疑似自殺

宵町いつか

第1話

 時刻は二時。息を吐けば白い息が出る。山の中。

 真っ白な銀世界。その真っ白な世界に埋もれるように、彼女は真っ白な衣服をまとっている。指先や鼻は赤く彩られていて、降り積もった雪の儚さだとか、そういう冬らしさを彼女は一心に引き受けていた。濡羽色の髪が薄く白く濡れていって、彼女の肌の白さと雪の儚さと彼女の雰囲気自体の儚さが溶け合って、彼女が世界と同化しているように感じられる。彼女の首元の赤いミミズ腫れだけが正真正銘の本当のことで現実的なことで、盲信すべき対象だった。

 私は寒さからか恐ろしさからくる震えを隠さずに、カメラを構える。かちかちかちとシャッターボタンに細かく爪が当たって、軽やかで絶望的な演奏を奏でる。これも一つの冬らしさなのかもしれない。

 彼女の美しさをここに留めるために、彼女の死に顔を撮るために、私はカメラのシャッターをきった。


 放課後の教室だった。夕暮れがきれいで、眩しくて、やけに黒板が黒く見えていたことをはっきりと覚えている。一番前の窓だけが開いていて、そこから秋風が吹いていた。とても爽やかで、冷たかった。秋の風という物は厭世的なのかもしれない。

 高校に入学して一年経って、漠然と惰性的に生きていた。消費していた、といっても過言ではない。大抵の人間とおなじようにぼんやりとして、特に人生のこととか、これからのことを考えようとせず、今を謳歌していた。ただ、周りの人間と違ったところと言えば、馬鹿らしい行動をせず、それを青春というものに美化しなかったところ位で、それ以外はクラスメイトと何も変わらない、ただ斜に構えただけの人間と言うことだけ。

 教室に居たのは私と彼女、西呉椿にしくれつばきだけだった。私も西呉椿も進路相談で残されていた。

 先生が気になっている生徒だけ、という限定的な条件があったにもかかわらず、成績が中の上で、行きたい大学もやりたいこともない私は見事に見初められた。そりゃそうだろう、と思う。多分、一番の問題児だった。まともなふりをした異常者。先生からしたらたまったものじゃなかっただろう。だってしたい物が、なりたい物がないのだから。嘘でも、見つけられないのだから、先生もお手上げで、私もお手上げだった。

 反対に西呉椿は成績優秀者だった。進路も決まっていて、やりたいこともあって、ついでに人望もある。そんな彼女がなぜ呼ばれたのか、というのは簡単なことで、頭がよすぎるからが故、先生に目をかけられているのだ。今日は元々決まっている進路を本当に大丈夫かどうか、もしくはもっと上を目指すように言われるか、どちらかだろう。彼女の学力なら有名私大にいけるだろう。

 私は待ち時間本を読んでいて、彼女はスマホをいじりながら秋風に髪をなびかせていた。彼女の哀愁漂うその表情は夕暮れによく似合っていた。

「……舞鶴さんも進路相談だっけ」

 西呉椿はスマホから目を離し、私に声をかけてきた。私は彼女の声を聞き届けて、活字を眺めながら頷いた。本を読んでいる最中にほかのことに気を取られたくなかったから、これ以上話しかけられないように無言で対応した。

 彼女は「ふーん」、と声を漏らして、続けた。

「写真部だっけ」

 私はまた無言で頷く。

「楽しい?」

 楽しくなきゃ一年も続けていないし、そもそも写真を撮ることに楽しみを求めていない。もっとすごいもののために写真を撮っている。撮った時の快感とか、高揚感にせかされている。だから、楽しいとは少しだけはずれている。使命感の方が近いのかもしれない。だから少し間を開けて頷いてみる。彼女にその微妙なニュアンスが伝わるのかどうかわからなかったけれど。

「そっか」

 彼女は淡泊な色合いの言葉を漏らす。彼女にとっては相づち以上の何かの意味が含まれていて、私にとっては相づちでしかなく、それ以上もそれ以下でもなかった。

「……西呉椿」

 本を一度閉じて、私は彼女の名前を呼んだ。その声はいつもよりほんの少し低かったかもしれない。

「西呉って苗字嫌いだから椿かカメリアちゃんって呼んで」

 頭のいい人って頭がおかしいのだろうか。自分のことを学名で呼ぶように差し向けるなんて。

「……椿さん、急になに? 私に話しかけるなんて」

「なんも。強いていうなら、あなたのアタマがいいのか、それとも狂ってるのか知りたかった」

 何言っているのだろうか。馬鹿なんじゃないかって思った。元々のアタマが終わっている人間なのかと思った。多分、それは半分くらい合っていたんだろうって思う。半分は間違っていた。

「私の見込み通りのアタマのイカれてる人間で安心した」

 彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべた。今、言えることといえば彼女の見込みは正解だったってことで、私がただ単に馬鹿だったっていうことだけ。大馬鹿者は私だったってだけだ。


