さよならハルト
白神天稀
さよならハルト
「よっ! 久しぶり、ハルト」
僕の挨拶に友人は目を見開いていた。
「お前……まじで久しぶりだな。何年振りだよおい」
僕はハルトの肩を組んで笑った。懐かしさを覚えながら、高らかに。
「ていうかハルト、お前雰囲気変わったな~。特に話し方!」
「お前が言うかよ。まあ、こんだけ月日が経てば当たり前か」
「せっかくだし、飲みながら話そうぜ」
「酒が解禁になったからって、いきなりかよ」
「今日を楽しみにしてとっておいたワインがあるんだ~♪」
調子に乗って冷蔵庫からボトルの赤を取り出す。適当なコップに液体を注いで、僕はグイッと飲み干した。
「どうだ? 初めての酒のお味は」
「うん、無理! 酒よりお茶がいいな!」
「ハッハ、まだまだお子様口じゃねぇか」
ハルトはあの頃のように無邪気に微笑む。
「これでもマシにはなったぜ? もうきゅうり以外はだいたい食えるし、食わず嫌いもなくした。苦手だった野菜も大半は食えるようになったんだ」
「給食の八割以上残してたヤツがよく食うようになったな」
「おかげで顔はちょっと丸くなったけどね」
「運動嫌いは相変わらずか。ハハハ」
キツイアルコールの匂いを鼻で逃がしてる横で、頬杖をつきながらハルトが尋ねる。
「今はお前、調子どうだ?」
「順調も順調。あとちょっとで学校卒業で、仕事も決まってる」
「え、大学行かなかったのか!?」
「高校で英語と数学ダメになったんだなぁこれが。ずっと学年ビリだ」
「うっそだろ。大学行くもんだと思ってたわ」
「頭悪いし、早く社会出てやりたいことが見つかったからさ。専門行って勉強したんだ。高校時代のサボりはちょっと後悔あるけど、進路はこれで良かったと思ってる」
「自分が良いならいいけどさ……」
驚嘆と心配の混じったような声でハルトは聞き続けた。
「良かったのかよ。あんなに勉強頑張ったってのに」
「俺が頭悪いのなんて、ハルトが一番知ってるだろ?」
「そうだとしても――」
「良いんだ。俺が勉強無理して頑張ってたのは、周りを見返したかったからだ。言っちゃえば、今までの分全部を仕返しする気持ちでやってたから、あんだけ努力できたんだと思う」
それ以上、ハルトが言い返すことはなかった。
「だからお前しか友達がいなかったわけだしな。ハルト」
「……ああ、そうだったな」
しばらくの静寂が訪れた後、ハルトは別の話を切りだす。
「あれから俺のとこに来なくなったけど、大丈夫だったのか?」
「うん。高校でやっと友達が出来たんだ。勉強はできなかった代わりに、周りに恵まれてさ。友達も、先生も仲良かったし、部活も違う先輩ともよく飯誘ってもらう仲にもなったんだわ」
「そうか。そっちでちゃんと、やれてたんだな」
「趣味も見つかってさ。趣味って言っても、結構本気で人生賭けるぐらい熱中できることを発見したんだ。就職先とはやること全然違うから、働きながらずっとその趣味もやってくつもり」
「……」
「お前と会わなくなった日から、辛いことがあっても必死に生きてさ。ハルトのこと思い出しながら、ずっとずっと足掻いて、俺らしい生き方がやっとできるようになった。あの日からずっと、人生の最高記録更新中だ」
酒が回ったのか、気が付いた時には手元が濡れていた。やけにしょっぱい涙が頬を伝って、ワインの味が抜けきらない口の中へ流れて来る。
「やっと、一人じゃなくなったよ。やっと、人間に成れたよ」
ぐしゃぐしゃな顔を向けた先でハルトは――幻の友は微笑んでいた。
「頑張ったな、親友」
幼少を共にした、自分だけの、自分にしか分からない友へ向けて報告するように、安心させるように言の葉を紡ぐ。
「友達がいなくて、上手く人と関われなくて、一人ぼっちだった時、ハルトとよく遊んだよな」
「ああ。お前の作った工作、俺は好きだったぜ」
「次の日にクラスメイトに話しかける内容、予行練習に付き合ってくれたよな」
「俺も人と話すの苦手だったから、役に立ったかは分からないけどな」
「世界が分からないことだらけで、大きすぎて、一人ぼっちだって寂しくなった時、傍にいてくれたよな」
「それが俺の役目だったからな」
壊れそうになる度にいてくれた友の手前、涙を抑えることなんてできなかった。
息もできないほど泣いて袖を湿らす僕に、ハルトは優しい声音でそっと聞く。
「どうだ? 小さい頃思い出して、昔の夢は叶ったか?」
「……いいや、そもそも夢なんてなかったじゃないか。漠然とした憧れがあっただけで、夢らしい夢なんてなかったよ」
「そうだったっけ。いや、そうだったね」
「でも、あの頃じゃ想像も出来なかったぐらい、楽しい人生は送れてるよ」
「楽しい、か。早く大人になりたかったお前から、そんなことが聞けるなんてな」
「そうだ。毎日が夢で溢れてて、びっくりするぐらい飽きないんだ」
ハルトの顔に不安は一つも残っていなかった。
「もう、俺なしでやっていけそうか?」
「……ああ、もう大丈夫。でもお前のことは忘れないよ」
鼻づまりの情けない声で、僕はハルトの問いに言葉を返す。
「思い出の中の、たった一人の友だちだから」
涙で歪んだ視界の向こうで、たしかにハルトは笑っていた。
グズグズになった目元を手で拭っていると、部屋の外から僕を呼ぶ声がした。
「お~い息子! 早くしな。友達との待ち合わせに遅れちまうぞ~」
母さんの呼ぶ方へ振り返り、僕はハルトへ背を向ける。
「それじゃ、行くわ。これまで、楽しかった」
言葉は多くなくて良い。わざわざ声で言わなくても、この心が彼に思いを届けてくれるから。
たったそれだけを言い残し、僕は玄関に向かって走った。
涙を拭いた手を上げ、親友へ最後の感謝として別れを告げる。
「じゃあな、ハルト!」
背中越しに手を振った友の姿は、思い出の中へ永遠に眠った。
さよならハルト 白神天稀 @Amaki666
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