り拓き、ごはんの森を整地し、ごはんの平原に水路を巡らせ、小さいながら豊かな集落が発展している。

 私は何も見なかったことにして速やかに炊飯器の蓋を閉めた。

 前回ごはんを炊いてからまだ12時間も経ってはいないはずだ。彼らはいつから居るのか。どこから来たのか。文明は何故発生するのか。考えても答えは出ないか。

 息を整えて、再度、炊飯器を開ける。

 しゃもじにより攪拌されてほどよく空気にさらされた米粒の峰々は、保温状態も良好だったおかげで肥沃な大地と化していた。

 農耕文明のようだ。

 炊飯器の天蓋が解放される。眩い光が差す。新鮮な空気が雪崩れ込む。蒸された大地は適度に水蒸気を放出する。農耕にこれほど適した条件はあるだろうか。

 それらをもたらした私は彼ら農耕民族にとって豊穣の女神か。私の存在に気付き、農耕の民による豊作を祈願する舞と神の恵みへの感謝の宴が始まった。が、宴の途中でお茶碗一杯分のごはんをよそって失礼する。なるだけ音を立てずに炊飯器を閉じた。

 しばらくの間、舞と宴の喧騒がかすかに聞こえていた。ごはんは普通に食べられた。


 せっかく文明が引っ越してきたと言うのに申し訳ないが、私も明日の朝のごはんを炊かないわけにはいかない。炊飯器の土鍋釜をよく洗い、無洗米とお水でタイマーセット。もう寝る。


 翌朝、豊作の舞の音楽で起こされた。目覚まし時計の予約時間よりも30分も早くに。何てこった.

 パジャマ姿のまま炊飯器を開ける。見るからにツヤツヤもちもちのごはんの大地が現れた。農耕文明だからこそなせる技だろうか。

 炊飯器の土鍋釜はきれいに洗ったはずなのに。どうやら彼らは炊飯器の内釜ではなく機構部位に文明を築いたようだ。

 炊飯器の空が閉じられ、真っ暗闇の時代はとにかくじっと耐えている。氷河期を耐え忍ぶ生命のようにときを待っている。

 いざ、炊飯器の炊き飯モードが起動し、電熱による熱膨張期が訪れると彼らの時代がやって来る。目覚めのときだ。

 水と熱。生命を育む二大要素。彼ら農耕文明は最大の武器を手に入れた。

 ごはんの大地は栄養そのもの。農作物を育てるのにこれ以上適切な土壌はない。

 パジャマ姿の私は彼らにとっても特別仕様のようだ。豊穣の女神が花柄の白装束で降臨なされた! 踊れ。豊作祈願の舞だ。歌え。大地の恵みに感謝の宴だ。

 目に見えないくらい小さな彼らだが、農耕民族としての、知的文明としての、最大限の神への感謝の印。炊き上がったごはんの大地にはナスカの地上絵のように私の顔っぽいものが描かれていた。

 私のごはんライフを邪魔しないなら炊飯器に文明を築いても構わない。少しの間、間借りさせてあげよう。

 ごはんはすごく美味しかった。彼らの農耕技術が味を一段高めてくれたのだろう。


 もうごはんが楽しみで仕方ない。今夜は私の大好物の炊き込みごはんにしよう。鳥もも肉、ゴボウ、ニンジン、油揚げ、私の隠し味の塩昆布を投入。お出汁と日本酒、あと減塩醤油で味を整える。さあ、頼むぞ、農耕民族。炊飯器文明の素晴らしさを私に示すのだ。


 そして私は全てを失ってしまった。炊き込みご飯はあまりに栄養過剰だったようだ。炊飯器文明は成熟し過ぎた。過渡期を乗り越えて、成長の伸び代を失った文明は滅び去るのみ。

 炊飯器に文明の痕跡は見られず、ただの炊き込みごはんが炊き上がっただけだ。豊作の舞も感謝の宴も聞こえない。地上絵もミステリーサークルも見られない。彼らの文明は衰弱した。どこかに引っ越してしまった。

 私たち人類の文明はどうだ。成熟しているか。成長の余地は残されているか。神様に甘やかされてやいないか。

 新しい引っ越し先の炊飯器では素晴らしい農耕文明が築けますように。あなたのおうちの炊飯器に、謎の文明が住宅の内見に来ていたら、そっとしておいてほしい。

 炊き込みごはんは普通に美味しかった。

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