 数日後、彼女に呼ばれた。さほど仲良くない彼女の誘いを断る義理もなく、私は考えるのを放棄して待ち合わせ場所へ行く。校舎裏とか体育館裏とかではなくって、ホームセンターに。いや、ホームセンターっていうのも十分変なのだろうけど、まあ彼女ならあり得るかなって納得してしまった。彼女はなんとなくそんな変な人なのだろうという感覚があったから。

「やあ」

 秋に似合うブラウンのスカートに黒のトップス。昼間は残暑めいていて夏らしいから、彼女の服の色合いは少し季節を先取りしているように感じられた。けれど、私は白のカットソーに薄手の黒ジャケット、ジーパンという感じでむしろ季節感が死んでいる。ふたりで足して割ったら季節感がいい感じになるだろう。

「カメラ持ってきた?」

「うん」

 昨日、彼女からメールを受け取った。今日付き合って、とだけ書いてあって、その下には持ち物。カメラとお金と何事にも驚かない心、イカれてるアタマ、何事にも口を挟まない口、と書いてあった。三つほど準備できなかったけれど、それは許してほしい。だって見つからなかったんだもの。

「じゃあ、付き合って」

 彼女は意気揚々と歩き始めた。白のスニーカーが地面をこすっている。汚れのない真っ白な靴だった。

 彼女はホームセンターの中を歩いて行く。まるで何回も来たことがあるかのように迷いなく歩いて行く。買い物かごを腕から提げて、中にものを入れていく。カッター、鉛筆、定規、小さな木の板二枚。果たして何に使うのか私には検討がつかない。まさかDIYの手伝いでもされるのだろうか。

 考えながらついて行くと彼女は店員さんに近づいて、「このロープ、頑丈ですか?」と聞いている。下手すれば勘違いされそうな発言だ。

「はい、どのような用途でお使いになられますか?」

「ちょっと物吊りたくて。短期間だけ。五十キロくらいのものを吊り上げたいんですよ」

「は……い。多分大丈夫だと思いますけど……」

 店員さんかわいそうだな。

 私は彼女から数歩離れて他人のふりをする。彼女とは何も関わりのない人間ですよ、といった風に。私は善良な一般市民。ただの市民。自殺もなにも考えない、スバラシイ人間ですよ、と。

 目の前には大きさの様々な釘がいっぱい。私には一生縁のないもの。

 釘を見て時間を潰していたら彼女が隣にいた。やめてよ、私は変人と一緒だと思われたくないから。数歩離れてほしい。

「いこっか、舞鶴ちゃん」

 私は断る義理もなく、彼女に引かれるようについて行った。一歩だけ後ろをついて行くようにして。


 ついて行った先は彼女の家だった。こぢんまりとしたアパート。クリーム色の壁面で、寂れている。築年数もなかなかいっているだろう。

「なんで今日呼んだか、説明するね」

 彼女は一階の角部屋の扉に手をかけて言った。こちらに顔を向けていないから彼女がどんな表情で言い始めたのかはわからない。笑顔でなかったらいいなと思った。私は彼女の哀愁漂う、暗い、憂鬱な表情が好きだったから。

「今日は舞鶴ちゃんに私の写真を撮ってもらおうと思って」

「はあ」

 釈然としない返事を返すと椿は「まあ、だよね」と諦めたように言った。その声があまりにもショックを受けたかのような声質だったから、私は申し訳なくなって、続けて、とだけ言って彼女に先を促した。彼女は扉を開けて、中に入ると話の続きを始めた。室内にはタンスと机、ソファ、テレビがあった。生活しているはずなのに生活感がなかった。キッチンには料理道具が最低限しかなく、多分タンスの中も同じような状況なのだろうと思った。地面には物は落ちていない。綺麗だ。綺麗すぎる。

「写真って言ってもそんじょそこらのしょうもない写真じゃない。盛りに盛ったしょうもない写真じゃない。もっと美しいもの」

 彼女は熱に浮かされたように言葉を重ねる。その声はメロディーのように軽やかで楽しげで、美しかった。

「私が死んでいるところを撮ってほしい」

「――は」

 疑問を伝えるために言葉を発したのか、それともなにか続けようとしたのか、自分でもわからないほど無意識に言葉を漏らしていた。本当に何を言っているのかわからなかったからだ。本当に、わからなかった。わかりたくなかった、というのが本音だろうか。少なくとも、私はクラスメイトが自殺したあとにのうのうと写真を撮れるほどアタマのイカれている人間ではないはずだ。

「大丈夫。本当に死ぬつもりはないから。ただ、首を吊って、一分くらいしたら撮ってほしいってだけ。で、撮ってから私を助けてほしい。わざと緩くひもを縛っておくから、そこは安心して」

 彼女は話しながらもビニール袋の中から買った物を取り出している。

 何を言っているのか、よくわからなかった。けれど、それがとても面白そうなものであると認識している自分が一番よくわからなかった。

 自分の頬が緩んでいるのか、それとも真顔なのかわからなかった。だって、それくらい、私はイカれていた。おかしい。面白そうなんてなんて罰当たりな。命の冒涜だよ。

「わかった」

 でも、アタマと心は別物だ。倫理も道徳も知らない。私は、私の好きなようにする。それくらいは許されると思う。命の冒涜なんて生きていたらみんな犯すよ。

 彼女はソファに座って言った。わざと顔は見なかった。見たくなかった。

「よかった。舞鶴ちゃんならそう言ってくれるって信じてた」

 いやな信頼の仕方だなと思ったけど。どのような形であれ、信頼されるというのは悪い気はしなかった。


 彼女はレースカーテンの閉められているカーテンレールにロープをかけている。机に乗ってちょいちょいと行う姿は現実離れしていて、やけに綺麗だった。彼女のスタイルの良さもあるのだろうけれど、様になっていた。彼女はこの世界よりも死ぬ間際の方が美しい。だって、あんなにも哀愁漂う、陰鬱とした表情の似合う彼女なのだから。

 私はカメラの準備をして、どこから撮ればいいか場所を探りながら彼女を見ていた。

 彼女の死化粧をしたり、私のカメラの設定とかをしていたらいつの間にか一時間経っていた。時刻は一時。死ぬには少し早いかもしれない。

「いつ死ぬ?」

「夕方のほうが雰囲気でない?」

「でも安直すぎない?」

「奇をてらって今?」

「んー」

「じゃあ、二時くらいにしない?」

「なんで?」

「あの時間帯、いい感じに夕暮れと昼の間って感じするじゃん」

「じゃあ、これから二時に撮ろう」

「だね」

 一時間の猶予が生まれて、彼女はソファにくつろぎながら話し始めた。彼女がわざわざ死に様を写真に撮ろうと思った理由を。

「なんとなく、日常が続いていくのがいやだった。苛ついてた。知らないうちに中学生になって、知らないうちに高校生になった。来年には成人とか言われて、勝手に大人と同じ責任感をもって生きていけって言われてさ。実感なんてないのに、大人になる瞬間が明確化されずに、大人になっちゃう。私よりも年上は成人が二十歳で統一されて、お酒が飲めて。でも私たちは十八歳で責任感だけ押しつけられて、二十歳からお酒。なんかおかしい。お酒とかたばこが大人らしさの結果だとして、それには責任が伴う。お酒って現実を忘れる力。たばこって、現実を霞ませる力。勝手に年上が私たちに責任を押しつける。グローバル社会だとか言って、無駄な物を押しつける。くそみたいだ。そんないびつな感情をどうにかしようとして、じゃあ死んでみようと思った。でも死ぬって言ってもさ、精神的な死と肉体的な死、記憶的な死があるわけじゃん? その、肉体的な死って言うのを擬似的に感じてみたかった。だから、私は舞鶴ちゃんに助けを求めたんだ」


 五十九分。

「もうそろそろだよ」

 私が声をかけると頷きが返ってくる。さすがに緊張しているらしい。

「大丈夫。綺麗に撮ってあげるから」

「それは楽しみだ」

 そう言って、彼女は首を縄にかけて、足を浮かす。私は彼女が土台に使っていた机をわずかにずらす。写真の中に入らないようにするために。

 彼女はぶらりと苦しそうにもがいている。表情は苦悶に満ちている。喉からは変な音が出ている。目は焦点が合わなくなっていって……次第に動きが止まった。人形のようだ、とたまに言われるけれど、人形と言うよりももっとへんてこなものだった。人間って案外へんてこな、壊れかかったものなんじゃないかと思うくらいに。

 一分ほど経って、私はシャッターをきった。

 何枚か撮って、彼女を助ける。まだ脈はあったし、適当に放置しとけば生き返るだろう。

 私は写真を見ながら彼女が生き返るのを待つ。

「つぁ……」

 彼女が目を覚ました。軽く頭を振っている。変な感覚が抜けないのだろう。舌がうまく動かないようで、何度か発声練習をしている。何回か発声練習をすると、私に向かって「どうだった?」とだけ聞いてきた。

「うん、うまく撮れたよ」

 私はそう言って彼女に写真を見せる。彼女はじっくりとみて、満足げに頷いた後、「じゃあ、また来月もやろうね」と言った。

「いいよ。今度はどうしようか」

 二人とも頭はおかしかった。けれど、とてもいい気分だった。


 白雪のなか、彼女は目を開ける。

「どうだった?」

 この言葉を聞くのはもう五度目だ。一月に一回とはいえ、さすがに聞き飽きる。けれどいつもと違って今日の声は震えていた。そりゃもう年も明けて、寒さも増している。そして何より雪の中だったのだ。仕方ない。 年が明けても、私の彼女の頭はイカれたままなのだから。

「最高なのが撮れた」

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疑似自殺 宵町いつか @itsuka6012

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